第三話 姫金魚草(リナリア)
 真夜は静かに扉を閉めた。
 王子の寝室から出て、自分の部屋に戻る廊下で壮年の男性と出会う。
「翔陽さまはどうなんだ?
 今日は健やかであられたか?
 上手くいっているんだろうな?
 この間も熱を出したと聞いたが」
 質問攻めに、少女は胸が苦しくなった。
「今日は、はっきりと起きてらっしゃいました」
 短く答える。
「それならいいのだが。
 私の顔を潰さないでくれよ」
「はい、お養父さま」
 真夜はうつむく。
 身寄りのない少女を引き取ってくれたことは感謝している。
「もっと華やかなドレスを着たら、どうなんだ?
 王子もお前も若いのだ」
 派手好きで浪費家らしい発言だった。
 翔陽と真夜が婚約したのをきっかけに大臣へと位を上りつめた男だ。
 欲深な王とも気が合うらしく、身近に寄り添う。
 王と違うところがあるとしたら、昼も夜もお盛んなところだろう。
 正妻以外にも通う場所が複数ある。
 真夜を娘として迎え入れたのは、子どもが男子ばかりだったからだろう。
 そうでもなければ、黒髪黒眼という異端児を引き取ろうとは思わないだろう。
「黒き娘の役目は忘れないようにな」
 男は念を押す。
 真夜は小指にはめられた指輪をいじる。
「分かっています」
「そうか。それならいい。
 せいぜい、役に立ってくれよ。
 成人の儀までもう少しだ」
「はい」
「それまでは生きていてもらわなければならないからな」
 王子の命を、道具のようにいう。
 それが不快だった。
 家族のように一緒に暮らしていなくて良かった、とこんな時に思う。
「ご用件はおすみでしょうか?」
 顔を上げずに、真夜は問うた。
「ああ。そうだな。
 王子が生きているならそれでいい」
「では、失礼します」
 少女はドレスの裾をつまむと、優雅に一礼してみせた。
 返事を待たずに、逃げるように自室に戻る。
 人気がないことをいいことに小走りで、一人きりになれる場所に向かった。
 扉を勢いよく閉じ、鍵をかけた。
 鏡に映った影と視線が合った。
 黒く長い髪と黒い瞳を持った少女が映っていた。
 真夜は鏡なんてなければいいと思っていた。
 自分だけが異質な存在だということを、鏡が暴く。
 太陽を唯一の神として信仰している国では、みな金髪碧眼で生まれてくる。
 良い例が王子だ。
 春の日差しのような純金の髪に、昼空色の瞳を持っている。
 真夜とは対照的だった。
 鏡は真夜だけは違うと正面から突きつけてくる。
 少女は鏡台の前に座る。
 引き出しから出した鋏を持つ。
 金属の冷たい感触が手に伝わってくる。
 長く伸ばした髪に鋏を入れようとして思いとどまる。
 どこの誰が生んだか知らない真夜が王宮にいられる理由だったからだ。
 元の場所には戻りたくなかった。
 着飾った女たちが男たちの訪れを待つ隠れ屋敷。
 そこで給仕をしていた。
 一番古い記憶は、髪を引っ張られ悪魔と美しい女性に罵られたものだった。
 いつでも小さくなって、びくびくしていた。
 気まぐれに与えられる食事で、どうにか生を繋いでいた。
 隠れ屋敷で生まれた女は外には出られない。
 捨て子だった少女も例外ではない。
 それが揺るがぬ決まりだった。
 少女もそうなるはずだった。
 けれども、少女が隠れ屋敷の前に捨てられて五年めに運命は大きく動き出した。
 ある日、いっとう着飾った男が現れて、少女の目を覗きこんだ。
 男は強引な手つきで、少女の帽子を剥ぎ取った。
 短く刈り込まれた髪を見て、男の瞳はギラついた。
「名前は?」
「“おい”です」
 名前なんてなかった。
 それがとてつもなく恥ずかしいことだと思った。
「名無しか。困ったことだ。
 黒き娘と呼ぶか」
 男は一人ごちる。
「この娘、貰いうけよう!
 金貨何枚だ?」
 大きな声で男は言った。
 隠れ屋敷を切り盛りしている女性は笑った。
「そんな不吉な娘が、あの黒き娘かい?
 確かに色はそんな感じだけどさ」
「間違いない。
 言い値で買おう」
「そんな不吉な娘は貰ってくれるだけで大助かりだ。
 上手くやんなよ」
 後半は少女に向けての言葉だった。
 そこからは、急展開だった。
 夜も逃げていくような蝋燭が並んだ屋敷に連れていかれた。
 甘い香りのするお湯が張った浴槽につけられ、全身を洗われた。
 温かなスープを飲まされた。
 リナリアの花のような服を与えられた。
 髪を丁寧に梳かれた。
 隠れ屋敷では引っ張られ、帽子に押しこめていた髪を優しくさわってもらえた。
 それに喜んでいると、歓喜が治まる前に四頭立ての馬車に乗せられた。
 今まで見た屋敷とは比べ物にならない大きく白い屋敷に案内された。
 そして、庭園に連れてこられた。
「好きな花を一輪、摘んでくるように」
 とナイフを手渡された。
 黒き娘として、初めて役目を果たしたのだった。
 以来、毎朝、花を摘んでいる。
 どの花も想い花ではないらしい。
 王子には一刻も早く健康になって欲しいと願っているのに。
 滞りなく成人の儀がすみますように。
 太陽の加護を受けぬ身ながら、ひたすらに祈る。
並木空のバインダー へ
紅の空TOP へ



【あなたに花を】へ >第四話へ