還る場所

「ここは変わりませんね」
 ソウヨウは呟くように言った。
 鷲居城のたたずまいは変わったというのに、奥庭にある花薔薇の院子は変わっていなかった。
 咲き揃う花の形までが想い出と重なる。
 ソウヨウが過ごした十二歳の冬から時間を重ねたとは思えない。
「お兄様もここだけは変えられなかったみたい」
 生きる花薔薇は楽し気に笑いながら、歩いていく。
 ソウヨウはその後ろを追いかける。
 まるで成人前の子ども時代に戻ったようだった。
 鷲居城の花薔薇の院子で一つだけ年上の少女の背中を追いかけ続けていたように。
 あれから背丈は伸びて、力もついた。
 法の番人の白い鷹のように厳しい南城の城主。
 計略の奇才。
 そう呼ばれていたのに。
 それでもソウヨウは変われていないような気がした。
 ようやく髪を結い上げられるだけの長さまで伸びた赤茶色の髪。
 サラサラとしていてさわってみたい、と思った。
 紅で染めた鮮やかな特級品の絹の衣。
 ソウヨウの小字を綴る声は鈴の音のように澄んでいて朗らかだ。
 笑顔は裏表がなく、素直で、羨ましくなるほど美しかった。
 甘やかな花薔薇の香りまで一緒だ。
 いつだって想い出は鮮明だ。
 ソウヨウは曖昧な目の色を細めた。
「鳳様でもできないことがあるのですね」
 ソウヨウが生まれ、落城したシキボの城。
 南城と呼ばれるようになった対ギョクカンの要は様変わりしたのに。
 塞と呼ぶには瀟洒な華やかなのあるたたずまい。
 色石が敷き詰められて、四季を通して楽しむことができるように贅を凝らした院子たち。
 最前線とは思えないほど、麗しくなった。
 この鷲居城のように。
「お母様には逆らえないみたい」
 ホウチョウは上機嫌に笑った。
 想い出に重なる笑顔だった。
 でも、違って見える。
 ソウヨウは同世代の子どもたちよりも背が低かったら、いつでも見上げていた。
 胡蝶の君と呼ばれた少女は、同世代の少女よりも髪が短かった。
 結い上げられるように髪が伸びても簡単に飾り紐でまとめるだけだった。
 その一番のお気に入りの朱色の飾り紐は、今はソウヨウの元にあった。
 腰から下げた剣に束も鞘も無視するように巻きつけられている。
 長いこと使い続けているせいか、上質の絹だというのに幾分かくたびれてしまった。
 それでも賜った時の想い出は忘れられないものだった。
 自分のためだけに流された涙だった。
 大切な約束だった。
 それだけを抱えてソウヨウは空を見上げ続けていた。
 南城で花薔薇を見れば想い出していた。
 曖昧な目の色の先。
 そこは咲き誇る花薔薇の佳人。
 赤茶色の髪は結い上げても長く、歩く度に金の歩揺が切ないほどの音色を鳴らす。
 衣擦れの音は届いても、糸靴の音はしない。
「この院子に来ると『還ってきた』と思いますね」
 ソウヨウは言った。
 シキボと言うクニがなくなってから、帰る場所なんてなくなってしまった。
 人質として、連れてこられた城。
 シキボの総領として、戻ってきた城。
 それでも還る場所は花薔薇のいる院子だと思う。
「きっとシャオのことを歓迎しているわ」
 自信たっぷりに生きる花薔薇は断言した。
「だとしたら、これ以上のないぐらいの幸せですね」
 ソウヨウは微笑んだ。
 初夏の頃。
 緑が輝き、花薔薇たちが一斉に咲き始める頃。
 この院子は主人を迎え、天帝が描いた理想郷よりも麗しくなるだろう。
 それを直接で見ることができる。
 ソウヨウは間違いなく幸せだった。
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