3.46番目の空

 
 
 村上家は、山の上にあった。
 その歴史は古い。
 ずっと、この地にあって、この地で『神』のように君臨し続けていた。
 歴史が流れ、時代が変わり、為政者が交代しても、村上は『神』であった。
 何故なら、この家の者は『異能』を持つ。
 天候を読み、未来を予知する。
 『紙』と呼ばれる道具を使い、離れた地と意思の疎通を図る。
 現代であれば、超能力と呼ばれる『異能』を持つ血筋。
 女性が代々当主を務めるのは、その能力は女性が強く持つゆえ。
 けれども、次の当主は男だった。
 名を宗一郎と言う。


「宗ちゃん」
 宗一郎の名を愛情込めて呼ぶ者は、一人きりしかいない。
 15歳にしては背の高い少年は、顔を上げた。
 幼なじみの少女がニコニコと縁側に立っていた。
 少女の名は、村上燈子。
 5歳の時に、無理やり山上に連れてこられた宗一郎の婚約者だ。
 少年の母と少女の父が又従兄妹に当たる。
 宗一郎に最も血が近い親戚だった。
 年回りもちょうど良い、ということで、村上の長老方が勝手に婚約者に仕立て上げた。
 そのため、燈子もまた不自由な生活を強いられていた。
 同病相哀れむ、ではないが宗一郎にとって特別な少女だった。
「燈子か」
 宗一郎はガラス戸を開ける。
 燈子は嬉しそうに、縁側に座った。
 柿色の小袖に、藍染の羽織姿の少女は、現代中学生には見えなかった。
 それもそのはず、学校に通っていないのだ。
 宗一郎も燈子も、人生の大半をくだらないことで浪費していた。
 同じ歳の子どもたちと遊ぶこともできず、学校に通うこともできず、修行を続ける毎日だった。
 村上の『異能』を絶やさないため、に。
「髪切ったって、ホントだったんだね」
 燈子は大きな瞳をさらに大きくして言った。
「おかげで、頭が軽くなった」
 宗一郎も縁側に座る。
「どうして切ったの?」
「春になったら、学校に行く」
 宗一郎は簡潔に言った。
「寺島先輩と同じところ?」
「ああ」
「とーこも、行きたい」
 思いつきのように、燈子は言った。
「両親に頼んでみるんだな」
 宗一郎は言った。
「うん」
 燈子は嬉しそうに笑った。
 幸せな燈子は、ささいなことで笑う。
 小さなことをめいっぱい楽しむことを知っていた。
 顔中のパーツを使って、屈託なく笑うのだ。
 燈子が笑うたび、宗一郎は不機嫌になった。
 少なくとも、外から見たら、不機嫌そのものになる。
「学校、行ってみたかったの」
 燈子はポンと言う。
 分家の村上の子は、皆学校に通っていた。
 本家の宗一郎と燈子だけが、学校に行けなかったのだ。
「給食とか、遠足とか、楽しそうでしょ?」
「高校には、給食も、遠足もないぞ」
「でも、通信簿とか、クラブ活動はあるでしょ?」
 燈子の星を宿したような大きな瞳が期待でキラキラと輝く。
「そうだな」
「お母さんもお父さんも、学校行ったことあるから、とーこも行ってみたかったの」
 燈子は言った。
「そうだな」
 宗一郎はうなずいた。
 それから、燈子の小さい頭をなでた。
 燈子は満面の笑みを浮かべる。
 これ以上ないくらい、幸せそうな笑顔だった。
 宗一郎は、自分の器の小ささに、不機嫌になるのだった。


 月日は流れて。


 恋を知り、その孤独を知り、そのため、臆病になった。
 外を知り、その悲しみを知り、そのため、慎重になった。
 このままで良いのだろうか。
 このままでは、都合が良すぎるのではないのか。
 自問自答を繰り返す。

 十八の春。
 二人、揃って十八の時というのは、短い。
 高校の卒業式を終え、宗一郎は校庭の桜木を見遣る。
 固い蕾のソメイヨシノは、暖かな陽射しを待つように、枝を揺らしていた。
 その先には、春特有の柔らかな色の空。
 白い雲が綿菓子のように広がり、空の青さと対照的だった。
 いつになく感傷的な燈子は、大粒の涙を零していた。
 宗一郎の小指と薬指を、右手でぎゅっと握りながら、左手は涙を拭うので忙しそうだった。
「花が咲くのは、まだ先そうだな」
 宗一郎はポツリとつぶやいた。
「宗ちゃん、ズルイ」
 燈子は鼻水をすすりながら、言う。
 幼なじみ兼恋人兼親戚が決めた婚約者を宗一郎は見る。
「とーこだけ、泣いてる」
 燈子は口をとがらせた。
「卒業したからといって、別れるわけではないからな。
 一緒にいる時間が減るだけだ。
 友だちは、友だちだ。
 一緒にいないからといって、価値が減るようなものでもない」
 宗一郎は言った。
「寂しい」
 素直に燈子は言う。
 泣き濡れた黒曜石のような瞳が真っ直ぐ宗一郎は見つめる。
「別れの数だけ、また出会える」
 生まれて初めての卒業式だ。
 感慨深くもなると言うものだ。
 別離が引き起こす心の変化に、宗一郎とて途惑っている。
 燈子より表面に出にくいだけだった。
「とーこ、悲しいのに。
 宗ちゃん、平気そう」
「一晩寝たら、落ち着く。
 明日から、春休みだ。
 大船と、遊びに行けば良いだろう」
 現実的なことを、宗一郎は提案した。
「宗ちゃんの鈍感」
 珍しく、燈子は宗一郎に文句をつけた。
「そうだな」
 宗一郎は燈子の小さい頭をなでた。
「卒業するのに、寂しくないの?」
「燈子と同じ大学に行くんだ。
 寂しくない」
 行く先が変わるだけだ。
 また、毎日一緒に学校に通って、昼を一緒に食べて、どこか寄り道しながら、家に帰る。
 今まで以上に、二人だけの時間が増えるかもしれない。
 それを「寂しい」とは思わない。
「とーこは、宗ちゃんのお嫁さんになれなかった」
 進路変更を余儀なくされた燈子は、つまらなそうに歩き出した。
 燈子の歩調に合わせて、宗一郎も歩き出す。
「まだ、先で良いだろう」
 宗一郎は苦笑した。
 当初は宗一郎が十八歳になったら。
 その後、高校入学したため、卒業したら。
 という、約束になっていた。
 そして、この度二人が大学に進学したので、二十歳になったら、と変更されたのだ。
 かんかんに怒る長老方をなだめたのは、宗一郎だった。
 周囲に流されるように、結婚したくはない。
 きちんと二人で決めて、結婚したいのだ。
「宗ちゃんは、とーこと結婚したくないの?」
「そういうわけではない。
 ただ、もっと世界を知っても良いとは思うだけだ」
「とーこ、わかんない」
「二十歳でも早いと思うが」
「お母さんは二十歳で結婚したもん」
「なら、二十歳で良いだろう」
「……。
 とーこ」
 燈子はそこで区切った。
 何か言いたそうにしていたが、結局何も言わなかった。
 宗一郎も特には訊かなかった。
 校門前のバス停で、バスを待つ。
 中途半端な時間のせいか、バスを待つ人影はなかった。
 暖かな春風が吹く。
 今年は、桜の開花も早そうだ、と宗一郎は思った。
「宗ちゃん、ずっと一緒にいても良い?」
 燈子はポツリと言った。
 いつもとは違う言い回しだった。
 宗一郎は驚いた。
「ああ、もちろんだ」
 人目がないことを確認してから、宗一郎は燈子の小さい肩を抱き寄せた。
「宗一郎と燈子の45日間の空」へ  > 45日間の後書きへ