第二話 勿忘草(ワスレナグサ)
 窓ガラス越しに日差しが入る。
 柔らかな光は、少年の寝台までは届かない。
 二回のノック音。
 返事を待たずに入ってくるのは黒髪の少女。
「おはようございます、王子」
 元気な声が目覚めを促す。
「またカーテンを開けっ放しにして。
 熱を出しますよ」
「おはよう真夜。
 今日も祝福を」
 目を閉じたまま言えば、少女が盛大なためいきを一つ零す。
 しばらくして額に柔らかな感触。
「また夜更かしをしましたね。
 蝋燭が溶けきっています」
 少女が言った。
 翔陽は静かに目を開いた。
 夜空色の双眸と出会う。
 いつ見ても見飽きない瞳だと思う。
「いい加減に起きてください。
 神さまの光をちゃんと浴びてくださいね」
「はいはい」
 翔陽は上体を起こす。
 それから螺鈿細工の花が咲くテーブルの上に置かれたワスレナグサを一輪、食む。
「そっちは飾り用ですよ!」
 慌てて真夜はワスレナグサが浮いた薬湯を差し出す。
「同じだよ」
 翔陽はグラスを受け取りながら言う。
 想い花じゃなければどれも同じだった。
 占の想い花とはどの花を指すのだろうか。
「もうすぐ誕生日ですね。
 欲しい物はありますか?」
 誕生日が来るというのは成人の儀を迎えるということだ。
 占が正しいかどうか問われる運命の日だ。
「今年もたくさんの贈り物が届くんでしょうね」
 自分のことのように少女は喜ぶ。
「僕の欲しい物ではないけれどね」
 薬湯をすすりながら翔陽は言った。
「贅沢ですよ」
 花瓶にワスレナグサを活けながら少女は言った。
「真夜。
 いつでも君が僕の欲しい物をくれるんだ」
「え?」
 少女は振り向く。
 その際に、長い黒髪も揺れる。
「今日という希望をくれる。
 僕は君に生かされているんだよ。
 その花瓶の中の花のように」
「ごまかさないでください。
 欲しい物は何ですか?」
 夜空色の瞳が翔陽を見つめる。
「そうだなぁ。僕の誕生日プレゼントは盛装した真夜が見てみたい。
 灰色や青鈍色なんて、老人が着る色だよ。
 もっと華やかな色をまとえばいいのに」
「わたしにはこれで充分です」
「例えば、この花のように淡いブルーとか」
「似合いませんよ」
「軽いシフォン生地で作らせよう。
 レースをふんだんに使って。
 まるで妖精のように見えるだろうね」
「着ませんよ!」
 顔を真っ赤にして少女は断言する。
「誕生日は特別なんだろう?
 僕の可愛い我が儘を聞いてくれたっていいだろう?」
「それとこれは別です!」
 本気で嫌がっているのが分かり、翔陽はがっかりした。
 華やかに装った真夜が見てみたかったのに、この調子では結婚式でもネズミのような格好をしてそうだった。
「真夜は頑固だな。
 初めて会った時から、そうだったけどね」
 残り少なくなった薬湯を一気に飲み干す。
 体の芯が温かくなった気がした。
「わたしには華やかな物は似合いません」
 真夜は左手の小指にはまった指輪をいじる。
 赤瑪瑙をくりぬいて作ったそれだけが装身具だった。
「死ぬ前に、一度くらい見ておきたかったんだけど」
「不吉なことを言わないでください!」
「全国民が知っていることだと思うよ。
 このままでは僕は成人を迎えることができないって」
 テーブルの上に空になったグラスを置く。
「わたしが想い花を見つけます。
 絶対に!
 そのために、ここにいるんですから」
 力強く少女が言った。
「そうだ。
 たまには、外へ出ませんか?
 部屋の中に閉じこもってばかりいると悪い方へと考えが向かってしまうって聞いたことがあります」
「神さまの光は僕には強すぎる。
 ガラス越しで充分だよ」
 少年は絨毯の上に零れた光を見る。
「そうですか。
 庭園は春を迎えて、とても綺麗なんですよ」
 少女の声は落胆していた。
 生命そのもののような少女には裏表がない。
 計算というものがないのが、少年には不思議だった。
 それほど王宮という場所は汚れている。
 神さまの光が届けば届くほど、濃くなる影のようだった。
「真夜が届けてくれる花で満喫しているよ」
 翔陽は枕にもたれかかる。
 我ながら不自由な体だと思った。
 少し起き上がっていただけだというのに疲れを感じた。
 真夜もそれを察したのか、顔色を変える。
 いつでも笑顔でいて欲しいのに、曇らせてしまう。
 そんな自分が嫌だった。
「明日の朝も、花を届けにきますね。
 気になるからといって、本を読まないでくださいね」
「それは難しいお願いだね。
 読み出すと続きが気になるんだよ」
「読み終わったら、新しい本を開くでしょう?
 世界中の本を読む気ですか?」
「それは素敵な考えだね」
「王子」
 夜空色の瞳がにらむ。
「今日は大人しくしているよ。
 だから、別れの前にもう一度、祝福を」
 翔陽が言うと、真夜は額にくちづけをする。
「ゆっくり休んでくださいね」
 夜空色の瞳には大きく心配という文字が浮かんでいた。
「ありがとう」
 翔陽はにこりっと笑った。
並木空のバインダー へ
紅の空TOP へ



【あなたに花を】へ >第三話へ