第五話 花金鳳花(ラナンキュラス)
 朝の庭園は貸切だった。
 真夜はナイフを片手に花々の間を歩く。
 かつては姫君のために造られた庭園も今は王子の生命を繋ぐための庭園となっている。
 黒き娘である真夜は毎朝、一輪の花を摘む。
 王宮に登った日から、途切れることなく続く大切な日課だった。
 空は晴れ渡り、ほのぼのとした青に染まっている。
 陽光を浴びていると神さまに見られている気分になる。
 わずかな風になびく花に目が止まった。
 柔らかい色合いのラナンキュラス。
 今日の花はこれにしようと、茎にナイフを当てる。
 王子は華やかに咲くラナンキュラスを喜んでくれるだろうか。
 ナイフを鞘に収める。
 摘んだ花を胸に抱き、王子の元へ向かおうとした時だった。
 白い日傘を差した佳人がやってくるのが目に映った。
 太陽のように輝く純金色の長い髪、昼空色の煌く双眸、陶磁器のように滑らかな肌を持つ佳人。
 花々も色あせて見えるほど典雅な美貌の女性。
 この国の正妃、その人だった。
 真夜は慌てて頭を垂れた。
「ごきげんよう」
 佳人から声をかけられた。
 少女はおそるおそる顔を上げ
「おはようございます」
 できるだけ震えないように言った。
 太陽神から愛されているとしか思えない佳人を目の前にして緊張する。
 この時間に出会うのは、初めてだった。
 朝の庭園はいつだって貸切だった。
 だから、真夜は安心して花を選べた。
「花にも言葉があるのをご存知?」
 正妃の質問に、少女は首を横に振った。
「そう。
 知らないほうがいいこともあるわ。
 反対に知ったほうがいいこともある。
 難しいわね」
 白い指先が赤いバラをなぞる。
 巫女の血を受け継ぐ正妃には、未来が見えるのだろうか。
 真夜以上に運命という激流に身をゆだねてきた女性だ。
 言葉には深みがあった。
「教えてもらえますか?」
 真夜は言った。
「そうね。
 この花は愛を告げる時に使うのよ。
 貴方も聞いたことがあるんじゃないかしら?」
 正妃は微笑んだ。
 とろけんばかりの美しさに少女は見惚れる。
「愛しています。と、言うのよ。
 数え切れないほど貰ったわ」
「王さまからですか?」
 真夜の問いに、正妃は笑みを深くする。
「毎日、届くものだから、それしか言葉を知らないのかしら?
 そう思った日々もあったわ。
 懐かしい……思い出よ。
 もうみな過去のこと。
 ちょうど貴方と同じ年頃だったわね」
 昼空色の瞳が遠くを見つめる。
 真夜の胸がチクリと痛む。
 こんなにも美しい人を困らせてしまった。
 その罪悪感で押しつぶされそうになる。
「貴方は占のすべてを知っていて?」
 正妃が尋ねる。
 全国民が知っていることだった。
「月が日を食む日に、王子は永遠の眠りにつくだろう。
 それを避けるためには黒き娘が得る必要がある。
 黒き娘が摘んだ想い花を手に入れれば、王子は成人を迎え王家は繁栄するだろう」
 五歳の時からくりかえし教えられた言葉だったから、一言一句間違えずに答えることができた。
 真夜がここにいる理由だった。
「それは占の一部よ。
 貴方にも完璧には伝えられていなかったようね」
 正妃は顔を曇らせた。

『月が日を食む日に、王子は永遠の眠りにつくだろう。
 それを避けるためには黒き娘の真心を得る必要がある。
 黒き娘が真から王子を想う時、想い花が咲く。
 その花を手に入れることができれば、王子は成人を迎え王家は繁栄するだろう』

 白い日傘を差した佳人は抑揚のない声で言った。
 真夜はラナンキュラスの茎をぎゅっと握っていた。
 伝えられた占の一部はとてつもない衝撃だった。
 今まで摘んできた花はなんだったんだろう。
 王子の成人を楽しみにしている気持ちに偽りはない。
 早く元気になってほしい。
 たくさんの笑顔を見せてほしい。
 幸福になってほしい。
 そう思っていた。
 真心ではないと断じられてしまった。
 どんな思いが真心なのだろうか。
 王子の誕生日はあと少しだ。
 それまでに、見つけることができるのだろうか。
 時間はあまりにも少ない。
 王子と同じ昼空色の瞳が真夜を見据える。
「あの子を救ってちょうだい。
 貴方にしかできないの」
 正妃は真剣に言う。
「はい」
 動揺しながら真夜はうなずいた。
 王子は占の全容を知っているのだろうか。
 知っていて真夜に笑顔を見せてくれているのだろうか。
 花を口にしているのだろうか。
 今日こそ想い花であるように、と。
 真夜がツバキの花を摘んで持っていったあの日から。
 胸に抱いたラナンキュラスの花が風もないのに揺れた。
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