彼処

 ここは……。
 孫策は辺りを見回す。
 見たことがある風景のはずなのに、ここがどこだか分からない。
 一生懸命考えるが思い出せない。
 手には自慢の棍、「覇王」が握られている。
 ということは、戦場なのか。

 どこ、なんだ? 

 見覚えはある。
 来たことがないわけではない。
 それなのに全く分からない。

「孫策様」

 ふいに呼ばれて、孫策は振り返った。
「おう、大喬じゃねぇか」
 愛しの妻を見つけ、上機嫌に名を呼ぶ。
「どうかなさったんですか?」

 小首を傾げるその仕草が何とも可愛い。

「いや、なんてことはねぇんだけどよ。
 大喬お前、ここがどこだか分かるか?」
 情けないとは思ったが、正直に聞いてみる。
 これ以上考えても、無駄だと思ったから。
 元より自分は肉弾戦向きなのだ。
「分からないんですか……?」
 彼女の呆れたような声が耳に届く。
「ああ、すまねえ」
 頭に手をやり、困ったという表情をする。

 やべぇな、どうして分かんねぇんだ……。

「そんなの決まってます」
 にこっと笑った表情が、花がほころんでいくようだった。
 素直に愛しいと思ってしまう。



「孫策様の、死に場所です」



 表情を変えず、大喬は言った。

「大喬、お前……何言ってんだ?」

 信じられない発言に、孫策は驚きを隠せなかった。
「真実を言ったまでです。
 行きますよ」
 手にはいつの間にか鉄扇が握られている。
 愛用の喬美麗が。
「ちょっと待て!
 何の冗談だ!?」
「冗談ではありません。
 私はいつも本気ですよ」
 張り付いたような笑顔。

 背筋が、凍った。

「お前、本気なのか?」
「ええもちろんです。
 孫策様のお命、ちょうだいします」
 鮮やかな微笑み。
 赤く引かれた紅がそれに良く映えていた。

「俺は、お前を傷つけられないからな」

 大喬が武器を構えた。
 それを見て、孫策は手の中の覇王を地面に投げ出した。
 
 すまねぇ、親父。
 後は頼んだぜ、権。

 孫策は目を瞑った。
 何もかもを受け入れる覚悟で。





「!!」
 孫策はパッと飛び起きた。
「夢、なのか……?」
 ここがどこなのか確認したくて、きょろきょろと周囲を見回す。
 真っ暗な部屋。
 見えるものは限られているが、孫策はそれでも目を凝らした。
 さっきのことは夢だと信じたかったから。
 隣に眠る少女に視線を移す。
 すやすやと寝息をたてている。
 そっと、起こさぬようその頬に触れる。
 温もりが指を伝う。

 ……あたたかい。

「夢、なんだな……」
 ほっと胸を撫で下ろす。
 途端、汗がどっと溢れてきた。
 体は意外にも強張っていた。


「そんさく……さま?」
 閉じていた瞼が震え、深みのある色の瞳が見えた。
「わりぃ、起こしちまったか?」
 孫策は少女の髪を撫でる。
「……いえ。
 どうか、なさったんですか?」
 大喬は目をこすりながら半身を起こす。
 長い髪がさらりと流れる。
 甘い芳香が微かにする。
「いや、ちょっとな。
 変な夢を見ちまっただけだ……」
 孫策は言葉を濁し、俯いた。
 本当のことは言えない。


 ぽふ。


「だ、大喬!?」
 いきなり頭を撫でられ、孫策は困惑した。
「孫策様が悲しいと、私まで悲しいです。
 少しでもお役に立ちたいんです」
 まだ開ききっていない瞳。
 多分、半分寝ぼけているのだろう。
「すまねぇな」
 思わず口元が緩む。
 普段と違って、素直な大喬も可愛い。
「もう一度寝なおすか」
 夜はまだ長い。
 まだ起きるには早すぎる。
「そうですね」
 ふとんを掛け直し、大喬に寄り添うように寝転がる。
 傍らの温もりが嬉しい。

「こうすれば……嫌な夢を見なくてすみますね」

「だ、大喬!?」

 いきなり、甘やかな香りに包まれる。
 愛しい少女に抱きしめられた。

「お休みなさい、孫策様」

 そう言うと、大喬は健やかな寝息をたてはじめた。
「まったく、これじゃあいつもと逆じゃないか」
 口元に微苦笑を浮かべ、小さな背に腕を回した。
「ま、たまにはいいか」
 そう呟くと、孫策は目を閉じた。

 きっと、朝起きたら大喬はびっくりするだろう。
 自分の行動が信じられないといった感じで。
 そうしたら言ってやろう。

 お前のおかげで良い夢が見れたってな。
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