ハッピーハロウィン♪


 秋も深まり、冬と勘違いしていませんかぁ。と言いたくなる日々が続いていた。
 放課後は部活動に精を出す。
 わたしは11月の文化祭に向けて、家庭研究部で仮装を縫っていた。
 カレンダー見れば明日から月初め。
 文化祭までに間に合うだろうか。
 焦る気持ちを抑えながら、ハロウィンの仮装を完成を目指す。
 わたしは定番の魔女。
 友だちの奈津美は吸血鬼。
 たくさんの人に見てもらえるように懸命に針を動かしていた。
 地味な家庭研究部の数少ない発表の場だ。
 ここでアピールしておかなければ、未来の新入部員を確保するのは難しい。
「香澄。終わりそう?」
 奈津美が訊く。
「あと、ちょっと」
 フリル地獄に陥りながら答えた。
「それ、さっきも聞いた」
 奈津美が笑う。
 手を止め、奈津美の方を見ると完成間近だった。
 当日、化粧をすれば、立派な吸血鬼になるだろう。
「これでも頑張ってるんだよ」
 わたしは半泣きになる。
 この分だと、家に持ち帰りになりそうだった。
 デザインの段階で、フリルを減らせばよかったと後悔した。
「こっちが完成したら、手伝ってあげるよ」
 女神様のようなことを奈津美が言う。
「ホント!?」
「でも、最低限までは自力で頑張るんだよ」
「ありがとう!
 持つべきものは、優しい親友だよね」
 わたしは奈津美に抱きついた。
 奈津美の方が背が高いから、しがみつくに近い状態になる。
「香澄、針を持ったままじゃ危ないって」
「ごめんごめん」
 パッと離れ、フリル地獄に手をつける。
 お菓子を作るのは好きだが、裁縫は得意ではない。
 料理研究部があれば、そっちに入部しただろう。
 悲しいかな、家庭研究部という大雑把な部しかなかった。
 裁縫以外にも、掃除、洗濯、料理と家庭的なもの全般を扱う部だ。
 そうでもしなければ部の存続の最低人数を割ってしまう。
 部活動に入るのが必須ではないから、だいたいが帰宅部を選んでしまう。
 放課後になると一目散で、帰っていく生徒も珍しくはない。
 内訳的には、予備校に向かう生徒が過半数だ。
 残りは友だちとだらだらと過ごしながら、寄り道を楽しむ。
 せっかく高校に入学したから、青春というものを味わっておきたい。
 そんな理由で入部した。
 奈津美という親友もでき、料理以外の家庭的なものも上達した。
 入って損はなかったと思う。
 たまに、後悔するけれど。

 ガラッ

 教室のドアが無造作に開かれた。
 放課後、残っているのは自分たちぐらいなものだと思っていたからビックリする。
 背の高い男子生徒が入ってくる。
 同じクラスの桐生敬幸。
 ついでに言うなら、わたしの家のお隣さんの幼なじみ。
 生徒の過半数に入る側の人間だ。
 つまり、どこの部にも所属していない。
「香澄、帰んないのか?」
 幸ちゃんは、かったるそうに言った。
 いつでもそうだ。
 幸ちゃんはつまらなそうに人生を過ごしている。
 夢中になるものは、あるのだろうか?
 不思議になる。
「あと、ちょっと残っていようかなってとこ」
 わたしはフリルを見せる。
「もう、日が落ちたぞ」
 幸ちゃんは窓ガラスを示す。
 外は真っ暗で、欠けた月が顔を出していた。
 いつの間にか夕空を見逃してしまったようだった。
「でもー」
 渋っているわたしに
「送ってもらいないよ。
 夜道は危ないから」
 奈津美が不自然なぐらいのニコニコ笑顔で言った。
 最近、通学路に不審者が出ているという噂が広がっている。
 そんな中、一人で帰る度胸は……残念ながらなかった。
 ふいに、奈津美がわたしの頭の上に帽子をかぶせる。
「トリック・オア・トリート♪」
 奈津美が幸ちゃんに呪文の言葉をかける。
 明日から11月ということは、今日はハロウィンだ。
「トリック・オア・トリート!」
 遅れてわたしも言う。
「これは可愛い魔女さんだ」
 幸ちゃんは目を細める。
 嫌な予感がする。
「残念ながら、お菓子はこれだけだ」
 幸ちゃんは奈津美に向かって、チロルチョコを渡した。
「さすが桐生くん。
 その辺の馬鹿男子とは一味違うね」
 奈津美はちゃっかりチロルチョコを受け取る。
「わたしの分は?」
「可愛い魔女さんはどんなトリックをしてくれるのかな?」
「え!?」
 予想外の展開にわたしの心臓はでたらめな音を立てる。
「もう一個ぐらい、チロルチョコはないの?
 のど飴とかでもいいんだよ?」
 わたしは言った。
「ぜひともトリックでお願いしたいな」
 幸ちゃんはニッコリと笑う。
 雑学オタクの幼なじみが今日という日を忘れるはずはない。
 最初からトリック狙いだったに違いない。
 お菓子をもらえると思っていたので想定外すぎる。
 机の下で奈津美が上履きを軽く蹴る。
 どうやら四面楚歌のようだ。
 ちなみにこの四文字熟語は、今日授業で習ったばっかりだ。
 この場に、味方はいない。
 孤軍奮闘するような勇気もなかった。
 ちなみにこの四文字熟語も、授業で習ったばっかりだ。
 今日はどんな日だろう。
「家に帰れば、お菓子が残ってるけど。
 どうする?」
 幸ちゃんは言った。
「一緒に帰らさせてください。
 お願いします」
 本当はもうちょっと奈津美と話しながら製作をしたかったけれど、仕方がない。
 残りは家に帰ってやるしかない。
 針を針山に戻す。
「素直でよろしい」
 幸ちゃんは帽子のつばを引き下げる。
 黒い布で視界が奪われる。
「片付けはやっといてあげるよ」
 心優しい友だちは言った。
「じゃあ、さっさと支度する」
 やや乱暴に帽子をとられた。
 幸ちゃんはいつもの幸ちゃんで、意地悪な笑顔を浮かべていた。
 外面が良いというのは、こういうことをいうのだろうか。
「はーい」
 わたしはしぶしぶ魔女の服をサブバックにつめる。
 テスト前じゃないけど、夜遅くまでフリルと格闘することになりそうだった。
「頑張るのよ」
 奈津美が耳打ちをする。
 いったい、何を頑張るというのか。
 裁縫じゃないことは確かだ。
「先に昇降口に行ってるからな」
 幸ちゃんは自分の机の中からファイルを取り出すとカバンにしまう。
 どうやら、からかいに来ただけではなかったようだ。
 忘れ物を取りに来るついでに、幼なじみを回収に来たのだろう。
 一応、女の子扱いされているようだ。


 通い慣れた道を二人で歩く。
 朝は自転車や友だち同士で登校してくる生徒でにぎやかな道も、今は静かだった。
「星がきれいだね」
 わたしが言うと
「惜しい」
 幸ちゃんは言った。
「どういう意味?」
「夏目漱石って知ってるか?」
「『こころ』の人でしょ。
 ずいぶん前に国語でやったから覚えてるよ」
 テストの点は芳しくはなかったけれども。
「逸話であるんだよ」
 背の高い幸ちゃんは歩くペースを落としてくれる。
 少しかがんで
「月が綺麗ですね」
 と、ささやいた。
 ふだんよりも抑えた低い声に、ドキッとした。
 幼なじみで、ほくろの位置まで知っている相手だというのに。
「それがどうしたの?」
 ドキドキしているのをバレないように尋ねる。
「あなたを愛しています。
 日本語訳をしたら、そうなるって」
「へー」
 さすが雑学博士。
 何でも知っている。
 授業ではちっともふれなかったところだ。
「惜しかったな」
「別に、そういう意味で言ったわけじゃないし」
「期待はしてないさ」
 幸ちゃんは前を向き直る。
 そして、空を仰いだ。
「明日は栗名月こと十三夜だ。
 今年は中秋の名月を見たから、十三夜も見ないと縁起が悪いからな」
「栗の入ったお菓子なら、何でもいいの?」
「気持ちしだいってヤツだからな」
「じゃあ、マフィンでも焼こうかなぁ。
 出来上がったら、持ってくね」
 お菓子作りは手間をかけた分だけ、美味しくなる。
 お店で食べるレベルぐらいの腕前のつもりだ。
 みんな美味しいと言ってくれる。
「量は調節してくれ」
「みんなで分け合えるようにたくさん焼くのに、幸ちゃんが独り占めするからだよ」
「香澄の作った新種の化学兵器が拡大汚染されないようにしただけだ」
「何、それ。
 幸ちゃんの馬鹿!」
 わたしは幸ちゃんの腰を学生カバンで叩く。
 本当は背中を叩きたかったけれども、身長の差はいかんともしがたい。
「労力はもっと違う方面に使うんだな」
 こたえた様子もなく幸ちゃんは言った。
「今後、幸ちゃんにはお菓子はあげません」
「それは困ったな」
 余裕のある響きがした。
 何でだか知らないけれど、幸ちゃんはモテる。
 この前も、調理実習で作った菓子をもらっていた。
 あまり甘いものが好きではないはずなのに、受け取っていた。
「まあ、トリートをくれるなら、今の発言は帳消しにしてあげてもいいけど」
 わたしは胸を張る。
「お安い御用で」
 幸ちゃんは失笑した。
「そんなにお菓子ってのは魅力的か」
「胃に入っちゃえば同じって言いたいんでしょ?」
 幼なじみは、デリカシーの欠片のない言葉を吐く。
 それでもお菓子を持っていけば完食してくれる。
 小さな頃からだ。
 テンパリングを失敗して固くなったチョコも、生焼けのクッキーも食べてくれた。
 作った本人がゴミ箱に捨てたくなるような物であっても、持って行けばきれいに平らげてくれた。
「本来のハロウィンを知ってるか?」
「カボチャを飾ってある家に、仮装をして『トリック・オア・トリート!』って言って、お菓子をもらうんでしょ?」
「子ども、がな」
「いい歳して、って言いたいの?」
「一応、香澄よりも数ヶ月誕生日が遅いんですけど」
「幸ちゃんのほうが子どもだって?」
「知ってて、やってるなら別に」
 ぽつりぽつりと立っている街灯だけでは、表情が読み取れない。
 たぶん呆れてるか、笑ってるか、どっちかだとは思う。
「お祭りには便乗しないと。
 せっかく仮装するのに」
「家の親も楽しみにしているみたいだけどな、文化祭」
「幸ちゃんはクラスの催し物で、執事喫茶をやるんだよね。
 わたしも参加したかったけど文化部は、部活動優先だから」
 幸ちゃんが接客業をしている姿を見るなんてレアだろう。
 『お帰りなさいませ。お嬢様』とか、言う姿を見てみたいと思ってしまう。
「女子は裏方だから、仮装ができる部活動のほうが楽しいんじゃないか?」
「当日はチョコレートを配ってるから、休憩時間にもらいに来てよ。
 カカオ80%のビターチョコも用意してるし、ちょっとした喫茶スペースもあるから」
 そのためには仮装の完成を頑張らなければいけないわけだが。
 この調子だと、こまごまとした雑用を奈津美にまかせっきりになりそうだった。
 ゴメン、奈津美。
 埋め合わせはきっとするから。
 心の中で謝っておく。
「気が利くな」
「部の存続がかかっていますから。
 ここは気合を入れなければ、というところです」
「そうか」
 ポンポンと頭を軽く叩かれた。
 小さな子ども扱いされようで抗議しようかと思ったけれども、わたしは立ち止まってしまった。
 街灯の明かりの下、幸ちゃんが滅多に見せない笑顔を浮かべていたから。
「どうした?」
 幸ちゃんは足を止めた。
「靴の中に石が入ってたみたい」
 片足を脱いで、石を取り出す振りをした。
 トントンとローファーをはきなおす。
 小走りで幸ちゃんの隣まで行く。
 再び並んで歩き出す。
 幸ちゃんのクセに卑怯だと思った。
 数ヶ月お姉さんを子ども扱いするなんて。
 心臓が高鳴るのを抑えられない。
 病気にでもなってしまったのだろうか。
 相手は幼なじみで、いまさらドキッとするような要素があるなんて思えない。
 わたしは小さな足元を見ながら歩を進める。
 同じクラスなので、会話には困らない。
 どの授業が退屈だったか、どの先生が厳しいか。
 文化祭の準備はどう進んでいるのか。
 取り留めない話題をつむいでいる間に見慣れた門構えについた。
「香澄。手を出せ」
「え?」
 疑問符を大量に浮かべながら、手を出す。
「そうじゃなくて、こっち」
 幸ちゃんが手をつかむ。
 裏返して、手の平を上にする。
 自分とは違う大きな手は、当然のように違った体温がした。
 骨ばった手に、落ち着いていた心臓が景気良く跳ねた。
「本当はトリックが知りたかったんだけどな」
 幸ちゃんは手の平にチョコレート菓子を載せた。
 ハロウィン限定のパッケージの新味の菓子だった。
「トリック・オア・トリート」
 幸ちゃんは楽しげに笑った。
「我が家にはジャック・オー・ランタンはないよ」
 対応策は知っている。
 お菓子を持っていなくても、そういえばトリックから逃れられる。
 ハロウィンでお菓子をもらえるのは、あくまでカボチャを飾っている家だけなのだ。
「残念だな。お休み」
 幸ちゃんは離れて行った。
 最初から、お菓子の用意をしていたのに、持っていない振りをしたのはどうしてなのだろう。
 まさか夜道、独りで歩くのが寂しかったから。
 小首を傾げて考えているうちに、幸ちゃんは自分の家に帰っていった。
 玄関が閉まる音を聞いて、ハッと我に返る。
 フリル地獄が待っているのだった。
 幸ちゃんの考えていたことに、思いをめぐらしている場合じゃない。
 文化祭を成功させるために、少しでも早く、可愛らしい魔女の仮装を完成させなければならない。
 わたしは「遅かったわねー」という母の小言を聞き流しながら、部屋に急いだ。
 幸い宿題は出ていないので、裁縫に専念できた。
 奈津美特製MP3集を聞きながら、フリルを作っていく。
 いつの間にか帰ってきていた姉の朝陽が晩ご飯の準備ができたことを知らせにきた。
 針を針山に戻すと窓ガラス越しに月が見えた。
 明日は晴れるだろうか。
 思い立ったが吉日。
 自家製の栗の甘露煮でマフィンを作ろう。
 幸ちゃんと奈津美と家族の分だけ。
 まあ、幸ちゃんがお腹を壊さないように、1個だけで充分だろう。
 どうせ、また明日も同じ時間に迎えに来るだろうから、その時に渡そう。
 裁縫が続いているから、息抜きも必要。
 自分にそんな言い訳をしながら、晩ご飯を食べる。
 少しぼんやりしすぎて、姉に唐揚げを取られかかり、あわてて箸で制す。
 母も「今日の香澄は変ねー」と不安にされてしまった。
 そんなにふだんのわたしは、がっついているのだろうか。
 ちょっと幸ちゃんのことを考えていただけなんだけど。
「トリック・オア・トリート!」
 わたしは言った。
 居合わせたのは母と姉だけだが。
 父はちなみに残業で、終電まで帰れそうにないと電話があったらしい。
「お菓子は晩ご飯の後にしなさい」
 母にたしなめられる。
「後輩からもらったものだけど、食べる?」
 姉はカバンから手作りっぽいクッキーを渡された。
「朝陽も、そうやって与えないの。
 虫歯になるでしょ。
 二人ともさっさと食べなさい。
 いつまでも片付かないじゃない」
 母の機嫌は45度っと言ったところだ。
「片づけならやるよ。
 この後、お菓子作りたいから」
「あら、そう。
 お皿は拭かなくてもいいわよ。
 お湯は出しっぱなしにしないでね」
 母の機嫌はちょっと上昇したようだった。
「幸ちゃんにあげるの?」
 朝陽は、ニヤニヤと笑う。
「友だちにあげるの」
 嘘ではない。
「その友だちって男? 女?」
「奈津美にだけど」
 これも嘘ではない。
 幸ちゃんにもあげるけど、お礼をこめて奈津美にもあげるつもりだ。
「本当に色気がないわねー。
 ごちそうさまでしたー」
 朝陽は自分の分の食器をまとめると立ち上がり、シンクの中に置く。
「お姉ちゃん、クッキーは?」
 香澄は顔の横で振る。
「あげるわ。
 今日はたくさんお菓子もらって、お腹いっぱい」
 朝陽は自分の部屋に上げっていく。
「作った人、かわいそう」
「そう思って香澄が食べれば、供養になるわよ」
 母が言う。
「そういうもの?」
「そういうものよ。
 私もお父さん宛てのお菓子をいただくもの」
 食後のお茶を飲みながら母は言った。
「そうかなぁ」
 わたしは最後のカボチャの煮つけを頬張る。
 ハロウィンの夜は、いつも通りにふけていった。

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