The Gift 06

 すっかり外は夜だ。
 これから帰って晩ご飯の支度をしていたら、今日はほとんどゲームにログインできないだろう。
 それにずっと携帯電話を切ったままだ。私の番号を知っている者は少数だからいいものの、《黄昏》はどうするつもりなのだろうか。
「携帯電話の電源を入れなくていいのか?
 心配している人も多いんじゃないか?」
 私は気になっていたことを質問する。
「帰ったら留守番サービスやメールが溜まっているだろうな。
 パソコンの方も変わりがないだろうが」
 《黄昏》はあっさりとした口調で答えた。
「だったら、どうして?」
「年に一度の誕生祝いだからな」
「他の時は電源を入れているじゃないか」
「携帯電話が鳴るだろう?」
「そうだな」
 私はうなずく。
「デートの邪魔をされて寛大になれる男がいるとしたら見てみたいものだな」
「……そうか、デートだったのか。
 休日に、いつもと違った服を着て、待ち合わせをして、わざわざ電車に乗って、美術館に行って、一緒に食事をする。
 確かにデートだが、中学生並みのような気がする」
 私は一つ一つ確認する。
「露骨に誘ったら、拒否されるだろうが」
「それには反論できないな。
 社会人らしいデートに誘われていたら、私と《黄昏》らしくない」
 もっとも一般的な社会人らしいデートといいうのは友人が勧めてくれたドラマや本の中にしかなかったけれども。そんなことをされたら、確かに違和感を覚えていただろう。白い大きな箱以上に。
「だから誕生祝いって口実を作り続けていたんだ。
 どうせ異性として意識されていないだろうな、と思っていたしな。
 頼りになる保護者か兄ぐらいの意識だろう、と考えいていた。
 一方通行だと思っていたんだ。
 お前が『私たちの関係は歪すぎる』と言い出すまで、気がつかなかったぐらいだ」
 ネタ晴らしをするように《黄昏》が言う。
「そうか。私は白い大きな箱が贈られてくるたびに疑問に思っていたのだが。
 《黄昏》が無駄なことを好むとはいえ、逸脱しすぎている、と。
 いつまで続くのかと考えていた」
「じゃあ、作戦は成功していたわけか。
 気になるぐらいには印象を残していたんだからな」
「どういう意味だ?」
 私は訊いた。
「興味がなければ受け取るどころか、あっさり捨てるだろう?
 だいたいそういうパターンだった。
 物に執着しないどころか、生活する気もほとんどなかった。
 いつだって死にたがっていた。
 希死念慮を抱えこんでいた。
 消極的な自殺なら何度もしていたし、常習化していた」
 《黄昏》は淡々と語る。
「《黄昏》は私に死んでほしくなかったのか?」
 私の周囲には善良な人が多いから期待を裏切りたくなかった。優しくしてくれる度に、生かされていることに感謝していた。だから、その人のために生命を断つという選択をするわけにはいかなかった。
 だが、どこかで死を渇望していた。善良な人々に置いていかれるぐらいなら、一秒でも先に死にたかった。身近な死というものは喪失感が大きすぎる。その中で最たるものが《黄昏》だったのだ。
 もし《黄昏》の名残りを遺していってくれれば違うのかもしれないが、その点に関しては《黄昏》は薄情だった。《グングニル》のように血が繋がる子どもを遺してくれれば、すでに姻族と呼ぶには遠すぎる血族だが、甥や姪のように可愛がることができるだろう。半分は《黄昏》の遺伝子なのだ。似ているところも多いだろう。
 だからこそ、早いところ『結婚』をしてほしかったのかもしれない。たとえ子どもができなくても、《黄昏》が選んだ女性だ。義理の姉のような感情をいただけたかもしれない。
「だからオンラインゲーム依存させたんだろうが。
 月額課金なら金銭が関わってくるなかなか引退できない。
 ログイン日数が必然的に増える。
 生きるための執着になる。
 コツコツとこなす退屈な作業であっても数に見える達成感。
 誰かの役に立っているという自己肯定感。
 MMORPGで一番感謝される職業はヒーラーだからな。
 しかも長く続く高レベルのヒーラーは貴重だ。
 チャットだけとはいえ対人関係になる。
 ギルドに入れば、多少のマナーが求められる。
 定期的な運営側のイベントは時間厳守だ。
 規則的な生活を求められる」
「認知療法の一種だな。
 ずいぶんと面倒がいいな」
 私の病的には、的確な治療法だ。幼い私は薬物治療を受けなければならないほど、ひどい症状だったのだ。しかも体が成熟していない子どもには、飲むには危険性の高い薬ばかりだ。当然、主治医は慎重になったし、周囲は過敏になった。幼い私は自分の病気を認識していなかった。断薬をくりかえしていた。
「最初は妹だと連れてこられた時は困惑したさ。
 しかも面倒を見ろ、と言われたからな。
 猫の子を拾ってくるわけじゃなくて、一人の人生だからな」
「いくら両親に頼まれたからといって、そこまで背負う必要はなかったんじゃないか?
 あの当時《黄昏》は大学生だった。
 一般的には遊びたい年頃だろう?
 それに私は中学生だった。
 自分で言うのもなんだが恋愛対象には見られないだろう?
 『光源氏計画』という言葉もあるが、境遇から同情的にはなっても、清潔感のない陰にこもる相手だったはずだ。
 今も大差はないのかもしれないが。
 私の立場からすれば《黄昏》が一番身近にいて、親身になってくれる異性であり続けたから、無意識化に恋愛対象になっていたかもしれない。
 多感な時期だ。恋に恋する年頃だったわけだし。
 初恋、だといえばそうなるな。
 おかげさまで異性に対する基準がすっかり《黄昏》になってしまった」
 私は過去を振り返りながら話す。出会った時にはすでに《黄昏》は大人だった。そんなものに初恋をしたのだったら、同級生は子どもにしか見えないだろう。それに思春期における精神的成熟は女性の方が早い。年上の男性に憧れるものだ。恋愛小説でも良くあるパターンだが、先輩や学校の先生に初恋をする。もちろん男性側はそんなことも百も承知で、傷つかないように適当にあしらう。だからこそ、初恋は実らないという言葉が定番化するのだ。
「ずいぶんと前から熱烈に想われていたんだな」
「そうか? 刷りこみに近いと思うが」
 私は小首をかしげる。
「もうちょっと自覚を持ってくれ。
 所詮、俺もそこら辺の男と変わらないわけだ。
 しかも重度なインターネット依存症で仕事中毒だ」
「何を?」
「自分が美人の範疇に入ると思っていないだろう?
 しかもある程度の男が好むタイプだ。
 ヲタクもそうだが、自分に自信があるタイプだったら堕ちる。
 今時、スレてない。
 言われたことを忠実に守ろうとする。
 命令すれば自分の言いなりになるほどの主体性のなさだ」
「美人?
 よくわからない感覚だな。
 異性と付き合った経験がない。
 一応は《黄昏》の母校に通ったが、共学だったのに告白されたこともなかったな。
 高校生ぐらいなら、それなりの恋愛経験があってもおかしくはないはずなのだが。
 どうしてだろう?」
 振り返ってみれば異様な事態だ。どうして気がつかなかったのだろう。
「どこに通っていたかも自覚がないな。
 徒歩圏内だから選んだだけだろう?」
「電車を一人では乗れないからな」
「あそこは全国レベルの進学校だ。
 普通に東大とかストレートで目指す人間ばかりが揃う。
 恋愛を楽しむよりも、受験に必死な奴らがばかりだ。
 しかもお前は帰宅部よろしく、部活動に入っていなかったからな」
 《黄昏》は呆れたように言う。
「病院に通院していたのだから仕方がないだろう。
 しかも複数の箇所だ。
 当時から多大な迷惑を《黄昏》にはかけてきたわけだが」
 すでに就職をしていた《黄昏》に通院の手伝いをしてもらっていた。電車に乗るのも、待合室で一緒にいてくれるのも、時には今後の治療方向についても同席してもらっていた。
 《黄昏》は仕事で忙しかったはずなのに。
「交友関係の話を聞く限り、女友だちばかりだ。
 個人的に男に近寄って行かなかったんだろう?
 苦手教科もあったが、基本的に成績も上位をキープし続けてきた。
 学校内では本ばかりを借りてきていた。
 しかも高校生が好むような本ではなく、哲学書や心理学や古典だ。
 そこから弾きださせる結論は、高嶺の花だ。
 振られるのが怖くて、告白ができる度胸がなかった男子生徒が多かったんだろう?」
「高嶺の花? 何となく違和感のある言葉だな」
 私は目を瞬かせる。それに成績をキープし続けたつもりはない。結果的にそうなっただけだ。学生の本文は勉強なのだから、せっかく通わせてもらえたのだから義務だと思っていた。
「俗に胃袋をつかむ、という言葉がある。
 料理上手も自覚がないだろう?
 そこら辺の店で食べるよりも味が悪くないどころか、気配りが行き届いている。
 しかも掃除も洗濯も完璧だ」
「それは《黄昏》の母が教えてくれたからできるようになっただけだ。
 生活能力が皆無だったことは《黄昏》だって知っているだろう?
 むしろ中学生の頃は、《黄昏》の料理を食べていたような気がする」
「しかも外食をすると割り勘にしたがる」
「そうは言っても《黄昏》が割り勘にしてくれたことがないような気がするのだが?」
「デートに誘われた女は、普通は男に奢らせるものなんだよ。
 一緒に食事をしたんだから、充分でしょって。
 財布を出すアピールをするだけでもまともな部類だな」
「収入がある以上、そういう金銭感覚はどうかと思うのだが。
 もしかして男性のプライドを傷つける行為なのか?」
 私は疑問に思ったことを質問する。あまりにも社会を知らないためにマナー違反をすることが多々ある。特に恋愛に関しては経験が皆無だ。今だってそうだ。《黄昏》の誕生祝いがデートと呼ばれなければデートだと思っていなかっただろう。
「逆だ。
 軽い遊び相手とか、恋人とかじゃなくて、本気で結婚を考えたくなるタイプなんだよ。
 堅い職業に就いていたり、高収入の男だったら、専業主婦になってほしいと思うわけだ。
 ネットゲームで散財しているような男たちは、だいたい株とか、どっかのIT社長とかで暇しているような奴だからな。
 普通の女ならインターネットで長時間ログインしていたらドン引きする。
 趣味が共通の方が夫婦仲は良くなるだろう?
 さらにネットゲームするにしては若いし、独身どころか、未婚だ」
「オフ会に出るのを《グングニル》から止められるのは、そういう点なのか。
 てっきり私が集団が苦手だから気を使ってくれているのかと思っていた。
 《黄昏》の話ばかりを聞いていると、まるで自分が好物件のようだな。
 見てくれだけだが」
「なんで他人事なんだよ。危機感を持てないのか?」
 《黄昏》がためいきをついた。どうやら呆れるような回答をしたらしい。
「逆に、何故《黄昏》が独身だったのかがわからない。
 私のようなお荷物がいたとはいえ、女性にモテないのか?
 高学歴、高収入、高身長、私が面食いといわれたのだから、美形なのだろう?
 教員免除状も持っているし、TOEICの点数も悪くないどころかネイティブ並みだ。
 学生時代には第二言語でフランス語をとっていたのに、暇つぶしにラテン語やエスペラント語まで手を出していたからな。
 外資系企業で働いていて、実績も評価されている。
 一度見たことは記憶できるし、過去に受けたIQテストも130以上あったと聞く。
 いわゆる天才と呼ばれるのだろう?
 それなのに社交性も高く、人当たりもいい。
 ギルドのメンバーからは慕われている。
 何度か《グングニル》と一緒にオフ会にも参加している。
 学生時代も、就職してからも、出会いはそこそこあったと思うのだが?」
 私は不思議に思ったことを尋ねる。私よりも好条件が揃っていると思う。《黄昏》自身がその気がなくても、女性が放っておかないだろう。モラトリアムが許される大学生とその道のプロになるための専門学生とは違う。
「さっきプロポーズを受けたばかりのお前が言うのかよ」
「……白い大きな箱を初めてもらったのは約5年前だ。
 18歳の時だな。高校を卒業したばかりの専門学生だった。
 ということは、その時にはすでに恋愛対象だったのか?」
 私は実感を持てないままに尋ねた。異性として魅力的だとは思えなかった。それは今でも感じていることだった。欠点だらけの私で良かったのだろうか。
 同情や憐憫から始まる恋もある。連れ回された映画でその展開を見たような気がする。すでに気持ちを知っていてほしい、ということだったのだろうか。それとも無意識的な選択だったのだろうか。あるいは恋愛感情の多種性を示したかったのだろうか。本人に訊いていはいけないような気がする。
 それにギャルゲーの後輩タイプのキャラクターは永遠の人気キャラだ。むしろ高嶺の花のヒロインよりハマる男性陣の方が多いだろう。私はあまりわからない感覚であったが、そういう物事で男性陣が白熱する口論――チャットだが――する姿を目撃するのは珍しくない。
 《黄昏》はドライであったから、自らの好みを明言することはなかったように記憶している。人との距離を取り、争いごとを避ける体質であった。
「じゃなきゃ、就職していたのに、そこまで構わないだろうが」
 もっともなことを《黄昏》が言った。一般的な恋愛感情における男性心理の一つだ。英雄的な行動をしたがる。つまりは女性を気にかけ、守ろうとする。
 私と《黄昏》の場合は特殊ケースすぎた。私は守られるのが当然だと思いこんでいた節がある。私が《shi》という名をハンドルネームで決める前から、すでに守られてきたのだ。てっきり血の繋がらない兄として、世間知らずな妹を見守っているのかと思っていた。
「なるほど、意外に長期戦だな」
 私はオンラインゲームでのロールを思い出す。どんなゲームをしていても、《黄昏》はダメージディーラーを選ぶことが多かった。パーティーを組む必然性のあるゲームでは比較的人気職だが、ヒーラーとしてはあまり嬉しくはない職業ではあった。パーティがー崩壊しかけた時に、もっとも早く見捨てなければならい職業だからだ。優先順位は低い。むやみに回復をかけてはいけないし、ダメージディラーがヘイト管理をする時はたいていロスト――死亡する時だ。もちろん死亡すればペナルティがつけられる。たいてい経験値が減らされるのだ。
 もっとも立ち回りが上手な《黄昏》がそんなへまをするところは見たことはない。ごく普通に、単独で狩りをして経験値を積んでくるのだ。地道な作業であろう。
「残念ながら諦めの悪い性質だからな」
 《黄昏》は言った。
「恋の賞味期限は3年だという論文を読んだことがある」
「俺は愛している、と言ったつもりだったんだが」
「……そうか永続か。プラグマだな。ずいぶんと哲学的だな。
 一般的な過程をすっ飛ばしているからそういう理論になるとは思わなかった。
 確かに私たちの間にあるのは『愛』だな。
 ただ友愛なのか、家族愛なのか、区別はつかないが」
「是非とも、そこにエロースも含んでほしいんだが」
 《黄昏》が苦笑する。
「男性ならば当たり前の感情だな。
 ふれられることに不快感がない、ということは難しくはないのだろうが、私には理解できない類の欲だな」
 結婚するということは、そういうことだろう。夫婦になるのだから当然の権利だ。肉体関係を持つのは明文化されていないものの、民法の規定における貞操の義務だ。それが原因で離婚する可能性は珍しくもない。ある程度のスキンシップは愛情の確認になるはずだ。知識としてはあるが、自分には実行できるのだろうか。未知の領域すぎる。私の性的自認がアセクシャルに近いのだろうか。
 すでに民法第770条の不貞行為である「配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき」に引っかかっているのだ。それを乗り越えてまで《黄昏》は『結婚』をしたいと言ったのだ。

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