陰謀の絡繰
「なぜ殺した!!」房の中に、大きな声が響いた。
その声にぴくりとも動かず、痩身の男は口を開いた。
「あなたには必要のない人間だからです」
銀とも青ともつかない色の瞳を見やる。
そこには、明らかな怒りが存在していた。
「もっともな意見だな、仲達。
だが、私は傀儡ではない。
王は私であって、お前ではない!」
ダンッと音が鳴る。
卓の上にあった硯はその振動で床に叩きつけられた。
無論、それは高い音を立てて割れた。
「存じております。
私はあなたの臣であって、それ以上でも以下でもございません」
黒羽扇をゆったりと仰ぐ。
微かな風が、頬をなでる。
割れた硯をちらりと見て、司馬懿は一つ溜息をついた。
何とも幼い王だ。
心の中で呟く。
あまりにも子どものような振る舞いに、笑みさえ零れそうになる。
哀れな、と声にしてしまいそうになる。
「あれは役にはたたないだろうが、害にもならなかった。
違うか?」
いつになく眉根を寄せている主君。
今にも腰の剣を抜いてきそうな勢いだった。
「今はそうかもしれません。
ですが、これからどうなるか。
私は先手を打ったまででございます」
慇懃に頭を垂れると、曹丕はまた卓を殴った。
やかましいとは思ったが、怖いとは感じない。
司馬懿には、確信があった。
自分は殺られないという。
「お前は私の指示に従えばいい。
なぜ勝手に動く!」
「お言葉ですが陛下。
指示を仰いだところで許可をくださいましたか?」
顔を上げ問いかけると、曹丕は押し黙った。
我が君主は、身内に対して甘い。
歴代の王たちは、帝位につくと揃って兄弟を殺した。
無論、邪魔になりうる者は全て始末した。
その事実を知っていてなお、目の前の男はそれをやろうとしない。
せいぜい、一番危険な弟を僻地に送った程度。
やること全てがぬるいのだ。
これでは、いつまでたっても天下は取れない。
だからこそ、司馬懿は代わりにやってやったのだ。
感謝されるなら分かるが、なぜ怒鳴られるのか。
まったくもっておかしい話だと、男は思った。
「仲達。
お前の望みは何だ……」
鋭い眼光がこちらを見る。
見飽きたその視線に、笑みが零れそうになる。
「曹魏の天下を」
そっと羽扇で口元を隠して、司馬懿は告げた。
天下は三分されなくて良い。
一人の王の下に統治されることが望ましい。
ふさわしいのは、冷徹な臣下を持った者。
司馬懿は人知れず笑みを浮かべた。