雪の一片
「今日はさっむいなー」自分で自分をさすりながら、孫呉の主孫策は呟いた。
昼下がり。
青年は回廊を渡っていた。
温暖な江東にも冬が到来した。
北よりはましだろうが、それでも冬は凍えそうになる。
特に、今日はいつにも増して冷え込みが激しい。
そんなことを考えながら、孫策は歩みを進めていた。
「大喬?
どうしたんだ?」
自分の房のすぐ近くまで来た時。
空を懸命に見上げる少女を見つけ、孫策は声を上げた。
「孫策さま!」
驚いたのはあちらも同じみたいだった。
振り返った大喬は、大きく瞳を見開いていた。
「こんな寒いのに外にいたら、風邪引いちまうぞ。
ほら、中入ろうぜ」
すぐ傍まで寄ると、妻の肩を抱く。
布越しに伝わるはずの温もりが乏しいことに、孫策は眉をひそめる。
自然と、抱く手に力がこもる。
「あと少しだけ、待ってもらえませんか?」
「珍しいな。
何かあるのか?」
妻のらしくない発言に、孫策は微笑んでみせた。
普段我がままを言わない少女の我がまま。
無条件で叶えてやりたくなる。
「その……。
多分、雪が降るんです」
「雪?」
「ええ。
今日はすごく寒いですし、空もこんなに明るいですし」
少女の視線の先を追う。
空は一面の曇り空。
それなのに、どんよりとした雰囲気はなかった。
「んー、そうだな。
でもよ、どうして雪待ってるんだ?」
確かに雪は珍しい。
けど、ここまでして待つ価値はあるのか?
愛しい妻の行動に、孫策は首を傾げる。
「孫策さまはご存知ですか?
この冬初めての雪のお話」
「何か聞いたことあるな。
確か、最初の一片を手に入れることが出来たら、願いごとが叶うんだろ」
記憶の片隅にある知識を手繰り寄せる。
周瑜だったか、母だったか、尚香だったか。
誰かに散々聞かされたような気がする。
「はい。
だから、雪を待っているんです」
恥ずかしそうに、嬉しそうに。
大喬が囁いた。
その表情がとても可愛くて、孫策は機嫌良く声を発した。
「そっか。
じゃあ俺も一緒に待ってるぜ」
「駄目です!
孫策さまは房で待っていてください」
「嫌だ。
お前残して行けるか」
「でも、それでは孫策さまが風邪を召されてしまいます!」
「大丈夫だって。
俺はそんなやわじゃねぇよ」
予想通りの答えに、孫策は苦笑する。
愛されている証拠なのだろうが、出来るだけ妻の傍にいたい。
一秒でも長く温もりを感じ、言葉を交わしていたい。
寂しい思いをさせたくないし、自分もしたくない。
身勝手な考えだとは思うが、譲る気はあまりない。
「絶対駄目です。
これは私の我がままなんですから。
孫策さまに付き合っていただくことなんて、出来ません!」
「けどよ……って、大喬!」
言葉より先に、体が動いた。
はらりと落ちてきたものに、孫策は反射的に手を伸ばしていた。
「孫策様……?」
傍らの少女が、不思議そうに首を傾げる。
やっちまったと呟いて、孫策は謝った。
「わりぃ、俺が取っちまったみたいだ」
抱きしめていた方の手で、頭を掻きながら言う。
伸ばしていた方の掌を少女の目の前で開いてみせる。
案の定、そこには一粒の水滴が存在していた。
「わ、悪かった大喬!
ほら、俺の代わりにお前が願いごと言えよ!
それならいいだろ、な?」
呆然としている少女に、とにかく捲くし立てる。
一年に一度の機会を自分が台無しにしてしまった。
とにかく、申し訳なくて仕方なかった。
こちらの思いを知ってか知らずか。
大喬はふっと笑い声を上げた。
「取ったのは孫策さまなんですから。
孫策さまがお願いしてください」
微笑んだ表情を見て、ほんの少し安堵する。
それでも、孫策は躊躇した。
「でもなぁ。
……あっ、これならいいんじゃねーか?」
「?」
一ついい案を思いついた。
目の前の少女は小首を傾げている。
「『大喬とずっと一緒にいられるように』ってどうだ?
良いと思わねーか?」
我ながら妙案だな、と孫策は言う。
彼女と自分に共通する願いごとを思いついて、青年は満足だった。
答えるように、大喬はくすっと笑った。
「大喬?」
「考えることは一緒なんですね」
幸せそうに目を細めた少女を見て、孫策は口の端を上げた。
「ああ、俺たちは夫婦だからな!」
小柄な妻を、夫は思い切り抱きしめた。
互いの願いは一つだけ。
共に在りたい。
永久(とわ)に在りたい。
祈る言葉はただ一つ。
それ以上は何もいらない。