登校

 その日は、とても暑い日だった。
 空は、かんかん照りの太陽に、縦に伸びた入道雲。
 まだ朝だというのに、すでに背中は汗ばんでいる。
 唯一の救いといえば心地よく吹く潮風だけだった。
 夏という名にふさわしい一日が、始まろうとしていた。



「ふう……」
 譲は思わず溜息をもらす。
 朝っぱらからこんなに暑いなら、5時間目の体育は地獄だろうな。
 そんなことを思いながら、譲は学校までの道を歩いていた。
 アスファルトの照り返しがきつい。
 靴底も、すでに暑くなっていた。
 夏季大会に向けて、弓道部では朝練が行われていた。
 譲も、それに参加するために一般の生徒より早めに登校していた。
 大会も近いせいか、生徒がまばらにいる。
 多くはないが、少ないともいえなかった。
 それにしても暑い。
 かばんのチャックをおもむろに開ける。
 前日凍らせておいたペットボトルを出す。
 家を出る直前に出したというのに、もう溶けはじめている。
 今日の異様な暑さを示しているというものだ。
 タオル越しにひんやりとした空気が伝わってくる。
 キャップを開け、一口飲む。
 冷たいお茶が喉を一気に通り抜ける。
 暑さを、一瞬だけ忘れさせてくれた。
 と、その時だった。


「も〜らった♪」


 聞きなれた声とともに、手にあったペットボトルが姿を消していた。
「春日先輩!?」
 犯人の名前を叫び、振り返った。
「いただきま〜す♪」
 時すでに遅し。
 彼女はペットボトルを開け、口に運んでいた。
「あっ……!」
 止める間などなかった。
 よっぽど喉が渇いていたのか、溶けているお茶をすべて飲み干した。
 風が長い髪をさらい、シャンプーの優しい香りを運ぶ。
 その様子に心を奪われ、譲は言葉を失った。


「おいしかった!
 ありがとう、譲くん」


 飲み終えた彼女は、額の汗を拭いながら、ペットボトルをこちらに返した。
「え、あ、そうですか」
 譲はそのペットボトルを受け取る。
 冷たい空気が、手の中に戻ってくる。
 まぬけな受け答えしかできない。
 彼女がまるで、清涼剤のように爽やかだったから。

「もしかして、怒ってる?
 譲くんの勝手に飲んじゃって……」

 愛しいと思う彼女が、上目遣いでこちらを見つめる。
 その可愛らしい仕草に、ドキッとさせられた。
「いえっ、そんなことありませんよ!」
 慌てて否定する。
 そんなこと、あるはずもない。
「良かった、譲くんに嫌われたら私困るもん」
 にこにこと笑って、何でもないように言ってのけた。
 太陽の光を浴びて、彼女はとても眩しかった。
「えっ!?」
 また、胸が高鳴る。
 思わず、あらぬことを期待してしまう。
「だって。
 嫌われちゃったら、もうケーキとか焼いてもらえないでしょ?」
 えへっと、子どもみたいな笑顔を見せる。
 一つ年上だと、信じられなくなりそうだ。
 期待が外れたことを、ちょっと残念に思いながらも言葉を紡ぐ。


「そうですね」


 譲もつられてにこりと笑った。
 陽射しは、相変わらず地上に降り注いでいた。





 それは、譲が間接キスに気づく、5秒前のこと。
作品ページに戻る