第五話 「尺」

 共同計画第二期が始まる直前。
 薔薇の研究院、ヤナ研究員の研究室。
 この研究院の顔でもあるトップ研究員は、自分の部屋のようにくつろいでいた。
 部屋の主は、見慣れた光景に文句をつけたりはしない。

「ディエン先輩が自分の研究を譲り渡すなんて意外です」
 ヤナは言った。
「第二期の面子に、名前が入ってるんだから、仕方がない。
 その後も予約があるし、時間が足りないんだなー。
 どう考えても」
 総木作りの椅子に座り、ディエンは言う。
 あまりに長く入り浸るため、ヤナがもう一つ椅子を作ったのだ。
 研究室の標準備品である樹脂の椅子は、部屋の片隅でビロードの布に包まれている。
「第二期の準備期間に、そろそろ入るんでしたね。
 僕のほうは名前がなかったので、自分の研究に戻れます」
 ヤナは微笑む。
「代わりたい? 代わってくれる?」
「いえ、薔薇の一番とは交代できません。
 名実共に、ディエン先輩は一番になったんです。
 もっと、活躍してください」
 少年の笑顔に苦笑が混じる。
「あー、なんでだろうねー。
 一番なんて、欲しかったわけじゃないんだけどなー。
 身なりを元に戻せば、評価が変わったりして」
 ディエンはニヤリと笑う。
 トレードマークの長髪は、バッサリと短く切られ、常識的な長さになっていた。
 男性としてはやや長め、モデルや芸能人のような髪型で、人気は上々。
 今のように制服をきちんと着てると、研究院のPR活動のモデルのようだった。
「ディエン先輩は女性に大人気なんですよ。
 共同投票の恋人にしたい男性職員で、一番になったばかりじゃないですか。
 もったいない」
「ヤナは何番だった?」
「一票も入っていませんでした」
「義理投票してもらえなかったのか?
 イールン研究員は女性だろう」
「知らなかったみたいです。
 後から聞きましたが、知っていても投票はしないそうです。
 そう言えば、制服着て、どこへ行くんですか?」
「ああ。これ?
 出迎えに行こうと思ってるわけさ」
 黒髪の青年は、自分の濃い青色の制服にふれる。
「もしかして、例のお知り合いですか?
 授賞式のとき、遠めで見ましたけど、美人ですよね」
「今度は近くで見られるぞ」
 
 サイレント・ソングに華やかな電子音が混じる
 
 自動扉が開き、人が飛び込んできた。
「お久しぶりね、ディエン研究員!
 人生最大の幸運が起きたのよ!
 聞いてちょうだい」
 高くも低くもない甘さのある音楽的声。
 華やかというよりも、神々しい美しさを持つ女性が、親しげにディエンの手を取る。
 突然の成り行きにヤナは驚いてしまう。
「もちろん聞いてるよ。
 それで、今日みたいな素晴らしい日に起きた幸運とはなんだい?」
 余所行きの物腰で、ディエンが尋ねる。
「私に友だちができたの。
 イールンと友だちになったのよ!
 すごいでしょう!
 ずっと前から、友だちになりたかったんだけど、彼女も私と友だちになりたいと思ってくれたの。
 完璧な両思いよ!」
「それは良かった。
 だから、予定より早く到着したのかい?
 約束の時間まで、あと1時間はあったのは、俺の記憶違いだろうか」
 青年は言う。
「それはもちろん、あなたにできるだけ早く会うためよ。
 ベスト・オブ・イヤー以来でしょ。
 ホログラフィで顔合わせをしてるとはいえ、実物のほうが何倍も素敵ですもの。
 あら、髪を切ったのね」
「気づいてくれて嬉しいよ。
 切ったのはもう一月は前の話になるんだけど」
「ごめんなさい。
 知ってのとおり、私は人の外見にそれほど興味がないのよ。
 重要なのは清潔感だと思っているわ」
「研究者の鑑だね。
 ところで、ここは俺の後輩の研究室なわけなんだけど。
 家主が驚いている」
 ディエンは言った。
「お邪魔なら、出て行きますよ」
 少年は気弱に微笑んだ。
「失礼しました。
 私はシユイと申します。
 ヤナ研究員の噂はかねがね伺っていました」
 金褐色の髪の美女はヤナに向き直ると、穏やかに言った。
 そうしていると、神々しさに磨きがかかり、神の御前に立たされているような気分になる。
「とてもロマンチストだと、イールンも言ってました。
 『薔薇真珠』は、宇宙に浮かぶ宝石のような惑星ですね。
 数値が完全調和でした」
「ありがとうございます」
 ヤナは立ち上がり、会釈する。
 シユイは女性としては背が高く、ヤナと身長差がほとんどなかった。
「僕も、シユイ研究員の噂は聞いていました。
 研究も素晴らしいけれど、姿形はもっと素晴らしい。
 太古の黄金惑星のようです」
 少年は思ったことを口にした。
「まあ!
 嬉しいわ。
 そんな風に褒められたことないから、ドキドキしているのよ。
 外見を褒められるのも嫌いじゃないけど、研究を褒められるほうがもっと嬉しいわ」
 シユイは微笑む。
「さて、そろそろお暇する。
 騒動を呼び込む形になって、悪かったな」
 ディエンは言った。
「いえ、気にしていません」
 ヤナは言う。
「じゃあ、また。
 シユイ研究員殿、俺の研究室に案内しよう。
 ここと違って、あまり趣がないのは許して欲しいね」

 ◇◆◇◆◇

 ディエン研究室。
 ここでもサイレント・ソングは静かに流れている。
 電子音が純粋に懐かしい、とシユイは思った。

「時間に余裕があると思って、あまり片付いていない」
 ディエンは肩をすくめる。
「そうなの。
 物がごちゃごちゃしていなくて、管理されてると思うんだけど」
 シユイは研究室を見て回る。
 それなりの広さのある空間には、私物がほとんどない。
 作りつけの物と標準の備品ばかりが並んでいる。
 ファイルケースは整然と並び、樹脂デスクの上がやや雑然としているだろうか。
 ディスクが数枚、散らばっている。
「最近は、物が増えてきたなー。
 できるだけ、物を持たないように気をつけているんだ」
「私室はもっと散らかってるって?」
「さあ、どうだろう。
 研究室と違って、他人のものと見比べることはないからなー。
 椅子をどうぞ、お嬢さん」
 ディエンは紳士的な仕草で、予備の樹脂椅子を勧める。
「あら、これは私物?」
 デスクの上にあった写真たてを持ち、シユイは椅子に座った。
 写真たてには、2枚の写真が入っていた。
 1枚は第一期の表彰式で、シユイとディエンが並んで写っていた。
 もう1枚は、それの10年以上前。
「あ、しまった。
 それはこっちに置いてあったのか。
 失念していたな」
「こうして並べてあると不思議ね。
 あまり変わっていないつもりだったけど、時間は流れているのね」
 シユイは写真たての縁をなぞる。
「君はより美しくなった」
「……あなたはそればかり言うのね」
「理解できない?」
「ええ、理解できない。
 ヤナ研究員の褒め言葉は理解できたけど。
 黄金惑星みたいだなんて、素敵ね。
 あの星はいくつかの欠点を持っていたけど、それを補うだけの美しさがあった。
 宇宙でも稀有な星。
 素敵な褒め言葉だわ」
 シユイは言った。
 星はいつだって、わかりやすく、美しい。
 その美しさに敵うものを、シユイは一つしか知らない。
「俺にしてみれば、君は惑星じゃなくて、恒星だ。
 自分で光り輝き、引力で他の星を従える。
 ハーモニーの恒星の名前は、君の名前に変更してみたらどうだ?」
「今更、変えてどうするの?
 利点がわからないわ」
 シユイは目を瞬かせ、青年を見上げる。
「俺が好きなだけ君の名前を連呼できる」
 ディエンは悪戯っ子のように笑う。
「私の名前なら、好きなだけ呼ぶといいわ。
 別に減るもんじゃないし」

「シユイ」

 ためいきに似たささやきが名を呼んだ。
「昔とは違うのね。
 今日は何だか、感情的だわ。
 以前の私なら自制できたのに、今はダメね」
 シユイは泣き出すのをこらえた。
「昔が懐かしくて、寂しくて、苦しいわ」
 古い写真の中の二人は、無邪気に笑っている。
 この日々は、もう帰ってこないのだ。
「今は不愉快かい?」
「あなたは変わってしまったのね」
 気がつかなければよかった。
 どうして、気がついてしまったんだろう。
「君が変わったようにね」
 ディエンは寂しそうに笑う。
 それがとても気の毒に思われた。
 変わってしまったことは、罪なのだろうか。
 どちらにしろ、シユイの理解の範疇を超えたものだった。
「ああ、こういうのを『期待させる』ことなのかしら?
 確かいけないのよね」
 シユイは眉をひそめた。
「学習してきたのかい?」
「関連文献をたくさん読んだわ。
 つまり、女主人公の恋愛小説ね」
「…………目に浮かぶよ」
「知識は得たけど、納得はできなかった。
 それで、泣いてもいいかしら?」
「どうぞ」
「胸を貸してくれる?
 泣いてる顔を見られたくないの」
「学習してきたんだろう?」
 ディエンは困ったように言う。
「私が泣きやんだら、キスしてもいいわよ」
 恋愛小説は、大概そんなパターンだった。
 他に人はいないし、ペラペラとしゃべらなければ、大きな話にはならないだろう。
「君の得た知識は、本当にうわべだけだ。
 無償で胸を貸すよ」
 ディエンはそう言うと、優しくシユイを抱きしめた。
 親愛の情で差し出されたあたたかさだった。

 ◇◆◇◆◇

 忙しい第二期が始まった。
 大掛かりなチーム編成で、研究に当たることとなった。
 薔薇のトップであるディエン研究員は、誰よりも忙しかった。
 突っ立っているだけで場が華やかになる外見に、明晰な頭脳。
 自分の才能に鼻をかけない謙虚さと、気の利いた会話。
 本人の望まないところで、頼りにされ、利用された。
 そのため、たまに姿をくらました。

「ごきげんよう、ヤナ研究員」
「……『薔薇真珠』にどうしているんですか?」
 後輩は呆れた。
「デートの邪魔しに来たに決まってるじゃないか。
 こんにちは、ヤナの恋人さん」
 ディエンはにこやかに言った。
 声をかけられた小柄な少女は、ニコッと笑う。
 人形じみた美貌が人間味を備える。
「あなたがディエン研究員ですね。
 シユイが自慢の幼なじみだと、言っていました。
 初めまして、イールンと言います」
「デートじゃありません。
 調査です」
「公私混同か。
 ずいぶんと楽しいことをしているじゃないか」
 ディエンはニヤリと笑う。
「ディエン先輩、研究は良いんですか?」
「たまには外の空気を吸わないと。
 思考が煮詰まるとろくなことがない」
 ディエンは言った。
「気分転換は重要です。
 休養を取るのが下手な職員が多い中、ディエン研究員は休養の重要性をよくご存知ですね」
「ディエンでかまないよ、お嬢さん」
「私のことは、イールン研究員と呼んでください」
「いいよ。
 友だちになるわけじゃないからねー」
「それで、休暇中なんですか?」
 やや不機嫌そうにヤナは言う。
「そんなに邪険にするなよ。
 すぐ帰るって。
 いいねー。
 『薔薇真珠』はヤナ君の趣味丸出しで」
「大変ユニークです」
 イールンは心なしか嬉しそうに言う。
「ハーモニーは、俺の趣味が全然なくて、キレイだよー。
 今度、遊びにおいでよ。
 第三惑星の衛星がお勧めだからさ」
「高等生命体を育てないんですか?」
 ヤナが尋ねた。
「星に任せるよ。
 あれは俺だけの星じゃないから、手を入れられない」
 ディエンは肩をすくめる。
「あ、先輩。
 あれがイーリニアです」
 ヤナが指差す方向に、可愛いピンクの薔薇があった。
「これがご自慢の薔薇か。
 ロマンチストだね、好きな子の名前をつけるなんて。
 俺は星につけようとしたら、却下されたってのに」
 ヘーゼルと偏光する青の瞳がディエンを見上げていた。
 二つの異なる色の瞳には『意外』という文字がありありと浮かんでいる。
 隠し事が下手なのか、する気がないのか。
 どちらにしろ似た者カップルだった。
「ハーモニーの恒星に『シユイ』とつけようと提案したら、却下されたよ」
 ディエンは微苦笑した。
「付き合っていたんですか?」
 ヤナが尋ねる。
「いや、全然」
「え。でも、だって」
「長期戦だよ、まったく。
 もう15年ぐらいだから、人生のお供だね」
「片思いなんですか!?」
「似合わないって言わないでくれよ。
 自分でも自覚してるんだから」
「……幼なじみって、そんなに仲良しなんですか?
 二人は恋人同士だって、噂だらけですよ」
 ヤナは言った。
 イールンも隣でコクコクとうなずく。
「噂どおりになりたいもんだね。
 それで、この惑星の見所は?」
「シンパシーです」
 イールンが答えた。
「そ、それは!」
「まだ、非公開のことですが、この惑星の植物はヤナ研究員とシンパシーを持ちます。
 花の開花時期まで、作用することがわかりました」
 サイレント・ソングのような声が淡々と説明する。
 ディエンは改めて、周囲を見渡す。
 視界は薔薇ばかりで埋まる。
 どの花も、美しく咲いている。
「なるほど、歌うのか。
 素敵な惑星だね」
「はい」
 イールンはうなずく。
「宇宙一のバラ科の植物園であることが特徴です。
 ここだけにしかない植物もあるんですよ」
 ヤナは言った。
「へー。
 植物学者になるつもりかい?」
「それに、この惑星は真珠の形をしています。
 恒星への軌道もほぼ円形なんですよ」
 嬉しそうに後輩は言う。
 自分の手から生み出されたものだ。
 思い入れたっぷりだろう。
「こだわりだねー。
 それ、世界創造では、あんまやんないことだよ。
 この手の星は、ほとんど評価されない。
 価値の低い星は生み出すべきじゃないからね。
 子どもの描いたラクガキみたいだ。
 実現したのは、イールン研究員の手腕だね」
「調整はハイレベルでした。
 ですが、この惑星は作るべきだと、私は考えました。
 後悔はしていません」
 イールンは答える。
「だーかーら、発想と実現力を褒めてるんだよ。
 他人と同じことをしても、意味がないだろう?
 今の研究は、俺がやる意味がない。
 誰でもいいんだ」
「ディエン先輩?」
「ちょっと自信喪失」
「前もそんなことありましたね。
 第一期の最後のほうで」
「過去は振り返らない主義なんだ」
 ディエンは言った。
「未来を考えない主義とか、以前言ってませんでした?」
 ヤナは困惑気味に言った。
「現在しか、残らない」
 ポツリとイールンが呟いた。
 ディエンとヤナは、失笑した。
「いいねー、それ。
 その場のノリだけで生きてるみたいでさ。
 あー、声を出して笑うっていいねー。
 生きてるって実感するよ」
 笑いおさめ、ディエンは言った。


 研究室に戻るのも気が引けて、ディエンは私室に帰った。
 朝一で謝ろうと、言葉を考えながら室内に入り、絶句した。
「私室も、物がないのね」
 シユイがいた。
 しかも、備品の椅子に腰かけて。
「…………鍵かけていかなかったのが、悪かったのか」
「薔薇の研究院は、鍵をかけないんでしょう?
 事務局で、そのまま入れるって教えられたわよ」
「へー、そうなんだ。
 みんな美人には口が軽いねー」
 ディエンは冷蔵庫から、ジュース缶を取り出した。
「グラスはないから、そのまま飲んでもらうけど」
 シユイに手渡す。
「生活する気がないのね」
 ヘーゼルの瞳があきれ返る。
「この部屋は、寝に帰るようなものだから。
 くつろぐときは、ヤナ研究室だよ」
 ディエンはベッドに腰かけた。
 物を多く持たないのは、長居するつもりがなかったからだ。
 研究は手段でしかなかったから、研究院に執着がほとんどなかった。
 研究員になり、後輩ができ、考えはだいぶ軟化したが、習慣はなかなか抜けない。
「あそこは居心地良さそうね」
 シユイは不器用に缶を開ける。
「それで私室まで押しかけた理由は、俺がサボったせいかな?」
「まあ、そうね。
 ヤナ研究員に教えてもらったの。
 無音だけでなく、会話がないのもダメなんですってね。
 寂しがりだって言ってたわ」
「いつの間に」
 あの直後だろうな、と辺りをつける。
 後で、とっちめておこう。
 ディエンは頭のメモ帳に書きつけた。
「ついさっきよ。
 だから、話し相手に来たの。
 あなたには借りがたくさんあるから、少しは返さないと」
 シユイは言い、ジュースを飲む。
 その瞬間、ニコッと飾り気のない笑顔が浮かぶ。
「善意は嬉しいんだけど、人選がマズイねー。
 恋愛小説で、こんなシーンはなかった?
 ヒロインが夜遅く、男性の部屋に入って。
 何かの弾みで、深い関係を持ってしまった、とか」
 どうやって親切の押し売りを帰そうかと、ディエンは考える。
「ああ、あったわ!
 すごく詳しいのね」
 キラキラと目を輝かせて、シユイは言った。
「自分の立場を考えてみると、楽しいよ」
「……あら。
 じゃあ、私はこの後、迫られるの?」
「ご希望かな?」
「話をしに来たのよ。
 押し倒されたら、話にならないじゃない」
 ヘーゼルの瞳はきょとんとする。
 妙齢の女性に仲間入りを果たした乙女は、危機感が欠如していた。
「寂しさを埋めるのは、言葉だけじゃないさ」 
「……どうして、そんなに寂しいの?
 昔は、そこまで寂しがりじゃなかったと思うんだけど。
 もちろん、10年以上前の話だけど、大人になるにつれ寂しがりになるなんて、不思議な気がするわ」
「善意だけなら、もう十分だ。
 今日は帰ってくれないか?」
 これ以上の会話は、意味がない。
 言葉遊びに付き合う根気もなければ、余裕もなかった。
「怒ってるの?」
「我慢にも限度がある。
 俺に必要なのは、……親愛じゃない」
 ディエンは目を逸らした。
 ふっと人の動く気配がした。
 このまま、彼女は帰るだろう。
 一晩寝たら、いつも通りの研究の日々だ。
 ディエンは納得しようとしていた。
 傍らであたたかな気配がして、ディエンは驚いた。
 間近にヘーゼルの瞳があった。
「血の色ね」
「……確認するだけなら、明日にして欲しかったな」
 ディエンはためいきをついた。
「あなたの瞳を覗き込むのが好きだったわ。
 とっても、気持ち……じゃなくて、綺麗だったから」
「未だに、気持ち悪いと思っているようだね」
 ディエンは無理やり笑う。
「……そうね。
 似合いすぎていて気持ち悪いわ。
 こう、なんていうの。完璧なの。
 完全調和は、ときに奇妙でしょう?
 それと一緒。
 様式美あふれる世界よりも、ずっと綺麗だわ」
 うっとりとシユイは言った。
「嫌なのかと思っていたよ」
 長年の勘違いが彼女と話していると解けていく。
 ズレた感性の持ち主だと思っていたが、予想より大幅にズレていたらしい。
「まさか。
 とても素敵な色だと思っているわ。
 傷つけるつもりは、まったくなかったの。
 今更だけど……許さなくてもいいから」
「気にしていない」
 ディエンは自然に言った。
「最近、気がついたことがあるの。
 どうも、私は他人とズレているらしいってこと」
 シユイは悩ましげにためいきをついた。
「それこそ、今更だ」
「だから、他人と同じスケールで測るとおかしくなるの。
 人体の美醜とかも、そうね」
「この話は、明日にはできない?」
 ディエンは言った。
 できることなら、帰って欲しい。
 我慢の限界を超えた先の責任は取れない。
「あなたが眠くても、最後まで話していくつもりよ」
 真剣な面持ちで、シユイは言った。
「こう見えても紳士だから、君を押し倒すのを我慢してるんだ」
「それで」
 話を続けようとするシユイをディエンは組み敷いた。
 柔らかな金褐色の髪が、緩やかに巻きながら、シーツの上に広がる。
 真っ白なシーツは、彼女に良く似合う。
「最後のチャンスだ。
 シユイ、帰るなら、今すぐ帰るんだ」
「話の途中よ」
 強情にシユイは言った。
 ディエンは、その頬に唇をよせる。
「それで、考えたの。
 他人のスケールじゃなくて、自分自身のスケールを探したの。
 幸い、ここには、比較対象がたくさんあったわ。
 真珠と比べるまでもなく」
 シユイは話し続ける。
「あ、押し倒されても、話はできるわね。
 意外な発見だわ。
 小説では、大概ヒロインはうっとりしているか、泣いているものね」
「あるいはキスしているか、だ」
 ディエンは額にくちづけを落とす。
「そんなパターンもあったわ。
 話がそれたわね。
 それで、気がついたの。
 Aの場合は、不快感。
 Bの場合は、安堵、ないしは幸福感。
 かなりの数の統計だから、精度は高いわ。
 Bが特別だとわかったの」
「択一は危険だ」
 親愛の情を示すときのくちづけと変わらない、くちづけを落とす。
 頬に額に鼻先に。
 なぐさめや、いたわり。
「その辺は、ぬかりはないわよ。
 くちづけをされるって、気持ちいいのね。
 あなただからかしら?」
 屈託なくシユイは言った。
 汚れのないものを目にして、ディエンは汚す度胸がわかないタイプの人間だった。
 今の今まで、男女の関係に陥らなかったのは、そのためだ。
 シユイは神聖すぎた。
「それで、気がついたの。
 あなたが特別だって。
 おそらく世間一般で言う『恋』だと思うわ。
 私は、あなたが好きなの。
 あなたが同じ気持ちだったら、嬉しいし、違ったら悲しいわ。
 これで、私の話はおしまい。
 最後まで聞いてくれて、ありがとう」
 朗らかにシユイは言った。
「君はやっぱり高慢な女神だ。
 俺はずっと君が好きだったんだ。
 星にしか興味がなかった君だったから、共通の話題欲しさにスクールにも通った。
 真珠に行けないとわかった後も、研究を続けたのは、君に逢いたかったからだ。
 途中、手段が楽しみに変わったのが、不幸中の幸いだな」
 ディエンはぎこちなく笑う。
「世間で言うところ、両思い……かしら?
 恋人になれるわね」
 楽しげにシユイは言った。
 ディエンはキスする代わりに、無邪気な恋人をぎゅっと抱きしめた。

 ◇◆◇◆◇

 共同計画・第二期は、まずまずの成功を修めた。
 薔薇の研究院と真珠の研究院だけではなく、他の研究院と連携して、共同計画は第三期以降、それなりの波乱を持ちながら順調に進んでいく。
 宇宙には、多くの銀河が生まれ、数多の惑星が生まれた。
 新しい生物が育ち、滅び、進化した。
 人は星の海に漂いながら、箱庭を創り、壊し、満足した。
 泣き、笑い、苦しみ、喜びながら、宇宙は満たされていく。
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