夜の真ん中
in the middle of the night


 携帯電話が鳴った。
 どうせ、くだらないメールだと思って取らなかった。
 一昔前の流行歌が室内に30秒流れる。
 この部屋の家主――博則は、のろのろと携帯電話を取る。
 妙に体に疲れが残る。
 もったいないと思いながら、久々にお湯を張ったのに疲労感が拭えていなかった。
 温泉行きたい、とじじむさいこと考えながら、佐藤博則は携帯電話を開く。
 『着信1件』
 こんな時間に誰だろう、と思っていたら携帯電話がまた鳴る。
「はい」
 博則は電話に出た。
「あ、ひろひろ」
 電話の声は、友人の原田美紅のものだった。
「何の用だよ?」
「用は、ありません」
 原田が酔っ払っているのがわかる。
 気楽なもんだ、と博則は思う。
「はぁ?
 だったら、電話してくんなよ」
「だって、寂しかったんだもん」
「カレシに言えよ」
 博則はドサッと座る。
 テーブル兼勉強机には、ルーズリーフが散乱していた。
 それを適当に整理する。
「別れた」
「この前、付き合ったばっかりだろ?」
「うん。
 今度は一週間、持たなかったよー」
 ケロッと原田は言った。
 付き合った男の数がまた更新されたわけだ。
 この調子じゃ、付き合った日数の平均はどんどん下がっていくことだろう。
「じゃあ、付き合うなよ」
「寂しかったんだもん」
 原田は口ぐせを言った。
 妙に愛らしい喋り方に騙される男は数知れず。
 博則の周囲にも掃いて捨てるほどいる。
「……。
 だったら、新しいカレシ作ればいいだろ?」
「うーん。
 まあ、そうなんだけど」
「寂しいなら、女友達に電話すりゃいいだろう?」
「ワタシ、トモダチいないもん」
「田辺は?
 友だちじゃないのか?」
「ナベちゃんは、心の恋人」
 嬉しそうに原田は言った。
「レズかよ」
「違うけど、そうかも。
 ワタシかナベちゃん、性別違ったら結婚する。
 愛してるもん」
 納得する。
 神様はやっぱり不公平だと言うことを感じる。
 田辺が男だったら、原田は幸せなんだろうな、と思ってしまう。
「愛する田辺に電話しろよ」
「迷惑でしょ? こんな時間に」
 至極まっとうなことを原田は言う。
「オレはいいのかよ」
「ひろひろは、いいの。
 ひろひろだから」
「それ、理由になってない」
「大丈夫。
 ワタシの中では理由になってるから」
「電話切るぞ」
「いいよ。
 また、かけるから」
「電源も切る」
「いいよ。
 メールいっぱい送るから」
 原田はしつこく食い下がる。
 『寂しい病』にかかった原田は、寂しいと死んでしまうウサギのようだった。
「……。
 街出て、遊べば?」
「飽きたから、ひろひろに電話したの」
「あー、そうですか。
 オレ、明日バイト朝一なんだけど」
「うん。
 ひろひろマジメだから、遅刻しないから大丈夫」
「今日、疲れてるんだけど」
「ひろひろ、優しいね」
「は?」
「ワタシのこと、迷惑してるのに、電話切らないでしょ?
 ねー、ひろひろ、付き合ってよ」
「どこまで?
 この時間じゃ、開いてる店少ないぞ」
 博則はテレビの上の時計を見る。
 夜中の12時だ。
「そうじゃなくて、ワタシのカレシになって」
「嫌だ」
「どうして?」
「使い捨てにされてたまるか」
 博則は、ルーズリーフをバインダーの中にしまう。
「じゃあ、結婚して」
「あのなー。
 ほいほい、結婚とか言うなよ。
 結婚は二人だけのものじゃないんだぞ。
 飽きたから、別れる、とかできないんだからな」
「知ってるよ、それぐらい」
 原田は笑う。
「少なくとも、素面の時に言えよ。
 信じられないから」
「だよねー。
 起きたら、リベンジする」
「復讐してどうするんだよ。
 再チャレンジだろ?」
「ひろひろ、頭いいー。
 そういうトコ、好き」
 原田は無邪気に言う。
 子どもみたいに危なっかしい。
 守ってやりたくなる。
「今、どこにいるんだよ?」
「家」
「じゃあ、もう寝ろ」
「うん。起きたら、プロポーズするから」
「だから、明日はバイトしてるって」
「駅前のラーメン屋さんでしょ」
「ああ」
「ポロポーズは赤いバラの花束?
 ちゃんと、カスミソウ入れてもらって、給料三か月分のダイヤモンドリングっしょ?」
「請求してんのかよ。
 しかも、それバブルの頃の話だろ?」
 何年前のドラマだよ。
 お嬢様育ちの原田にとっては当たり前なんだろうけど。
 金持ってそうな男とずっと付き合っていたもんなぁ。と、博則は感心する。
「ひろひろ、左手の薬指、何号?」
「は?」
「指輪のサイズ。
 わからないと買えないでしょ」
「逆だろ、普通。
 男が女に指輪を贈るんだろ?」
「ワタシ、普通じゃないから」
「オレが指輪、もらってどうするんだよ。
 しかも、ダイヤモンドリングなんて」
「質に入れれば?」
 あっさりと原田は言った。
 思いつきで喋っているのが良くわかる。
「それでいいのかよ」
「自己満足」
「原田にしちゃ、難しい言葉知ってるじゃん」
「エライ?」
「普通」
「ひろひろの馬鹿」
「電話切るぞ」
「マジギレ?
 かっこ悪いよー」
「いいから、もう寝ろよ」
「でも、寂しくて眠れない」
「横になって、目つぶれば寝れる」
「うん。
 ねー、ひろひろ、添い寝してよ」
 ネコのように原田の声が擦り寄ってくる。
 博則はバインダーを持って立ち上がる。
「無茶言うなよ。
 終電、終わってるんだけど」
「貧乏人のひろひろ、タクシー代は出ないよねー」
「庶民ですから」
 本棚兼何でも置き場になっているスペースにバインダーを突っ込む。
「出してあげよっかー?」
「親からもらってる金なんだから、大切にしろよ」
「ひろひろ、良い奴だね」
「今頃、気がついたのか」
「うん、今さら気がついた。
 おやすみ」
 原田は言った。
 気がすんだらしい。
「良い夢見られるといいな」
 付け足しにもならないことを博則は言った。
「うん、ありがとう」
 携帯電話が切れた。
 博則は、ためいきをついた。
 考える。
 原田は、どうしたら寂しくならないのかを。
 考えても、意味がないから、答えは出ない。


「もう、寝よう」
 博則はポツリとつぶやいた。


 それで、今日はおしまい。

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