貴女の全てを



「神子殿、今日はご一緒してもよろしいでしょうか?」



 藤原幸鷹は、今日も龍神の神子の元へと足を運んでいた。
 八葉としての務めを果たすため、そして何より彼女の傍にいたいがため。
 最近ではほぼ毎日、この屋敷に出入りしていた。
 そして、神子は決まってこう言った。

「ご、ごめんなさい。
 今日はその……他の人と約束があって……」
 俯き加減に、小さな声で。
 もう、一体何度この言葉を聞いただろう?
 幸鷹は溜息をつく。
「近頃、神子殿はいつもそう仰られますが……。
 誰と約束をしているというのですか?」
 自然と、声も刺々しいものになってしまう。

「それは……その、翡翠さん……です」

 こちらを一切見ずに、白龍の神子は呟いた。
「そうですか。
 では仕方ありませんね。
 失礼させていただきます」
 幸鷹はそのまま少女に背を向け、急ぎ足でその場を去った。
 振り返ることなどせず。




 苛立ちを覚えながら、幸鷹は京の町を歩いていた。
 牛車で神子のところを訪れたのだが、それに乗って帰る気がしなかった。
 大人しくあれに揺られていることなど、出来そうになかった。

「なぜ神子殿は……」
 考えることは、唯一つ。
 龍神の神子であり、自分の想い人である彼女のこと。

 優しくて、無垢で、真の強さを知っている少女。
 愛おしくて仕方ない、唯一無二の存在。
 あの方のためなら、どんなことでも耐えられる。
 たとえ、触れられて激痛に襲われても……。

 その彼女は、なぜ自分を避けているのだろう?
 気付かぬうちに、傷つけてしまったのだろうか?
 それとも――。

「おや、別当殿ではないか。
 こんなところで会うとは奇遇だね」

 明らかに見知った声に呼ばれ、幸鷹は振り向いた。
「翡翠!?」
 驚いたせいで、大声で叫んでしまう。
 おかしい。
 なぜ、彼がここにいる?

「今日は神子殿と、約束をしていたのではなかったのですか?」
「おやおや、そんな話は初耳だね」
 翡翠は長い髪を指先で弄びながら、答える。
「お前が約束を反故にした訳ではないのですね?」
 念のため訊いてみる。
「ずいぶんと疑り深い。
 一体何だというんだね?」
「……いや、何でもない」

 では、神子殿は私に嘘をついた?

 事実が胸に突き刺さる。
 幸鷹は視線を地面に落とした。

「別に構わないがね。
 では、私は失礼するよ」
 翡翠の声が、頭上で聞こえた。




 翌日。
 また朝がやってきた。
 幸鷹は牛車に揺られながら、神子の住まう屋敷へと向かっていた。

 もう、こうして何度足を運んだろう?
 彼女の手を振り払ってしまったあの日から、どれほど日がたったのだろうか?

 重苦しい溜息が一つこぼれる。

 こんなに辛い想いをするのなら、八葉になど選ばれたくはなかった。
 京のため、神子殿のため。
 それを誇りに持ち、こうして過ごしてきた日々は何だったのだろう?
 自分はどうして……。

「幸鷹様、到着いたしました」

 供の声に、幸鷹は我に返った。
「ああ、すまない」
 そう、声をかけて屋敷へと入って行った。

 妻戸をくぐり、簀子へと昇る。
 小袿姿の紫が、自分を出迎えてくれた。

 きっと、今日も同じ結果が待っている。
 彼女は自分と一緒に過ごすという選択はしてくれないだろう。
 自分は何か取り返しの無いことをしてしまったに違いない。
 だから少女は自分を避けるのだ。
 暗い思考に、のっとられる。

 もう、何も考えたくない。

「幸鷹殿。
 どうか、神子様を責めないでくださいませね」

 数歩前を歩く紫姫が、前を見たまま言った。
「紫姫……?」
「きっと、神子様がご自分で仰られますわ。
 ですから、その時はどうか優しく接してあげてくださいましね」
「……分かりました」
 何のことか分からなかったが、幸鷹は頷いた。
「神子様はあちらにいらっしゃいます。
 どうか、行って差し上げてくださいませ」
「しかし……!」
 止める言葉に耳も貸さず、紫は軽く会釈をし、去って行ってしまった。
 仕方なく、幸鷹は先にへと歩みを進めた。
 しばらく行くと、高欄にもたれかかりながら、壺(中庭)を眺める少女の姿を見つけた。
 宙を舞うその視線は、なんとも言えず寂しげだった。

「神子殿……」

 思わず、声を漏らしてしまった。
「あ、幸鷹さん」
 彼女はこちらに気がつき、一瞬だけ表情を輝かせた。
「!?」
 しかし、すぐに顔は曇る。
 昨日と同じ雰囲気。
 少女は俯き、黙り込んでしまった。

「神子殿は……私のことがお嫌いですか?」

 ずっと抱えていた悩みが、するりと口から出てしまった。
 言ってから後悔したが、すでに手遅れだった。
 彼女のすぐ横まで行き、膝を折る。

「はっきりと言っていただいた方が私もすっきりします。
 あなたを責めるなど、愚かなことはいたしません。
 ですから、あなたの本心を聞かせてはいただけませんか?」

 ゆっくりと、彼女を刺激しないように囁く。

 これでいい。
 彼女にはいつだって笑っていて欲しい。
 だから、せめて彼女の憂いを取り払いたい。
 それが、今の願い。

「私、幸鷹さんが好きです……」

 震える声が告げたのは、予想とは全く正反対のものだった。

「みこ、どの?」

 突然の告白に頭が真っ白になる。
 上手く声を紡ぎだすことができない。

「幸鷹さんの辛そうな顔はもう、見たくないんです……。
 この前、私が触れた時、すごく痛そうだったから。
 だから……私」
 蚊の鳴くような声が、必死に訴える。
 伏せ目がちな瞳は、すでに潤み始めている。
「そう、だったのですか」
 真実を飲み込むのに、結構な時間を要した。
 あまりにも甘やかな言葉過ぎて、実感が湧かなかったから。
「ごめんなさい、幸鷹さん。
 本当はこんなこと言うつもりじゃなかったんです」
 尚も言葉を並べようとする少女を呼ぶ。

「神子殿」
「はい?」

 愛おしい人が、ふと顔を上げる。
 さらりと髪が流れる音がする。
 と、同時に甘い花のような香りが渡る。

「あなたは本当に天から降り立った天女なのですね。
 誰よりも優しくて、美しい」
「え?」

 思っていたことを素直に口にする。
 今まで、こんなにも心が清らかで繊細な人がいただろうか?
 胸の奥が熱い。
 幸鷹は、頬をほんのり赤くした彼女に、自分の想いを告げる。

「私も、あなたのことが好きですよ。
 誰よりも愛しています」

 驚いて、声を出せずにいる花梨にさらに言葉を続ける。

「あなたが与えてくれる痛みなら、私は快く甘んじましょう。
 痛みなど、あなたに触れられる幸せに比べたら、軽いものですから」

 自然と笑みが零れる。

「私、幸鷹さんのこと、好きでいて……いいんですか?」

 両手を頬に当て、うつろな目をした少女に問われる。

「ええ、もちろんです」

 花梨は、極上の笑みを浮かべた。
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