雨降り
take shelter from rain.


 雨が降った大学は、最悪だ。
 佐藤博則は心の中で愚痴る。
 水はけの悪いアスファルトには、水たまりがたくさんできていた。
 避けながら歩くのは、かなり高等技術だった。
 安物のスニーカーは水が浸透してきていて、気持ち悪いことこの上なし。
 給料日に、ディスカウントストアに行くか。
 チャリで片道30分もかかるが、梅雨の前に是非買わなければ。
「佐藤くん」
 振り返るとスレンダーな美人が立っていた。
 10人男がいたら、8人は振り返る。
 残りの2人は同性愛者か、ブス専だろう。
 もちろん、博則は大多数の男だった。
「田辺か」
「子守りありがとう」
 田辺は軽く笑う。
「ん?」
「美紅のこと、助かったわ。
 この前、慰めてくれたんでしょ?」
「ああ、アレか」
 博則はこの前の電話を思い出した。
 慰めたと言うか、成り行きだったわけなのだが。
「お礼」
 田辺はそう言うと、コピーを数枚取り出した。
 綺麗な文字が並んでいるそれは、ノートのコピーだった。
「この前、遅刻したでしょ」
「サンキュ」
 博則はありがたく、それを受け取った。
「私が頼むのは筋違いだと思うんだけど、美紅のことよろしく。
 見捨てないであげて」
「田辺は、原田のおふくろみたいだな」
「飼い猫みたいなもんよ。
 拾ったからには最後まで責任持たないと」
 田辺は大げさに肩をすくめて見せた。
「それは言える」
 博則は苦笑した。
「じゃあ、またね」
 田辺は手を上げると、二号館の方に向かって行った。
「惜しいね、カレシ持ちか」
 博則はもらったコピーをカバンの中にしまう。
 図書館の方に向かい、博則は歩き出した。
 ゼミの予習をしておかないと、当てられたときに困る。
 どの本借りるかなぁ、と思案していると、信じられない光景が目に飛び込んできた。
 博則はちょっとばかり我が目を疑った。
 が、どうやら幻覚じゃないらしい。
 雨の日に捨て猫。
 古典的なビジュアルだ。
 その猫は十分大きな人間だったが。
「原田。
 何してんだ?」
 ずぶ濡れになった女に傘を差しかける。
「あ、ひろひろ」
 原田は子どもみたいに笑った。
 濡れることをちっとも気にしていなかったから、損した気分になる。
「つーか、カサはどうしたんだよ?」
「ひろひろは、貧乏だからビニールガサなんだね」
 原田はビニールガサをつつく。
 雨の雫がコロコロと転がって、原田の染色した髪に落ちる。
「いや、確認するトコ違うから」
「ひろひろに似合ってるよ」
「そんな言葉は褒め言葉じゃないだろう」
「カサは、持ってこなかったの」
「は?
 天気予報見なかったのかよ」
 博則は呆れる。
「見たけど」
「降水確率90だぜ」
「家出る時は降ってなかったから」
「午後にカサマークついてたら、持って来るだろう。
 フツー」
 博則は原田の腕を強引につかむと、歩き出した。
 小さいビニールガサでは、相合ガサをするにも限界がある。
「そう?
 邪魔なのはキライなの」
「売店でカサ買えよ」
「止んだらいらなくなるでしょ。
 捨てるの、メンドー」
「その考え方が気にいらん」
 図書館の軒の下、博則はカサをたたむ。
「ひろひろは物を大切にする、良い子だね」
「平たく言えば、貧乏人だって言いたいんだろ?」
「個性的だよ」
「うざい」
「ひろひろ、何してたの?」
「それはこっちのセリフだ」
「ワタシはボーっとしてたの」
「屋根のあるところでやれ」
「人が多いところ苦手だから」
「嘘つくな。
 いつも、お取り巻きに囲まれてるじゃないか」
「あれは寄ってくるの。
 ワタシが砂糖で、アリみたいに」
 原田は無邪気に笑う。
 屈託のない笑顔な分、博則は複雑な気分になった。
「じゃあ、オレもアリか」
「働きアリは、大変なんだよ。
 子ども産めないし。
 ずっと、働いて、死んじゃうの。
 ひろひろ、かわいそうだね」
「同情するところ、間違ってるだろう」
「ワタシが不細工でもひろひろはかまってくれる?」
 原田は真剣な目をして、博則を見つめた。
 瞬きしない目は迫力があって怖いと思うより前に、同情していた。
 痛々しい。
「デブだったら?」
「何が言いたいんだよ」
「女は見てくれでしょ。
 だから」
「わけわからん。
 オレはお前のカレシじゃないからな。
 しかも、好みじゃない」
「ワタシのことキライ?」
 未練たらしい女の定番のセリフ。
 でも、原田が言うとそんな風に聞こえない。
「だったら、見捨ててるよ。
 原田も、女みたいなこと言うんだな」
「ワタシは女の子だよ」
「そりゃ、そうだな」
「何だと思ってたの?」
「猫」
 博則はつぶやいた。
 原田は、外見も行動も女そのものなのに、性的に惹かれない。
「ナベちゃんみたいなこと言うのね」
「悪いか?」
「ううん。大好き」
 本当に嬉しそうに原田は笑う。
 人が真に幸せを感じた時に浮かべる表情とは、このことだろう。
「田辺が男だったら良かったのにな」
「うん」
 原田はうなずいた。
 博則は止まない雨を降らす灰色の空を見上げた。
 イトオシイ、とはこんな感情だろうかと。

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