第四話 赤い椿(ツバキ)
 吐いた息が白くなるほど、寒い日のことだった。
 枕から顔を上げるのもやっとのことだった。
 いつもの微熱に頭痛も加わって、一人で静かに過ごしていたいと思っていた。
 それなのに王宮中がにぎやかだった。
 父が突拍子もないことを思いついたのだろうか。
 翔陽は読みかけの本の表紙をなぞりながら、想像してみた。
 喧騒はますばかり。
 扉が大きく放たれた。
「翔陽、黒き娘が見つかったぞ!
 お前を救ってくれる運命の娘だぞ」
 王は頬を上気させて言った。
 翔陽と同じぐらいの年頃の少女だろうか。
 まるで男の子のように短く刈られた黒髪が珍しかった。
 帽子を被れば見えなくなってしまうようだった。
 普通だったら、祈りをこめて伸ばす髪。
 墨を流したような黒い髪を伸ばしたら、どんなに素敵だろう。
 少女がつかんでいるツバキが風もないのに震えていた。
 赤い色が鮮血みたいだと思った。
 翔陽はのろのろと起き上がり、椿にふれた。
 少女はビクッと肩を揺らす。
 それから、そっと椿から手を離した。
 これが想い花なのだろうか。
 どこにでも咲いているような花に思える。
 翔陽は花弁を引きちぎる。
 食べたところで頭痛が治まる気配もない。
「どうだ?」
 父の言葉に曖昧な笑みで答える。
 ここで違うといったら、この少女はどうなるのだろう。
 それが心配になって
「少しは良くなったようです」
 と言っていた。
 弾かれたように少女がこちらを見つめた。
 月のない夜のような黒い瞳だった。
 黒髪黒眼。
 だから、黒き娘。
「そうか!
 それは良かった」
 父は上機嫌だった。
「君の名前は?」
 翔陽が尋ねると、少女はうつむいた。
「黒き娘です」
 外で降る雪のように儚げに少女は言った。
「名前がないなら、僕がつけてもいい?
 黒き娘なんて可愛くない名前で、君を呼びたくないんだ」
「名案だな。
 名前がないというの不自由だ」
 父が言った。

「真夜」

「夜は静かでいいよ。
 君の瞳はまるで夜空のようだ。
 僕のことは翔陽と呼んでくれるよね」
「わたしには、もったいなくてできません」
 少女は、ぷるぷると首を横に振った。
「名前で呼び合う方が親しみ深いと思うんだけど」
「できません」
「残念だな」
 翔陽は呟くように言った。
「すみません」
 少女は身を硬くする。
「少しずつ慣れていけばいいよ。
 先は長いんだしね」
「黒き娘。
 息子を頼んだぞ」
「父上。
 真夜という名前をつけたのですから、そう呼んでください」
 翔陽の抗議も、父には届かない。
 自分という太陽を中心に回っているのだ。
 少年はためいきを喉で殺した。
「二人とも仲良くするんだぞ」
 大きな手が翔陽と真夜の肩をつかんだ。
 少女は小さく震えている。
 人にふれられるのに慣れていないのだろうか。
 とても可哀想に思えた。
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