鞠 ――きつ――

 太陽の色をした鞠(まり)がころころと足元まで転がってきた。
 青年は鞠が転がってきた方向に目をくれてやる。
 天井から床まで硬い木の格子が下りているその先を。
 闇を払う小さな灯の光に照らされた乙女は
「……朱鷹」
 嬉しそうに名を呼ぶ。
 わずかな風にも身を躍らせる炎の中、乙女の姿は星のように輝いていた。
 手の込んだ縫い取りがふんだんに施された衣は色も鮮やかで、ハッとするほど深く影が落ちる。
 その袖口から見える形の良い手は、浮かび上がるように白い。
 乙女の肩から零れ落ちた髪は、濡れ光る絹よりも艶やかだ。
 長い睫毛に縁取られた眼差しは汚れなく、青年を見つめる。
 宋家の当主の愛娘は、天界の舞人よりも美しいのではないか。
 こんな時でも、感嘆のためいきが口の端からもれてしまう。

   ◇◆◇◆◇

「朱鷹」
 つながれた手が強張っていくのを少年は感じた。
 朱鷹は父である人の表情を伺おうと、頭を上げる。
 壮年に達した男の顔は、醜悪にも歪んでいた。
 珍しい、と少年は思った。
 父にこれほどの表情をさせたものに興味を持ち、視線の行方を捜す。
 程なくして茨でできた垣根の向こうに、自分と同じ年のころの少女の姿を見つけ出す。
 華やかな絹織物を身につけ、鞠をついて遊ぶ少女は楽しそうに笑っている。
 朱鷹は首をかしげる。
 初めて見る少女は朱鷹の目から見ても愛らしく、欠点らしい欠点が見当たらなかった。
 何故、父が顔をしかめるのかわからない。
 少女がつきはぐねた鞠がころころと、朱鷹の足元まで転がってきた。
 金糸と錦糸で彩られた鞠は、まるで小さな太陽のようだった。
 拾おうと朱鷹が手を伸ばすと、つながれた左手がギュッと握られる。
 指がバラバラになってしまうかと思うぐらいに強く。
 鞠を追いかけて少女が走ってくる。
 豊かな髪が楽しげに風に舞い、綺麗な衣が風に色を添える。
 少女は蕾を宿した茨の垣根の前でピタリと止まる。
 目が会った。
 星のように明らかな瞳には、隔てのないしみじみとした光が宿っていた。
「どなた?」
 日差しのように笑みを浮かべて、少女が尋ねる。
 少年が言葉を発する前に父は強引に手を引き、朱鷹を連れていく。
 友だちになれたかもしれない、そう思うと未練が残り、朱鷹は振り返る。
 少女は茨垣の前で立ち尽くしていた。
 澄んだ瞳が朱鷹の影を追いかけている。
「あれは宋家の人間だ」
 早口で聞き取りづらかったが、父はそう言った。
 少年は残念に思ったけれど、少女から目を離した。
 朱鷹の生まれた呂家と宋家は、長いこと仲違いをしていた。
 領地が隣接していることもあって、呂家側は友好を築こうとかなりの努力をしたのだが、どうやら宋家のほうにはその気がないらしい。
 今日もまた交渉がうまくいかなかった。
 宋家の当主はとても野心家で、己の器が見えていない、と朱鷹の大人たちはささやく。
 だから、争いも避けられないだろう。と、言葉は続く。
 時代は、版図拡大を目差して相争う兆しが見えていた。
 割拠する群雄たちに飲み込まれないように、小さな家たちは集まり関係を強固にしていくことが先決と思われた。
 けれども――。
 朱鷹は寂しく思った。
 大きくなったら、あの可愛らしい少女と争うのだろうか。
 仲良くできたらいいのに、と朱鷹は思った。

   ◇◆◇◆◇

 転がってきた鞠を青年は拾い上げた。
「どうぞ」
 格子越しに鞠を渡す。
「ありがとうございます」
 宋家の姫――湖星は受け取る。
 春爛漫に開く花のような色の爪がついた手は、ほっそりとして、鞠以上に重い物など持ったことがなさそうだった。
「これで何度目ですか?」
 朱鷹は格子の近くに腰を下ろした。
「さあ? 数えていないから、わかりません」
 おっとりと乙女は小首をかしげる。
 華やかな衣に艶やかな髪がサラサラと零れ落ち、クモの糸よりも繊細に広がる。
 仕草ひとつが舞であり、爪の先まで芳しい香りに満ちていた。
「大切な鞠なのでしょう?」
「ええ、大好きな鞠です」
 宝物のように鞠を抱きかかえ、湖星は言う。
「では、どうして転がすのですか?」
「朱鷹がちゃんと拾ってくれるでしょう。
 だから、大丈夫です」
 湖星も格子の傍に座る。
 花の色の衣が柔らかく広がるさまは、蕾が開くのによく似ていた。
 朝になるのを待ち、陽光の中、ゆるりと花弁を開く様に。
 瞬くのが惜しくなり、朱鷹は裾が宙に広がっていく先までを注視した。
「今日は朱鷹に訊きたいことがあってきました」
 緊張した面持ちで湖星は言う。
 重大な用件なのだろうか、と朱鷹が気を引き締めると
「星とは、どのようなものなのでしょう?」
 大真面目に湖星は尋ねる。
 朱鷹は拍子抜けた。
「わたくしは真剣です!
 朱鷹でしたら、教えてくださると思っていました」
 傾城とも、傾国とも、たたえられる顔が曇る。
「宋姫殿は星をご覧になったことがないのですか?」
 湖星の子どもじみた仕草に呆れながら、朱鷹は問う。
「ええ。ですから、知りたいのです」
 乙女は懇願するように青年を見つめる。
 長いまつげに縁取られた澄んだ双眸は、えもいわれぬ魅力があった。
 堅い木の格子が邪魔しなければ、手を伸ばして抱きしめたくなるような。
 無垢なものに対して湧く憐憫と美しいものに対して湧く感嘆が、ゆるゆると折り重なったような美しさだった。
「星とは貴方の瞳、そのものですよ」
「まあ! 馬鹿にしています。
 朱鷹までみなと同じことを口にするとは、わたくしは思ってもみませんでした」
 湖星は憤慨する。
「みなとは、誰と誰のことですか?」
「璃桜に、貞蓮に、淑桂……それに」
 細い指先が名前と共に折られていく。
「もう結構ですよ。
 つまり侍女たちがそう言うのですね」
「まだいます! わたくしのお父様も……」
 乙女は目を瞬かせ、それから朱鷹の視線を避けるように顔を伏せる。
 細く白い指先が神経質に鞠をなでる。
 間の外れた沈黙が漂った。
 息が詰まる、というほど重くもなく。
 居心地が良いというほど軽くもなく。
 朱鷹は困ったように微笑んでから、口を開いた。
「星は夜空に輝く、小さな灯のようなものです。
 ちょうど、この檻を照らす灯燭のように、夜を照らすのです」
 昨晩、窓越しに見た夜空を思い出しながら、朱鷹は話す。
 墨というよりも青い空。
 瑠璃と呼ぶには深みのある色をした空に、白刃のような光が煌く。
 近いようで、決してつかめない光。
「それは……素敵ですね。
 夜は真っ暗で恐ろしいと聞きますが、思ったよりも美しいものなのですね」
 湖星は夢見るようにささやいた。
「星空を見たことは?」
「ありません。
 日が暮れると鬼がやってくると侍女たちは言うのです。
 わたくしのような世間知らずは、さらわれてしまう、と」
 花弁のような唇が重々しくためいきをつく。
 侍女たちの言葉は大げさだが、このように美しい姫であれば、さらって妻にしたいと思う男も多いだろう。
 宋家の一人娘だということを重ねて考えれば、当然の配慮と言ったところだ。
「星を見てみたいと思います。
 朱鷹の話を聞いて、もっと見たくなりました。
 ですが……」
 湖星は静かに首を横に振る。
 ご覧にいれよう、と朱鷹が口にすれば嘘になる。
 格子がそれを邪魔するのだ。
 たとえ格子がなくても、星空の下を呂家の息子と宋家の娘が一緒に歩いていたら、火種になるだけだ。
 時代は絶えず変化し、状況は常に変動する。朱鷹が鞠を拾うことができなかったあの時代よりも、世界は厳しくなったのだ。
 武力を持つ者が正義となる。
 そんな方向へ流れていく。

   ◇◆◇◆◇

 誰にも見咎められることなく、格子越しの会話は続いた。
 季節が一つ、二つと巡っても、変わらずに宋家の姫は鞠を転がして、呂家の息子がそれを拾う。
 堅牢な木の格子。
 壊そうと思えば、壊す機会はいくらでもあったのだろう。
 二人はそれについてふれなかった。
 格子がなければ、二人は会話することができなかった。
 格子越しだからこそ、言いたいことが言えたのだ。
 もし格子がなかったら――。

   ◇◆◇◆◇

「朱鷹」
 鞠は転がってこなかった。
 湖星がその日、手にしていたものは鞠ではないものだった。
「大変なのです」
 紙のように白い顔で湖星は言う。
 おぼつかない足取りで格子の傍による。
「湖星?」
「どうしていいのか、わたくしにはわかりません。
 でも……、とにかく大変なのです!」
 湖星は鬼にとりつかれたように告げる。
 それでも、不安に揺れる瞳は星のように美しく、不安を訴える唇は花のように可憐だった。
「落ち着いてください。
 何があったのですか?」
「ああ、こうしている間にも、時間は流れてしまいます。
 手遅れになってしまう前に」
 湖星は鞠の代わりに、それを朱鷹に手渡す。
 冷たい金属の感触に朱鷹が事態の重さを再確認する。
「逃げてください!」
 湖星の声は金切り声だった。
「何があったのですか?」
「わかりません。
 ただ、武器を持った人たちがたくさん屋敷を囲んでいるのです。
 皆さん、とても怒っていて」
 小刻みに首を振る。
 朱鷹は錠に鍵を差し込む。ガチャリッと音を立て、錠は床に落ちた。
 抵抗感を覚えながらも、朱鷹は格子の外へ出た。
 快適な囚人生活であった。
 時に、己が囚われていることなど忘れてしまうほど自由であった。
 読みたい本が読め、世話係の下男までつけてもらえ、週に数度は監視つきとはいえ散歩が許された。
「早くお逃げください!
 わたくしたちは、何かを間違えてしまったのです。滅びるのも、また定めです。
 ですが、朱鷹は違います」
「取り囲む者たちの旗は、どんな旗でしたか?」
「……旗?
 それは、その……。色は赤のようだったような。
 宋の青とは、まったく違う色で。外が暗くて……よくは」
 湖星は頬に軽く手を当て考え込む。
「実際に見たほうが早いですね。
 案内してください」
 朱鷹は湖星の手をつかんだ。
「きゃっ! あ、は、はい!
 あのこちらからが……」

   ◇◆◇◆◇

 宋家が攻めてきたという報告を聞いたときに、朱鷹の胸によぎったことは「やはり」という事実を確認する言葉だった。
 避けることはできないのだろうか。
 そう思った次の瞬間には、己の考えを打ち消していた。
 刃を交える。
 この運命を避けることはできない。
 今まで、呂家はこの日がやってこないために努力をし続けたのだ。
 いや呂家だけではなく、周辺の名だたる家々でも同じような努力をしてきたはずだった。
 婚姻を結び、血縁となる。
 あるいは養子を迎え、絆を強固にしていく。
 宋家はそれを拒み続け、独りで乱世に出て行こうとしていた。
 器があれば、宋の名の下に大陸は統一されるだろう。
 それに逆らうほど力も気概も、呂家にはなかった。

「朱鷹」
 父が朱鷹の手を握る。
 そこには、かつてのような力はなかった。
「行ってまいります」
 青年は床につく老年に差しかかる男を見た。
「後顧は、伊家の雨幻殿が引き受けてくださいました。
 何かあったら、そちらへ」
 朱鷹は姉の嫁いだ先の名を挙げる。
「死んではならない」
 年老いた男は言う。
「もし私が戻らぬことがありましたら、養子をお取りください。
 幸いなことに我が家には、宋家とは違って親類が星の数ほどいます」
 朱鷹は微笑んだ。
 ギュッと手に力が加わったことがわかる。
「私の息子は、お前ひとりだ」
「ありがとうございます、父上」
 青年は一礼して、父の寝室を後にした。
 これが見納めになるかもしれないと思うと、しんみりとした気分になり夕焼けに染まる庭に出た。
 これから流れる血を暗示させるような、紅に染まる西に背を向けて、空を青年は見上げる。
 どうして自分には男の兄弟がいないのだろう。
 子宝に恵まれた父ではあったが、無事成人した男は朱鷹ひとりきりだ。
 兄がいれば、朱鷹は好きなだけ本を読み、のんびりとした生活を送ることができただろう。
 弟がいれば、安心して後事を託すことができただろう。
 どちらもいないし、どちらもできない。
 心配事は山のようにある。
 それなのに、朱鷹はここを発たなければならない。
 ひとり、生まれ育った家の庭に別れを告げる。
 何の気なしに目についた生垣には、密やかに蕾が息づいていた。
 この花が咲くところを自分は見ることができない。
 朱鷹は空を仰いだ。
 まだ月もない空に、気の早い銀の星が輝いていた。

   ◇◆◇◆◇

 人気のない庭を二人は小走りで通り過ぎる。
 茨が咲いたのだろうか。
 夕闇の中、甘い香りが漂っていた。
 人の輪郭だけが暗く目に映る黄昏時だったのは、好都合だった。
 どちらの警備も薄い場所から、朱鷹は武装した集団を見やる。
 かろうじて見えた旗印は『伊』。
 呂の北西に領地を持つ家だった。
 朱鷹の姉に当たる女性がその家の嫡男に、一年前に嫁いだはずだった。
「何故、伊家が……」
 朱鷹は茨垣に身を隠す。
 武装した兵士は統制が取れていて、屋敷を取り囲んでいるだけのようだった。
 すぐさま交戦となる可能性は極めて薄い。
 武力を頼っての交渉と言ったところだろうか。
「朱鷹。あれが星ですか?」
 すぐ隣の気配が暢気なことを尋ねる。
 見上げれば東側の空に星が輝き始めていた。
 こんな時でも、空は美しい星空を連れてくる。
「わたくし、もう満足しました。悔いはありません」
 湖星はフラッと立ち上がろうとする。
 朱鷹はその袖をつかんで無理やり座らせる。
「兵に見つかったら、どうするつもりですか?」
「そのほうが良いと思います。
 わたくしは宋家の人間です。
 あの方々は、わたくしたちに用があるのでしょう。だから、ああしているのです」
 先ほどまでおびえていた人物とは別人のように、湖星は微笑む。
「交渉に当たるのは貴方の父君で良いでしょう。貴方は女性で」
「いいえ。
 ……お父様は……逃げてしまいました」
「逃げた?」
 朱鷹は目を見開く。あの宋家の当主が娘を置いて逃げたとは思えない。
 恐らくは――。
 言葉を疑うことを知らない姫君は話を続ける。
「はい。それでわたくし、驚いてしまって。
 とにかく朱鷹だけは逃げてもらおうと思って、それで……。
 ですが、腹も決まりました。
 大丈夫です」
「何が大丈夫なのですか? 女性の貴方が何ができるというのですか?
 私のところまでふらふらと来たところを見ればわかります。
 旧臣たちは、貴方のことなど何とも思ってはいないのです。
 伊家の人間でしたら、なおのことです。
 良いようにされるだけです」
 朱鷹は言った。言いすぎだとは思ったが、強く言わなければ深窓の姫君には伝わらないだろう。
「交渉は失敗します。どれほど血が流れると思っているのですか?」
 青年は乙女の肩をつかむ。
 湖星は弱々しく首を横に振る。
「……朱鷹。わたくしは、あなたに逃げて欲しいだけなのです」
 しぼりだすように湖星は言う。
 心からの言葉だろう。
 善意と親切心にあふれた声が紡ぐ。
「伊家の方に何の目的があるのかは、わたくしにはわかりません。
 ですが、関係のないあなたが巻き込まれて良いはずがありません。
 それだけはわかります」
「いいえ、わかってはいません。
 捕虜になった時点で、私は関わりを持ったのです!
 ここに私がいるのは伊家の者たちも知っているはずです。私だけが逃げることはできません」
 捕虜として過ごした一年は長かった。
 敵の姫君に情が移るほどには、長かったのだ。
 見捨てて、生き延びることなどできなかった。
「朱鷹……」
「貴方が宋家の当主として、伊家の者たちと話し合うというなら、末席を汚すことを許してください」
 愚かな選択だとわかっている。が、この姫の将来を守ることができるかもしれない。
 だから言わずにはおられなかったのだ。

   ◇◆◇◆◇

「呂朱鷹か」
 そう尋ねられたとき、自分の命はここで終わるのだ。と朱鷹は自覚した。
 冷たい銀の切っ先が朱鷹の首筋に当てられた。
 さほど歯こぼれしていない剣は、肉に食い込む。
 わずかにでも力がこもれば、たちまちにして朱鷹の皮膚は破れるだろう。
 幸運と喜ぶべきなのだろうか。
 体躯に恵まれた男の背後の旗は『宋』の字があった。
 跳びぬけて豪華で大きな旗を許されるのは、当主のみだ。
 名もない兵に首を落とされ、金塊と交換されるような惨めな死ではない。
 宋家の当主は野心家と聞くが、野蛮とは聞かない。
 戦場での評判は『勇猛果敢』。
 評判どおりなら、なぶり殺しにされることもないだろう。
 最後まで交戦するべきなのだろうが、あいにくと朱鷹にそんな覇気はなかった。
「そうだ」
 愚かな選択だとは思わない。
 朱鷹は返事をした。
「死が怖くないのか?」
 男は尋ねる。
 あまりに陳腐な言い回しだった。
 死が怖くない人間は少ない。
 それ以上に、死に臨むときの心得を知らない人間は少ない。
 生き恥を晒すという言葉があるように、潔く死を選ぶことを良しとする風潮があった。
 醜く逃げ回って、あがなうことができるのは、五拍もあるのだろうか。
 朱鷹の身体能力では、ないような気がする。
「充分な理由があるのならば、怖くはない」
 ここは戦場で、宋家と呂家は敵対している。
 朱鷹には逃げ場も、隠れる場所もない。
 あるのは、この身ひとつだけだ。
「お前が死ねば、呂家は滅びるのだぞ。
 恐ろしくはないのか?」
「父の子は私ひとりだが、呂の姓を名乗る男は多い。
 そう思っているのは、貴殿だけだろう」
 言わずにはおられなかった。
 己が死んでも、呂が滅びることがない。
 その事実を伝えずにはいられなかったのだ。


   ◇◆◇◆◇

 すでに会談は始まっていた。
 湖星はいるだけ邪魔だと言われたようなものだった。
 武装した兵に囲まれての話し合いは、形式さえ整えれば良いという伊家の傲慢さがにじんでいた。
 が、それも湖星と朱鷹が話し合いの場に現れると一変した。
「朱鷹殿、ご無事でしたか」
 姉の夫である雨幻が親しげに声をかけてきた。
 伊家の嫡男がこのような場所にいるのにも驚かされたが、軍勢を率いてきたのもこの男性らしいということが、それに輪をかける。
「再三の申し入れ、叶えてくださり光栄ですぞ。
 宋姫殿の噂はかねがねと。天女のようにお優しいというのは詩人たちの妄言ではなかったようですな」
 雨幻は湖星に拱手する。
「お初にお目にかかります。どのようなご用向きでございますか?
 わたくし、存じておりませんの。
 よろしければ、今一度お話のほうをお聞かせくださいますでしょうか?」
 湖星はおっとりと微笑んだ。
 その落ち着きが見せ掛けだということを、鞠を捜す右手が証明していた。
「戦などやめて、仲良く手を携えていきましょう。
 先々代からの願いでございます。
 宋家側の歩み寄りとして、呂家嫡男の朱鷹殿の解放を、この伊家の当主雨幻は願っております」
 雨幻は言った。
 ああ、それで。と朱鷹は納得した。
 伊家で世代交代が起こったのだ。
 日和見主義の先代が亡くなり、姉が夫をたきつけたのだろう。
「それは、わたくしの望みと同じです。
 仲良くいたしましょう」
 湖星は心からの笑顔を見せた。

   ◇◆◇◆◇

 紅葉した茨垣を回って屋敷に向かう足元に、太陽色の鞠が転がってくる。
 朱鷹は腰をかがめて、それを拾う。
 鞠の転がってきた方向を見れば、色づいた木々たちもあせて見えるほど美しい乙女が立っていた。
「これで何度目ですか?」
「さあ。数えていないのでわかりません」
 湖星は嬉しそうに微笑んだ。
「どうぞ」
 朱鷹は鞠を手渡した。
「最近は朱鷹が拾ってくれないので、自分で拾いにいくのです」
「自分のことを自分でするのは、良いことですね」
 久しぶりに会うのだが、宋家の姫は変わっていない。
 仙女のように麗しい姿かたちで、子どものようなことをする。
「それを寂しいと思ってはいけないのでしょうか?」
 湖星は言った。
「私は貴方の鞠拾いですか?」
 朱鷹は苦笑した。
 乙女は抱えた鞠を大切そうになでる。
「ほら、一度。
 声をかけたのに、無視されたでしょう?
 鞠を転がすと、朱鷹が話しかけてくれたから……それで」
 うつむいたまま湖星は言う。
「そんなに私と話をしたかったのですか?
 光栄ですね」
「お友だちになりたかったのです。
 ……今は。その。……友だちになれましたか?」
 匂うような乙女は難題を吹っかける。
 どう答えるべきか、と朱鷹は頭を悩ませた。
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