三十一文字の想い

 私はそっと窓辺に寄る。
 放課後の教室は貸し切りだ。
 窓を少しだけ開ける。
 ここからは、よくグラウンドが見える。
 制服のスカートの上に置いた本が待ちぼうけをしている。
 授業で習ったばかりの和歌が載っている、ちょっと重たい本だ。
 教科書よりも重く、副教材よりも重い。
 そして、私の心よりは軽い。
 好きな相手が有名人だと助かる。
 その日、一日、その人に会えなくても、噂話が自然と集まってくる。
 彼が一日、何をしていたか、手に取るようにわかる。
 近づきたいなんて思わないから、せいぜいグラウンドを見るだけ。
 耳を澄ませな、ここまで彼の笑い声が聞こえてきそうだ。
 きっと、彼は私を認識していない。
 クラスも違えば、委員会も違う。
 同じ部活に入っているわけでもない。
 共通点は、同じ学年だけだ。
 彼のことを好きな女子生徒はたくさんいたし、勇気のある子は告白をしていた。
 バレンタインデーにはチョコレートをいっぱいもらっていた。
 結局、私は用意したものの、手渡すことはできなかった。
 今も私の部屋の勉強机に、可愛らしくラッピングされたチョコレートは載っている。
 出番がないままに。
 それでもいい。
 それでも幸せだった。
 もうすぐこの時間も終わりを迎えるけれども。
 卒業式が待っている。
 彼の目指す大学と私の進む進路は違っている。
 グラウンドを走る彼と、窓際でひっそりと見ている私がかけ離れているように。
 想いは伝えた方がいいのかな。
 本に視点を転じる。
 片想いの和歌ばかりが並んでいるページを見る。
 昔から、切ない想いをしてきたのは一緒らしい。
 私の想いも三十一字に詰め込んでしまえればいいのに。
 そして、いつか誰かの目に留まればいいのに。
 馬鹿らしいと思われるだろうか。
 女々しいと思われるだろうか。
 たった一言、言えれば変わるのだろうか。
 きっと変わらない。
 長い人生の中で、すれ違っただけの『恋』だった。
 視界にすら入っていない。
 だから『サヨナラ』までの時間を大切にしようと思う。
 一秒でも長く。
 一瞬でも長く。
 窓際に座って、彼の姿を追いかける。
 膝の上に置いた三十一文字の想いを載せて。

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