・地球から人類が消滅するまで、あと52分――宇宙港<ポート> JS‐ポート

 世界でも有数のポートであるJS‐ポートは、海の上にある。
 穏やかな海と呼ばれた海域に、どーんっとある。
 開発当初、住民はこぞって反対した。
 景観を損ねるためだ。
 税金の無駄遣いと言われ続けたそこに、チアキは到着した。
 ハセガワ家の人間には、縁遠そうな場所だったが、仕方がない。
 逆らうほどの理由もなければ、根性もなかった。
 チアキは、一階の自動扉前で歩いてきた道を振り返り、それから周囲を見渡した。
 最後の機会だと思うと、どれも輝いて見える。
 潮の香りも、波の心地よい音も、二つの境界線のない青も。
 眼前に広がる狭い海に、時間が迫っていることを忘れてしまう。
「海だ」
 胸のうちに、言いようのない喜びが湧き上がってくる。
 懐かしい故郷に帰ってきたような気がする。
 チアキの生まれた場所は、山もなければ、海もない、舗装された地面があるだけの商業都市だった。
 この間、下見に来たときは感じなかった気持ちだ。
 一度、遠くへ行ったから気がついた。
 海が目の前に存在している。
 今にも『ただいま』という言葉がこぼれそうだった。
 海から生まれた生物は、海から切り離せない。
 いつまでも、ここにいたいと思った。
 でも、時間は残り少ない。
 チアキは約束の履行のために、のろのろと自動扉をくぐる。
 ゲート付近に、黒服の男がいた。
 かっちりとしたブラックスーツに、革靴。
 撫でつけてある髪まで黒いから、本当に黒尽くめだ。
「お待ちしていました」
 良く見ると、まだ若い。
 20代半ば……と言ったところだろうか。
 エリートだ。
「市民番号J‐S‐213509です」
 チアキはデイパックからIDカードを取り出す。
 手の平サイズの端末機に磁気ディスクを通すと、ピーッと音が鳴る。
 何度聴いても慣れない音に、チアキは眉をひそめる。
「初めまして、チアキ・ハセガワさん。
 ショウ・ヨコヤマです」
 読み取りの終わったIDカードは、チアキに返される。
「あなたで最後です」
「……遅刻はしていませんよね」
 チラッと腕時計を確認した。
 約束の時間まで、まだ30分もある。
「余裕を持って出立する人が多かったので、予想外でした。
 どうぞ、こちらです」
 ショウは淡々と言う。
「あ、はい」
 チアキは、黒服の男の後を追う。
 見送りにポート内に入ったことはあるものの、ゲートの先は踏み込んだことがない。
 はぐれたら、迷子になる。
 ……これだけ人がいないと、はぐれようもないけれど。
 仮にはぐれたとしても、ショウ・ヨコヤマが見つけ出して、きちんと目的地まで連れて行ってくれるだろう。
「あの……、その……いえ、すみません」
「質問等あるようでしたら、お答えいたします」
「いえ、その。
 あのですね。
 わたしで最後なんですか?」
「はい」
「罰とか、受けるんでしょうか」
「いいえ。
 罰則の規程はありません」
「もし遅れたら、どうなっていたんですか?」
「事前に通達してあるように、IDカードで所在地の確認をしていました。
 規定F‐2の基準を満たした場合、強制執行するだけです。
 制限時間以内に到着しない……つまり、遅刻も異常行動の一つです。
 あと10分遅ければ、迎えに行きました」
「……お仕事、大変ですね」
 公務員なんてなるもんじゃないな。
 いくら名誉がついてくるとはいえ……と、堅苦しい青年の背を見ながら、チアキは思った。
「市民の皆様は、物分りがよく助かっています」
 二人は直通エレベーターに乗り込む。
 エレベーターはガラス張りで、JS‐ポートの全体が見える。
 海に浮かぶ泡のような島だった。
 思ったよりも小さい。
 いや、地表から離れていっているために、そう感じるだけだ。
 指紋をベタベタとつけながら、チアキは外を眺める。
「ご存知でしょうが、確認のため今一度説明をいたします。
 この説明は法律で定められているものです。
 よろしいでしょうか?」
「はい」
 チアキは背筋を伸ばして、ショウを見上げる。
「外を見たままでもかまいません。
 静かに聴いていただければ、問題はありません」
「ヨコヤマさんは、優しいみたいですね」
「私は、地表主義を尊重しております」
 ショウに淡々と言われ、チアキは途惑う。
 あまり嬉しくなかった。
 社交辞令やお世辞にしか取れない。
 チアキは、複雑な心境のまま外を眺める。
「このエレベーターを出た後は、地球法は無効になります。
 替わって、銀河標準法が適用されます。
 地球から<リープ>に入るまでの間、親族であっても連絡を取り合うことが禁止されています。
 また<リープ>中は、人工睡眠……俗に<キャスケット>に入っていただきます。
 期間は、特に問題がなければ、銀河標準単位で720時間の予定です。
 期間中は栄養点滴によって体を保持します。
 この方法は安全かつ効率がよく、宇宙航行では一般的な――」
 ショウは宇宙旅行の基本を説明していく。
 何度も講習会に通い、耳にたこができるほど聴かされた話だった。
「――それと、<リープ>直前に一度だけ、地球を見ることが可能です。
 希望しますか?」
「え?」
 話の締めが、講習会とは違っていた。
 チアキはショウを見た。
「希望者の方だけです」
「希望します!!」
「わかりました。
 話は以上です。
 ……、プライベートな質問をしてもかまいませんか?」
 チアキは首を縦に振った。
「資料を拝見させていただきました。
 何故、あなたは2週間前に乗船しなかったのですか?」
「ギリギリまで、地球にいたかったから……ですけど。
 地表主義、で。
 書類に不備でもありました?」
 チアキはビクビクしながら言った。
 やましいことは一つもしていない……つもりだ。
 どこかで、何か失敗をしているかもしれない……けど。
「いえ、受理されたからこそ、あなたは今日まで自由に動けたのです。
 書類に問題はありません。
 ただ……、故郷へ帰るわけでもなく、自暴自棄な行動をするわけでもなかった。
 仮に誰よりも、地球に愛着があったとして、あなたが2週間丸まる使うとは考えられませんでした。
 せいぜい3日遅れで、友人やご家族と合流すると踏んでいました。
 手元の資料から考えた推論にすぎませんが……。
 もしかして……。『地球最後の一人』になりたかったのですか?」
 ショウは言った。
 新しい現象を発見した科学者のような目で、青年はチアキを見る。
 条件反射的に、ジリッと半歩下がって、距離をとってしまう。
「ヨコヤマさんがいるので、『地球最後の二人』になるんじゃ」
 チアキは困惑し、笑顔になる。
 別に『地球最後の一人』になりたかったわけではない。
 たまたま、結果的になっただけだ。
 それよりも――。
 スーッとエレベーターの扉が開いた。
 金属製の床がシャトルまで続いている。
 視界に飛び込んできたむき出しの配管に、留まりすぎて重苦しくなる空調の空気に、チアキは息を呑む。
 映像ディスクのままの内部だ。
 本当に、これから宇宙へ出るのだ。
 取り返しのつかない場所まで来てしまった……。
「これより外は、銀河標準法です」
 ショウはエレベーターを降り、手を差し出した。
「ようこそ。
 地球最後の人類、チアキ・ハセガワさん」
 映像ディスクのワンシーンのように、ショウは言った。

 チアキは一歩踏み出した。



 銀河標準暦127年12月31日 12:00 地球上から人類は消滅。
 前年8月12日に施行された『地球並びに地球の全ての動植物の権利に関する条約』通称『地球保全法』により、地球外の移住すべて完了。
 これより、地球は<ヘブン>となる。
 生きた人間の24時間以上の滞在は禁止され、人類の墓標となった。


・地球から人類が消滅するまであとマイナス1時間――宇宙船<シャトル> アーク

 チアキは、大型のビジョンに写された地球を見る。
 太陽の光を受けて輝く地球は、青かった。
 大きく、青い惑星だ。
 人類が生まれた故郷星だ。
 海から生まれたものが海に還っていくように、青い星から生まれた生物たちは、やがてこの星に還っていくのだろうか。
 1時間前までいたのに、今は……こんなに遠い。
 帰りたい、と。
 呼吸すら忘れてしまいそうになる。
 懐かしさは穏やかな感情ではない。
 胸をえぐり、差し迫る。
 激しい喪失感に、ずるずるとチアキは座り込んだ。
 冷たくもない奇妙な床の質感が旅愁を駆り立てる。
 『今』を否定して、帰りたいと願う。
 チアキの目は地球から離れない。
 心は、もっと恋々としている。
 帰れない、と知っているから、帰りたい。
「必ず、帰ってくる……から」
 チアキは呟いた。
「きっと、もう一回。
 だから……」
 言葉にならない。
 別れは告げたくない。
 地球に人類が住めなくなったのは、自分たちのせいだった。
 誰もが『王』になろうとして、地上では争いが続いていた。
 恒久平和を求めて、地球を立ち去ることが決定されたのだ。
 誰のものにもならない、誰のものでもある地球。
 そんな精神論を受け入れてしまうほど、人類は疲弊していた。
 そして、地球はもっとくたびれていた。
「……」
 スッと自動扉が開き
「人工睡眠の準備ができました」
 地球は音もなく消えた。
 チアキはゆっくりと首をめぐらす。
 ショウが立っていた。
 気の毒なものでも見るように、黒尽くめの青年は微笑む。
「この船の目的地である惑星CA‐N。通称『カナン』は、美しい星です。
 地表主義の方の多くが移住先に選び、あなたのご両親もいらっしゃいます。
 きっと気にい……」
「本来の『カナン』の空は何色なんですか?」
 ショウの言葉をさえぎって、チアキは尋ねた。
 地表主義が好む惑星は、<エデン>の中で最も美しい<エデン>だろう。
 かけがえのない故郷星に、よく似た環境が整っているだろう。
「マゼンダです。
 もっとも、『カナン』も<エデン>の一つですから、住居区では地球と同様の色となっています」
「マゼンダ色」
 チアキは大きく息を吐き出す。
 息を吸い込むための準備だ。
 泣いたりはしない。
 これは別れではないのだから。
 立ち上がる。
 惑星CA−Nの空を想像してみる。
 エリアJ‐Hで見た空のように、おわん型のマゼンダ色の空。
 マゼンダ色の空の下の世界は、何色をしているのだろう。
 きっと、今までと違う色の世界だ。
「毎日が朝焼けで、夕焼けだ……。
 楽しみです」
 チアキはポツリと言った。
「きっと気に入ると思いますよ」
 ショウは先ほどの続きを言った。
 どんな星も、地球の代わりにはならない。
 でも、惑星CA‐Nは二番目ぐらいにはなるだろう。
「どうして<リープ>直前に、地球を見せてくれたんですか?」
 絶対、ホームシックになるの、わかってるだろうに。
 興奮状態での<キャスケット>の使用は危険だ。
 あくまで人工的な睡眠なのだ。
 精神安定剤を無理やり投与することも可能だが、そのことが人権保護団体に知れたら、何かと問題になりそうだ。
「法の下で約束された権利です」
 ショウは淡々と言う。
「お仕事、大変そうですね」
「自分で選んだ職業です。
 やり甲斐を感じています。
 ……それに、私は地表主義の意見を尊重しています」
「どうしてですか?」
 チアキは眉をひそめた。
 宇宙時代となった今、地表主義は前時代的で、役立たずだ。
 この生き方も考え方も、自分のものになってしまったから、変えるつもりはないけれど、自分の子までそうなるのは、少しかわいそうだと思う。
「あなた方は、天国に程近いからです」
「宗教的ですね」
 意外な答えに、チアキは何とか答えを返した。
「哲学的なつもりです。
 ところで、心の準備は終わりましたか?」
「あ、はい!」
 沈んでいた心は、話をしているうちに、だいぶ浮上してきた。
 未練はたらたらとしているが、チアキにとっては身近なことだった。
 これから一生をかけて、後悔していくことになるだろう。
 故郷との離別。
 一生悔やんでいても、誰も文句は言わないはずだ。
「残念ですね」
「は?」
「どうぞ、こちらです。
 次にあなたと話すのは、672時間後。
 惑星CA‐N到着48時間前です」
「はあ」
 ショウの後をついていきながら、チアキは相槌を打つ。
 隣の部屋には、真っ白な繭のような人工睡眠機械が何台も設置されていた。
 アークは<シャトル>の中でも、比較的小さいサイズらしいが、乗員2名は予想外だろう。
 かぱっとふたの開いている<キャスケット>が一台あった。
 チアキは講習会で習ったとおりに、<キャスケット>の中に横たわる。
 『棺おけ』と呼ばれる理由がわからなくもない。
 薄暗く、ほのあたたかい、狭い空間。とても居心地が良い。
 このまま二度と目覚めなくてもいい、と感じる。
 ずっと、ここにいたい。
 自然にまぶたが重たくなる。
 意識がとろんと溶けていく。
 ポタージュのようにとろけていく。
「惑星CA‐Nの通称を決めたのは、あなた方です。
 『カナン』は約束の地。
 地球由来の古い宗教で、重要視された地の名前です。
 特定の神をあがめることをしない地表主義の方々が、何故その名を選んだのか。
 あなたなら、解けるのでしょうね」
「……え、決め。やくそ……く……?」
 きちんと言ったつもりなのに、舌が回っていない。
 耳に届いた言葉は、我ながら不明瞭だった。
「目覚めたら、どんな夢を見ていたか教えてください。
 では、良い夢を」



 まっすぐと歩いていた。
 どこまでも続くような道を、潮騒を聞きながら、若い娘は歩いていた。
 永遠の暁の中、約束の場所を目指して。
 ただ、まっすぐと歩いていた。




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企画:みんなでSF
使用お題:「地球最後の二人」「海」「惑星」「コロニー」