蒼天を欲す
姓を陳、名を宮。字を公台という男がいた。
補佐する能力に長け、剛直な人間であった。
ゆえに、奴は死を選んだ。
長く続く回廊を渡りながら、曹操は物思いにふけっていた。
吹く風はまだ冷たく、空は重たい雲に覆われていた。
春とは名ばかりだ。
そう思わずにはいられなかった。
「仕事には慣れたか?」
何気なく、側に控えさせていた男に問う。
男は軽く頭を垂れ、黒羽扇をゆったりと揺らした。
「はい。
殿のご配慮のおかげでございます」
高すぎず、低すぎない声が届く。
本心からの言葉ではないのだろう。
どこか空々しさが残る。
それでも気づかぬ振りをしたのは、それが互いのためであったから。
「そうか」
ちらりと男の方を見る。
表情は見て取れなかったが、視線だけは隠しきれていなかった。
したたかに獲物を狙う、獣のような眼。
好機を待ち、身を潜め耐える。
そういう眼をしていた。
「少し昔の話だが、儂は惜しい漢を失った。
賢い奴でな。
あれが今も仕えていてくれていたらと、時折思う」
家族の処遇は任せる、と言い切ったあの漢に、それ以上かける言葉などなかった。
どこまでも強情で、賢かった。
人を助ける才に優れ、参謀という役に相応しい人物だった。
「羨ましい限りのお話でございます」
頭を垂れたままの臣を見て、曹操は思う。
あれも似た眼をしていた、と。
公平な世の基礎を。土台を作ろうとしていた。
己の野望のため、体のいい傀儡を欲していた。
それゆえ、愚かにも野獣の元に降った。
自分の才を、自らの手で潰した。
「司馬懿よ、お前に命じよう」
歩むのをやめ、曹操は男に声をかける。
「はい」
歯切れの良い答えが返ってくる。
前を見据え、ほころび始めた梅の木を見やる。
「息子、子桓に仕えよ。
あれの教育係を命ずる」
傀儡が欲しいのなら、手に入れてみるがいい。
それがこの天下のためだと、心から思うのであれば。
曹魏の次代を担うであろう人間が、愚鈍であるのならば――。
「ありがたき幸せ」
より深く頭を垂れる男を振り返る。
その滑稽なまでの姿に、曹操は口の端を上げてみせた。
風は冷たく、微かに黄みを帯びていた。
蒼天を仰ぎ見る日が来るのを、奸雄は待ち望んでいた。
陳宮。字は公台。
始めは曹操に仕えていたが、呂布が『ボク陽城』に攻めてきた時に、寝返る。
最後捕らえられて、自ら死を選ぶ。
曖昧な記憶ですので、詳しく知りたい方はネットで調べてみてくださいませm(__)m