第四話 「珠」

 共同計画・第一期が終了し、二つの研究院はより親密になった。
 二つの船は平行飛行を続け、複数のパイプで連結している。
 職員たちも、許可書なく自由に行き来できるようになった。
 人の流動は、混乱と同時に、双方にメリットを与えた。
 研究は活性化し、弁論は密度を増した。
 成果がそれにつく形で、次々と成功が発表される。
 計画の第二期は、創造から創生。
 生命体と進化樹の発展に絞られ、すでに始まっている。
 第二期計画からもれた研究員たちは、自分の研究に忙しかった。
 時には一人で、時には二人で、時にはチームで。
 共同研究は『研究機関統合監査室』の専売特許ではない。
 薔薇の研究院と真珠の研究院で、大掛かりなチームを編成することもあった。
 もちろん、研究員同士の意思と合意によって。
 それは、素晴らしいことと考えられる。

 そして、私は――。

 ◇◆◇◆◇

 薔薇の研究院と真珠の研究院を連結するパイプの一つには、ロビーが備えてあり、『踊り場』と通称を持つ。
「頑張ってください」
 イールンは言った。
 偏光青の視線の先には、金褐色の巻き毛の女性が立っていた。
 トランクを手に持っているのは、『踊り場』の先が不便だからだ。
 荷物を任意の場所に届ける機械は、薔薇では限られた地域でしか使えない。
「二年連続を狙うつもり」
 シユイは朗らかに言った。
 彼女も良い方向に変わった一人だ、とイールンは再認識する。
 かつての彼女は、排他的で、笑うということもなかった。
 いたわりと優しさを兼ね備えていたけれど、彼女のその面を知る者は少なかった、ように思える。
 今、彼女は最大限の魅了を知らしめていた。
「良いと思います」
「ライバルから宣戦布告されたのよ。
 もう少し、野心がわかない?」
 優しく微笑みながら、シユイは言う。
「これからは成果ではなく、過程に重点を置きたいと考えています。
 価値のある星作りではなく、意味のある星作りをしたいのです。
 年間功労賞を狙うのは、難しくなるでしょう」
 ルーインは言った。
「そう、頑張ってね。
 論文を楽しみにしている」
「ありがとうございます。
 先日の論文、大変参考になりました」
 イールンは丁寧に礼をする。
「あ、もう。
 そんなに深々と頭を下げるのはよくないわね。
 せっかくの髪が汚れるわよ」
「ここの床は清潔で、私の髪も毎日洗髪しています」
「確かにそうなんだけど、見てる側としては、気になるのよ」
 お節介でしょうけど、とシユイは付け足した。
「ありがとうございます」
 イールンはお辞儀をしないように、気をつける。
「あなたとは、研究だけではなく、もっとプライベートなことも話せるような間柄になりたいの。
 つまり、友だちね。
 もちろん、嫌なら断ってもいいわよ」
 明るく巻き毛の女性は言う。
「友人とは違うのですか?」
「より親密な友人になりたいの」
「……私も、なりたいです」
 おずおずとイールンは言った。
「じゃあ、私たちは今から友だちよ。
 困ったことや、辛いことが起きたら、必ず連絡ちょうだい。
 解決できなくても、相談相手には……愚痴や泣き言、聞いてあげるわ」
 シユイはイールンの手を取り、言った。
 白い手は、とてもあたたかかった。
「私も話を聞きます。
 連絡ください」
 そう言うことが礼儀なような気がして、イールンは言った。
「どこかに、遊びに行きましょう。
 そして、たくさん思い出を作るの」
「素晴らしい計画ですね」
「この別れは、別れじゃないわ。
 ちょっと、距離が開くけど、隣にいるんですもの」
「はい」
 イールンはうなずいた。
 何故か、涙があふれてきた。
「シユイ研究員の研究の成果が待ち遠しいです」
「もう、シユイでいいわよ。
 そのかわり、あなたのことイールンと呼ぶわ」
「はい」
 初めてできた『友だち』だった。
「じゃあ、またね」
「次に会うまで、さようなら」
 イールンは涙をこらえて言った。
 名残惜しそうに、けれども未来へ向かって、シユイは歩き出した。
 イールンは踊り場で立ち尽くしていた。

 ◇◆◇◆◇

 同日『踊り場』
 真珠の研究院のように、ここは白い光であふれている。

 ヤナは薔薇から真珠に向かっていた。
 そこで美しい光を見つけた。
 冬十字色から月光色まで、緩やかに変化する青。
 いつでも、どこであっても、この青だけは見誤ったりはしない。
「イールン研究員」
 ロビーのソファーに、ちょこんと腰掛けていた少女に声をかける。
「ヤナ研究員?」
 偏光する青の双眸が少年を写す。
 あまりに無垢な仕草に、ヤナの緊張感は増す。
「ちょうど良かった。
 あなたに会いにいこうと思っていたんです。
 隣良いですか?」
「はい」
 人形のように美しい少女はうなずいた。
「5日ぶりですね。
 そのー、今度また『薔薇真珠』に行きませんか?」
「安定しているので、観測に行っても数値の変化はないと考えられます」
「この写真、見てもらえますか?」
 ヤナはファイルから、大きく引き伸ばした写真を一枚出す。
「薔薇が良く咲いていますね。
 特に問題はないようです」
 少女が覗き込むと、長い黒髪がサラサラと流れる。
 絹糸のように光沢のある髪は、それだけで芸術品のようだった。
「ここです。
 新種だと思うんです」
 ヤナはどぎまぎしながら、写真を指す。
「自然が生み出した突然変異だと。
 今のところ、発見されていない形の花弁です。
 これより小型の品種であれば、このような形の花弁はあるんですけど。
 あ、これがそうです」
 ヤナはプリントアウト済みの資料をイールンに渡す。
「大型では例がないようで、植物関係の資料を読み返したんです。
 今のところ申請待ちもないみたいです」
「採取する必要がありますね。
 種として確立しているなら、申請をしましょう」
「綺麗な色の花だから、イールン研究員に最初に見せたかったんです」
「バラ科の花では標準的な色ですね」
 イールンは表情を動かさずに言った。
「ピンクは嫌いですか?」
 ヤナは慎重に尋ねる。
「色に対して、好悪を感じたことはありません」
「嫌いじゃないなら、いいです。
 この花に、あなたの名前をつけても良いですか?」
 ヤナは緊張しながら言った。
 これが今回の用件だったのだ。
「発見者はヤナ研究員です。
 あなたの名前が妥当だと考えられます」
 公平の女神の使者のごとく、彼女は平等を信じている。
「記念に」
 少年は食い下がる。
「それでヤナ研究員の気がすむのでしたら、どうぞ」
 少女は言った。
「花に名前をつけられるのは、嫌ですか?」
「手柄を横取りしたような気分です」
 ムッとした顔で、イールンは言う。
 彼女はとても真面目で、責任感が強い。
「前から決めていたんです。
 この惑星で一番初めの新種の花に、イールン研究員の名前をつけようって」
「二番目の発見には、ヤナ研究員の名前をつけましょう」
 イールンは言った。
 名案といわんばかりに、不思議な青の双眸はキラキラと輝く。
「三番目以降の名前を用意しておかないといけませんね」
 ヤナは微笑んだ。

 ◇◆◇◆◇

 真珠の研究院。
 イールンは私室で、サイレント・ソングを聴いていた。
 正確には、サイレント・ソングを音楽的に再構成した音楽ディスクだ。
 適当なところで一周するディスクは、無限にサイレント・ソングを奏でる。
 ハンドメイドのガラスケースが再生機となっていて、自鳴琴のようになっている。
 困ったように微笑みながら、ヤナ研究員がくれたのだ。
「……困らせている」
 イールンは呟いた。
 年上の研究員はとても親切で、一緒にいて不便さを感じなかった。
 気配り上手というのとは違う。
 彼は善良で、親切なのだ。
 それを困らせている自分はとんでもない悪人なのだろうか。
 負担になりたいわけではない。
 ヤナ研究員が親切にしてくれるように、自分も彼に親切になりたいのだ。
 けれど、その方法がわからない。
 音楽が思考を侵食していく。
 思い出すつもりもないのに、記憶が脳の中で再構成される。
 どの記憶にもヤナ研究員がいた。
 人生の中で、彼と一緒にいた時間はまだわずかだ。
 絶対数が少ない。
 だから、記憶はループする。
 自鳴琴のように、何度もくりかえされる。


 そんな気持ちのまま、イールンは調査日を迎えた。
 惑星の地表から見た空は、見事な快晴。
 美しい青が広がっていた。
 星の海を漂う人々が最も好む色の空だった。
 二人は整理された道を歩く。
 観光惑星として定着しつつあるため、あるのは薔薇とそれを縫うようにある地表の道だけだ。
 研究院と一部の船以外は、大気圏内で飛ぶことを禁止している。
 環境保全のためだった。
 だから、二人の研究員もできるだけ自力で歩いた。
「この惑星に、もう別名があるんですよ」
 ヤナは微笑みながら説明する。
 彼はいつもにこやかで、彼の説明を聞くのが好きだった。
「恋人たちの惑星と言うんです。
 デートや新婚旅行に最適だと、PRされていました。
 何だか、恥ずかしいですね」
「どうしてですか?
 この惑星の価値が高いから『上』も、宣伝に力を入れているのでしょう。
 誇りに思うべきです」
 イールンは言った。
「気恥ずかしいんです。
 照れくさいと言うか……。
 恋人という言い回しが、何だか。
 惑星という価値は低いかもしれませんが、植物園としては価値があると思ってるんです。
 宇宙で一番バラ科の植物があります」
 年上の研究員は誇らしげに言う。
 この惑星をとても大切にしていることが、よくわかる。
「はい」
 少女はうなずいた。
「この惑星が真珠の形をしているというのも、いいところだと思っています。
 大きな記念碑みたいですよね」
「共同計画の記念碑ですか?」
「もっとスケールが小さい感じで。
 交流の始まりの記念碑です」
 ヤナは恥ずかしそうに言った。
 穏やかに起伏する感情は、とても居心地が良かった。
 彼の笑顔も、声も、話し方も、イールンは好きだった。
 イールンは無心に見上げる。
「あ、この花です。
 これが記念すべき、新種第一号です」
 少年は指し示す。
 イールンの胸の高さ辺りで、花は咲いていた。
 たっぷりとした花弁と標準的な色合いの薔薇。
「棘が少ない代わりに、香りが薄いですね」
 イールンは観察する。
 すでに採取は機械が代行している。
 自生しているところを肉眼で観察するために、ここまで来たのだ。
 研究的には無駄足に近い。
 かつての自分なら、しないであろう行動。
 自分も良い方向へ変わっていっているのだろうか。
「?
 なんですか?」
 視線を感じて、イールンは顔を上げた。
「その。
 ……まるで精霊みたいだと思ったんです。
 神話や伝説に出てくる花の精霊のようだ、と。
 花を咲かせるために、一生懸命に世話をする」
 ヤナは目を逸らし、言った。
 その頬が赤いのはどうしてだろう。
 急に熱でも上がったのだろうか。
「遠からず、と言うところですね。
 私たちはこの惑星を管理しています。
 この惑星から見れば、私たち二人は精霊のようなものかもしれません。
 残念なことに、惑星には思念はありません」
 イールンは言った。
「きっとこの惑星は、あなたに感謝をしています。
 この惑星は、あなたにとても優しい」
 ヤナは微笑み、空を仰ぐ。
 柔らかな風が薔薇の芳香と花弁をのせ、空へと舞い上がる。

 『シンパシー』

 今、惑星の数値が知りたい、とイールンは強く思った。
 安定が崩れているだろう。
 誤差の範囲で、数値は音楽を奏でている。
 精霊は、彼のことだ。
「違います。
 この惑星が優しいのではありません。
 あなたが私に優しいのです。
 惑星は思念を持ちません。
 けれど植物は、好悪を持ちます。
 この惑星の植物は、あなたに共鳴しています」
 イールンは途惑いながら言った。
「え?」
 ヤナは困惑を浮かべる。
「数値に変動があります。
 船に戻ったら、確認したほうがいいですね」
 イールンは言った。
「そんなこともあるんですか?」
「私も初めての経験です」


 数値は誤差の範囲で揺らいでいた。
「誤差と言えば、誤差のような」
 ヤナは数値を見て言う。
「地表へ降りたときだけ、誤差が出ています。
 過去のデータです」
 『薔薇真珠』が誕生したばかりの頃のデータを呼び出す。
「……実感がわきません」
「私もです」
 二人は視線を交わす。
「…………植物に僕の心がわかってしまったら、大変です」
 ヤナは困ったように笑う。
 少女はうつむいた。
 イールンにとっては、新しい発見で、心が躍っている。
 けれど、ヤナは違う。
 その違いが、……悲しかった。
「隠し事ができなくなってしまいます」
 少年は言った。
「ヤナ研究員は、隠し事があるのですか?」
「あまり得意ではないので、少しだけ」
 でも、もうやめます、とヤナは微笑んだ。
 
 
 その夜。
 イールンは泣きながら、友だちに電話した。
「どうしたの、イールン」
 ホログラフィの中のシユイは優しく微笑む。
「涙が止まらなくなったから」
 イールンは訴えた。
「嫌なことでもあったの?」
 友だちの声はホログラフィを通しても変わらない。
「自分自身が嫌になりました。
 どうして親切にできないんでしょうか?」
「誰に親切をしたくなったの?」
「ヤナ研究員に」
 少女はハンカチで涙をぬぐう。
 もう3枚目のハンカチだ。
「そう」
「彼はとても親切なのに、私は彼を困らせてばかりいます」
 イールンは言った。
 この間もそうで、今日もそうだった。
「別に、かまわないんじゃない」
「そんなことは」
 イールンは首を横に振る。
「今までどおりではダメなのね」
「はい」
「ヤナ研究員はあなたに親切を期待して、親切をしてるんじゃないと思うんだけど」
「はい」
「もしかして、あなたヤナ研究員のことが好きなんじゃない。
 つまり、恋している。
 自信がないんだけど……」
 シユイは途惑いながら言った。
 『恋』
 すっと、その言葉はイールンの胸に落ち着く。
 今までの自分の行動と、感情の変化を考え、結論を導き出す。
「理解できました。
 ありがとうございます」
 イールンは泣き止み、丁寧にお辞儀をした。
「あー、だから。
 そんなに頭を下げると、髪が!
 ……汚れるわよ」
 シユイはためいき混じりに言った。
「気をつけます」
 イールンは小さく微笑んだ。

 ◇◆◇◆◇

 数日後。
 ローザ・ハイブリットの一種『イーリニア』が正式に誕生する。
 柔らかなピンクの花弁には、小さな切れ込みがあり、ハイブリットでは初めての型になる。
 芳香は少なく、とげも多くないことから、贈答用に期待された。
 発見者が植物学者ではなく、科学者であったことから話題になる。
 研究院の中ではささやかな部類の発見だったので、ここでは大きな話題になっていない。

 ヤナはイーリニアの花束を抱えて『踊り場』へ向かう。
 ソファーでは歓談する者も少なくなかった。
 新しいくつろぎのスペースとして、『踊り場』は認識され始めたようだった。
 所在なげにイールンは立ち尽くしていた。
「これをあなたに」
 挨拶そこそこに、ヤナは言った。
 『薔薇真珠』の最初の新種が持ち運べるもので良かった、とヤナは思う。
「ありがとうございます」
 イールンは会釈する。
 約束は取り付けたものの、用件は言ってなかった。
 だから、小柄な少女は不思議そうにヤナを見上げる。
「ずっと前から、あなたが好きです。
 僕の恋人になってください」
 勇気を総動員して、少年は言った。
 不思議な双眸が瞬く。
「はい。
 これからもよろしくお願いします」
 イールンは丁寧にお辞儀をした。
「ほ、本当ですか?」
 あまりに呆気ない返事に、ヤナは訊き返してしまう。
 まさか、受けてもらえるとは思っていなかったのだ。
 交際を申し込んだ側だというのに、ヤナは驚いた。
「この前、言ったこと撤回します。
 色に対して、好悪がないと言いました。
 でも、私もピンクが好きになりました」
 イールンはかすかに笑む。
 ヤナにとっては十分な答えだった。

 そして、この一件は大きな話題となった。
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