待ち人

「行ってくる。
 留守は頼んだぜ」

「いってらっしゃいませ、孫策様」

 大喬は身重の体で、主人を戦場へと見送った。
 少しずつ小さくなっていく背を、ただじっと見つめていた。



 自室に戻り、大喬は榻にかける。
 豪華で、やや広めの部屋で、彼女は落ち着きなさそうに手を何度も組んだ。
「ふぅ……」
 深く、重い息を吐く。
 誰もいないから出来ることだ。
 表情はいつになく憂いを帯び、彼女の美しさを更に引き立てる。


 ――生きて、帰ってくるのだろうか……?――


 近頃、主人はいつになくにいない。
 小さな小競り合いから、戦まで。
 どんな争いにも借り出される。
 城主なのだから、自ら戦場に行く必要など無い。
 けれど、孫策はあの通りはつらつな人。
 城に閉じこもっているなど性に合わないのだ。
 そんなことぐらい、解さない馬鹿ではないつもりだ。
 しかし、嫌だった。
 彼がどこかに行ってしまうのが。
「そんさく、さま……」
 妙齢の女人は想い人の名を呼ぶ。
 小さな呟きは自分にしか聞こえない。

 

 大喬は不安だった。
 主人の、孫策の子を身籠ってから。
 嬉しくもあったが、同時に恐怖も抱いた。
 この子は、父の顔を見られるのだろうか?
 孫策は、戦から必ず生きて帰ってくるのだろうか?
 私は、取り残されてしまわないだろうか、と。

 
 彼の言葉が、信用出来なかった訳ではない。
 出来れば信じたい。
 けれど、今は戦乱の世。
 誰が、いつ死んでもおかしくない。
 勝つか、負けるか。
 戦場にはその二つしかない。

「お傍に、お傍にいられたら……」

 大喬は何度も思った。
 せめて、傍らで戦えたならどんなに気が晴れるだろう。
 結果、それで自分の命を落とそうとも、悔いはない。
 けれど、自分は今ひとつの命を宿した。
 小さくとも、とても大きな命。
「早く、私たちに顔を見せてね」
 そっと、ふくらんだ腹をなでる。
 まるで返事でもするように、子が腹をけった。

「早くお生まれ。
 そして、二人であの方をお守りしましょう」

 母の手が優しく触れる。
 柔らかな微笑みは、静かな部屋に華を添える。



 傍に、どうかお傍に――。
 彼女の願いは、乱世の中へと消えていった。
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