第一話 「花」

 それはヤナを待っていた。
 正方形の石が地の果てまで敷き詰めてあるような錯覚を起こす、道の途中。
 あるのは壁と透明樹脂張りの窓。
 淡々と光り続ける星の光を受けて、静かに輝く珠をあしらった耳飾り。
 荷物を抱えた少年は立ち止まり、器用に拾い上げた。
「青?」
 冬十字色から月光色まで、緩やかに変化する珠は小さな惑星のようだった。
 電磁波を受けて蛇行する光のカーテンのようなそれを、ヤナはポケットにしまいこんだ。
 持ち主を探してやらないと、とお節介な少年は思ったのだった。


 サイレント・ソングと呼ばれる機械音がさざめく。
 生まれたときから聞いているこの音をうるさいと思う者は、ほとんどいないだろう。
 ヤナは心地良いとさえ思う側の人間だった。
 割り当てられた研究室を開けると先客がいた。
「よ。
 勝手に入ったぞ」
 ヤナの椅子に座っている少年が笑う。
 真っ黒な髪に隠れて見えづらい真紅の珠が人工光に煌いて、不思議な軌道を宙に描く。
 目と同色と定められている耳飾りだが、一年だけ先輩のそれは見ることがほとんどない。
 実のところ、ここでは違法ぎりぎりだったりする。
「勝手じゃないディエン先輩は知りませんよ。
 ちょっと良いですか?」
 ニコニコと微笑みながら、ヤナは懐古趣味な机の上に荷物を置く。
「聞いたか?」
「新しい発見でもあったんですか?」
 ここでは毎日が発見であり、成果である。
「いーや、上の方の発表だ」
 ディエンはつまらなさそうに言った。
「へー、そうなんですか」
 相槌を打ちながら、ヤナは荷解きする。
 一抱えもある荷物は丁寧に布で包まれている。
「ペアを使って、新しい世界を作るんだとさ。
 メンドーだと思わないか?」
「まるまる世界を作るんですか?」
「最低でも一組で、惑星1個だとー」
「今までもそんな計画がありましたね。
 えーと、あれは9ヶ月前ぐらいですか?」
 当時、研修生だったヤナは、結果を知ることだけしかできず、面白くなかった。
「268日前だ。
 つまり、あれでは飽き足らず上はまだやるんだとさ」
 ディエンは、おおげさにためいきをつく。
「楽しそうじゃないですか」
 指先まで集中して、最後の布を取り去る。
「今回は特別で…………。
 何だ、それは?」
 ディエンは身を乗り出す。
 木の机の上に、水を湛えた透明の瓶が姿を現した。
「透明樹脂の水質観察器具か?」
「いえ、ガラス瓶です。
 水も完璧なハイドロです」
「懐古趣味も極まりだな。
 こんなものまで、売ってるのか」
「いえ、規格ものは気に入ったデザインがなかったんで、自分で作りました。
 物質を再構成するのは、意外に難しいですね」
 ヤナはガラス瓶のフォルムをなぞる。
「昔の誰かの言葉だな。
 壊れるから美しい。
 そんなヤツだ」
「いつから計画は始まるんですか?
 もう研究員だから、最初から見られるんですよね。
 それとも、一部の人間だけで、非公開ですか?」
 ヤナは尋ねた。
「他人事だな。
 今回は全研究員の計画で、お前も当然頭数だ」
「え?」
「なかなかのスケールだろう?
 しかも、あちらさんと共同計画ときたもんだ。
 高慢な自称『宇宙の真珠』たちと」
「だって、そんな!
 そんな話、スケールとかそういう問題じゃないですよ!
 これが実現したら、史上最大の規模です」
 ヤナは驚く。
 世界創造とは、生え抜きのエリートたちだけで行われる。
 今まではそうであったし、これからもそうだとヤナは信じていた。
「だから、メンドーなんだよ」
 ディエンは背もたれに、身を預けた。
 サイレント・ソングにキーィという木のきしむ音が混じった。


 宇宙には、星の数ほどの宇宙船があった。
 その一つ一つが国家であり、家庭であり、公共施設であり、研究院であったりした。
 人はいつの間にか星の海を漂い、そこで生活することに慣れていた。
 だから、人が宇宙に出た時期は、その理由と共に記憶の底にある。
 宇宙に出た人々の中で『優秀な頭脳を持ち、高い道徳心を兼ね備えた者』と判断された者は、研究員となる。
 研究院ごとに、真珠の研究員、祝歌の研究員、歓喜の研究員と呼ばれていた。
 様式美と華やかな名称に、反発を覚える研究員もいないことはないのだが、意見は黙殺されている。
 さて、薔薇の研究員であるところのヤナは、真珠の研究員をセントラルロビーで待ちぼうけていた。
 ほとんどの仲間たちは、ペアと出会い、研究を開始している。
 が、ヤナの相手だけは一向に姿を見せない。
 手元の資料を読み返す。
 
 イールン研究員
 真珠で優秀な成績を修めている
 得意分野は宇宙生成
 研究員暦5年
 今回の意気込み:ベストを尽くす


 簡潔な自己紹介だった。
 必要なことのみ記入されている資料は、ヤナが送ったものとは正反対だろう。
 性別も年齢もわからないし、性格もわからない。
「お待たせしました、ヤナ研究員」
 サイレント・ソングのように、淡々とした高い声。
「イールン研究員ですか?
 そんなに待っていませ……」
 顔を上げ、ヤナはさらに驚いた。
 男女平等を掲げていても、脳のつくりまで変えることはできないので、研究院は男が3分の2を占めている。
 貴重な3分の1は、ヤナよりも20センチも低かった。
 若いというよりも幼い。
 ヤナと同じぐらいか、それよりも幼いだろうか。
 15、6歳ぐらいの少女は、研究院の制服をきちんと着こなしていた。
「なんでしょうか?」
「いえ、思っていたよりもイールン研究員はお若いんですね」
「選んだのは、意識集合体です。
 その人選に間違いはないでしょう。
 万が一、誤っていたとしても5年の間に排除したと考えられます」
 イールンは淡々と言う。
「……あなたの能力を疑ったわけではなく、その」
「若いというならば、ヤナ研究員も平均年齢と比較して、一回りは若いですね」
「あ。はい……、そうですね」
「研究室に案内していただけますか?」
「すみません、気が回らなくて……。
 そのこちらです」


「ここはいつも音がありますね」
 イールンは研究室に入り、周囲を見渡し、ポツリと言った。
「ええ、そうですね。
 ……お嫌いですか?」
 ヤナは慌てて尋ねた。
「慣れるまで2日ほどかかるでしょう。
 作業に支障はありません。
 ご安心ください」
 イールンは言った。
「今すぐ、切ります」
 ヤナは壁の作業版のキーをいくつか叩く。
 キラキラと甲高い金属音を響かせ、サイレント・ソングは消え、電灯も消える。
 それと共に、机の上の蓄光の器具たちが存在を高らかに歌う。
 緑がかったその光を頼りに、ヤナは懐古趣味的な蝋燭に灯をつけた。
 柔らな光の中、驚いた表情の少女が立っていた。
「気を使わせてしまいました、申し訳ありません」
 イールンは頭を下げた。
 闇のような色の髪がサラサラと肩からこぼれる。
 クセのない綺麗な髪が床をこすりそうになるのを見て
「慣れてますから!
 たまにこうして蝋燭の光だけで過ごすこともあるんです。
 だから、気にしないでください!
 あ、そうだ。
 椅子をどうぞ。
 端末は何がお好きですか?」
 ヤナはまくしたてる。
「特に好き嫌いはありません」
 ちょこんと樹脂の椅子に少女は座る。
「これはどうですか?」
 少年は、仮ごしらえで設置した樹脂の机の上に、小型端末を用意する。
 モニターが立体ホログラフィ型・完全無音タイプ。
 最新流行の端末で、真珠の研究院では大人気の品だという。
「お気遣いありがとうございます」
 イールンは流れるようなキータッチで、起動させ、機能を確認する。
 その姿に軽い尊敬を覚え、ヤナは木の椅子に座る。
 モニターの真っ白な光が当たると少女の瞳は、途端にさざめく。
 小さな惑星のように、冬十字色から月光色まで、緩やかに変化する。
 見覚えのある色に、ヤナはあたふたと机の引き出しを開けた。
「イールン研究員。
 これをご存知ありませんか?」
 小さなガラスケースに入った耳飾りを樹脂の机に置いた。
 蝋燭の光を受けた双眸は、ただの深い青に戻っていた。
「私のものです。
 どこでこれを?」
「ここの研究院に、落ちていたんです。
 それで拾って」
「ありがとうございます。
 手間のかかる色なので、なくすと作るのが大変なのです。
 今は予備をつけているのですが」
 イールンは両耳につけていた耳飾りを外す。
 偏光しない深い青の耳飾りが樹脂の机に行儀良く並べられる。
「作っているんですか?」
「はい。
 ヤナ研究員は既成品ですか?」
 イールンはガラスケースから耳飾りを取り出し、耳につける。
 もう片方の耳には、制服のポケットから出てきた耳飾り。
 二つ揃うと、偏光はさらに際立つ。
「ヘーゼルはよくある色ですから」
「便利ですね」
「あ……はい」
 ヤナはうなだれた。
 こんなとき、自分の目の色が単純で嫌になる。
「惑星の方ですが、希望はありますか?
 形や環境、生き物など、最初に決めておかなくてはなりません」
 イールンはモニターへ向かう。
「一番作りやすいのは、無生物の惑星ですが、評価は低くなります。
 それに面白みがありません。
 最初に数値を規定するだけで、あとは来る日も来る日も観察となります。
 このタイプは既に研究し尽くされているので、新しい発見は期待できないでしょう。
 逆に言えば、生命体のいる惑星は難しいということです。
 やりがいもありますが、失敗した場合、立ち直るのが難しくなるでしょう」
 サイレント・ソングのようにイールンは言う。
「どんな希望でも良いんですか?」
 ヤナは尋ねた。
「はい。
 抽象的なものを具体化するのは、困難な作業ではありません。
 概念的な言葉でも結構ですよ」
「真珠のように丸い、薔薇の惑星ってできますか?」
 ヤナは言った。
 偏光する瞳が深い青に戻る。
 真っ直ぐな視線に、少年は冷や汗をかく。
「イールン研究員のお好きな惑星でいいですよ!
 忘れてください!!」
「いえ、できます。
 薔薇の惑星というのは、薔薇色の惑星ですか?
 大気を薔薇色に染めますか?
 それとも、地表を薔薇色にしますか?」
「……怒らないんですか?
 研究の冒涜だと」
「大変ユニークな発想だと思いました。
 私は考えもしないでしょう。
 地表が薔薇色の惑星は、すでにいくつか存在しており、作り出すのは難しくありません」
 ホログラフィにいびつな惑星が並ぶ。
 どの惑星も、ピンクから赤の色をしていた。
「完全円は無理ですが、真珠程度の円であれば、作り出すことも可能です」
「薔薇科の花だけの生態系は難しいですか?」
「高等な生命体や、食物連鎖の再現は難しくなります。
 単純な生き物であれば、ある程度の種を維持できるでしょう。
 ただ、調整に技術がいります。
 ……これはハンドメイドですね」
 イールンは耳飾りの入っていたガラスケースにふれた。
「あ、はい。
 水質観察器具を作る前に、試作品として作ったんです。
 形がいびつですけど……」
「偏りのある惑星を作るのは、これに似ています。
 まったく同じものを作ることができない。
 繊細で、壊れやすい」
「…………」
「もし、これから作る惑星が壊れても泣かないでください」
 イールンは床に目線を落とす。
「さっき立ち直れないと言ったのは」
「研究員のことです。
 惑星はいくらでも作ることができます。
 けれども、その惑星にいたもの全てを再現することはできません。
 愛玩動物のように、いえ自分の子どものように、執着を覚えた研究員は、惑星が壊れたとき、研究院を去ります」
 そう言った後、イールンはためいきをついた。


 それから3ヵ月後。
 惑星『薔薇真珠』
 評価はA+。わずかSに届かなかったのは、この惑星には高等生命体がいないためである。
 安定した大気と土壌が、薔薇を良く育む。
 研究院の手から離れた後は、宇宙有数の観光地になるだろうと期待されている惑星であった。
 『薔薇真珠』に初めての観光客が舞い降りた。
「圧巻ですね」
 少女は呟いた。
 傍らの少年は言葉なくうなずいた。
 薔薇の香りの風が優しく頬をなでる。
「綺麗ですね」
 ヤナはどうにか言葉を紡いだ。
 止め処なく流れる涙をハンカチでぬぐう。
「ヤナ研究員の成果です。
 私一人では、作れなかった惑星です」
 この惑星は真っ白な光が降る。
 だから、少女の瞳は冬十字色から月光色まで偏光する青。
 広い世界でこの色を見てみたかった。
「いえ、イールン研究員のおかげです。
 僕一人では、完成できなかった」
 お互いを褒め称えあい、小さく微笑んだ。


 薔薇の研究院と真珠の研究院の共同計画・第一期。
 ヤナ研究員とイールン研究員は、優秀な成績を修め、その研究は表彰される。
 共同計画のモニュメントのような惑星は、人々に長いこと愛されることとなった。
 二人の死後も、その惑星に多くの観光客が足を運んだ。
 その惑星の名は『薔薇真珠』
 別名:恋人たちの惑星 
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素材【evergreen】
「覆面作家企画 わたしはだあれ?」