ジャンル   異世界ファンタジー、魔法学園もの、ライトノベル風
使用お題  蝉、夕凪、終戦記念日
原稿用紙  36.7枚

夕焼けを覆う

 サファイアは夕焼けを覆う。
 佳華国(かかこく)の古い魔術師の遺した言葉だ。
 より正確さを求め、魔術師はさらに言った。
 『サファイアグラスを蒔いたような美しい夕焼けではないか。サファイアグラスの中には夕焼けという事象の全てを閉じこめても、なお可能性が輝いている』
 学院の研究生である少年――葉誦(ようしょう)はふいに思い出した。
 大時計を背後に大階段から見下ろした夕焼けは、ブルー、オレンジ、ピンク、ヴァイオレット、サファイアが持つ色彩を全てで世界を彩っていた。図書館から大階段まで続く木立から聞こえる蝉の鳴き声も情景に深みを与えているようだった。
 夕方が美しく去っていこうとしている。
 今日が炎天の月、王者の日でなければ、葉誦も素直に感じ入ったかもしれない。
 が、どう考えても、16年間という短い人生の中であっても、最低から数えて二番目ぐらいの日だったので無理だった。一番目は思い出したくない。
 佳華国では一般的に『戦勝祭』と呼ばれる夏の一大イベントが今日までだったというのに、この三日間レポートに追われ続けた。睡眠時間もろくに確保できず、朦朧としながらペンを走らせた日々。その甲斐あってか、レポートは再提出しなくてすむ仕上がりであったようだが、嬉しくはない。
 級友たちは『戦勝祭』で可愛い女の子たちと楽しくデートをしているのかと思うとやりきれない。はっきり言ってしまえば羨ましい。
 学園都市である夕凪(ゆうなぎ)を離れて、一足早く夏を満喫している輩も妬ましい。
「はあ」
 葉誦は涼風の呪が施されたコートを脱ぐ。
 カラッ
 石と石がぶつかって鳴り合う音が耳に響く。足元の石を無意識に蹴飛ばしたのだろうか。
 コートを脱ぐと魔法の風とは違う、生ぬるい風が肌を撫でていく。それが不思議と気持ちがいい。大きな開放感があった。
「静柊(せいとう)先生も悪い人じゃないんだけどな」
 レポート提出を済ませて自由の身になったところで、史学科の静柊先生につかまった。これも、今日が最低から数えて二番目ぐらいの日になった原因の一つである。
 見るからに温厚そうな外見と「お茶でも飲んでいかないか」の一言からは想像できないが、霧悟国(むごこく)出身の先生お得意の特別講義は、佳華国育ちの葉誦には苦痛に感じるようなことが多々ある。考え方はそれぞれであり、多数を脅かすような理念でなければ受け入れる「夕凪」にあっても、静柊先生のそれは少々攻撃的なスタイルなのだ。
 静柊先生曰く「敗戦記念日」は、静かに過ごすべき日であり『戦勝祭』という言葉は禁じるべきだというような話から始まり、民族間の微妙な感情、わずか二百年しか経っていないというのに、昨今の各国の政治状況はどうなのだ。また新しい犠牲者を出すのではないのだろうか。犠牲になるのはいつでも決まって、力なき国民だ。……というような講義である。学生で知識の少ない葉誦はまったく口を挟めない。悪いのはいつでも佳華国だ。少なくとも静柊先生の中ではそういうルールができあがっている。
 静柊先生の話は部分部分では納得ができる。が、戦争自体は二百年前に終結している。歴史上の大きな戦争だった。犠牲者がたくさん出た。二度とくりかえすべきではない。といった認識しか、葉誦には持ちようがない。それなのに長命種の種族やこだわり屋が多い霧悟人は、まるで昨日のことのように語る。
 それが感情を逆なでする。
「戦争かー」
 葉誦は階段に腰かけ、眼下を見やる。
 歪ながらも同心円状に広がる学園都市――戦後の正式名称は「誓丘」は、そもそも佳華国の最前線の補給地であった。戦火が降りかかったのは一度や二度ではない。佳華国が戦ったのは霧悟国だけではなかったが、最後まで屈しなかったのと隣接国であったことから霧悟国との因縁は深い。
 霧悟国との国境近い補給地を学園都市として生まれ変わらせたのは、佳華国政府だという。国内だけではなく広く人材を求め、門地を問わず優秀な教員を集め、敵国だったという理由だけで差別を受けないようにと法律を改正し、学園都市完成に力を尽くしたという。その甲斐あって、「誓丘」は多種多様な国籍を持った人物が集まる巨大都市となった。
 「誓丘」は内陸の地であるのに、誰がいうでもなく「夕凪」と呼ばれるようになった。
 佳華国では一般的な「戦勝記念日」という呼び方が、ここでは「終戦記念日」となったのと同じ理由だろう。
 このまま永久に平穏を。
 波風立たずに、静かに眠りにつく夜が来ますように。
 詩人が歌う詩のように、たくさんの人が思ったからだろう、と葉誦は考えた。
「このまま永久に」
 葉誦は立ち上がる。
 サファイアグラスの夕焼けも終わろうとしている。
「――」
 ふいに名前を呼ばれたような気がして、葉誦は振り返る。
 大時計台の文字盤が目に入る。
 そのまま体が斜めにかしぐ。
 不思議な浮遊感の中で、アンバーの光を見た。
 サファイアにはない柔らかな光。
 樹から生まれる石ゆえのあたたかさが好きで、葉誦は夕焼けを覆うのはアンバーだと思っていた。
 色数こそサファイアに劣るけれども、沈む太陽の色に一番近いと……。
 だから、去年の『戦勝祭』で襟飾りを見つけたときは…………。

 ドザッ!

 目を開けたら天井が見えた。
 染みの形まで見慣れた寮の天井。体の下には薄手の毛布。すぐ隣にはシーツが落ちかかっている寝台。
 葉誦は起き上がり
「っ!」
 バサバサと寝台から崩れ落ちてくる紙の束を見送りながら、左手で髪をかく。
 寝ている間に床に落ち、右手を打ったらしい。
 痣は見当たらないが、じーんと痛いような重いような違和感がある。
 これから腫れてくるのだろうか。
 治療院に行くか数秒悩んだが、却下する。理由が間抜けすぎる。
「嫌な、夢を見たな。
 階段から落ちる夢って確か……」
 あまり良くない意味があったような気がした。
 夢解きなどが分類される加学は葉誦の得意分野ではない。隣部屋の輪影(りんえい)が詳しいはずだ。すでに長期休暇を満喫中の隣部屋は主不在になっているが、鍵はかかっていないだろう。輪影はそういう大らかなタイプだ。
「ちょっと辞典、借りるか。
 夢の中までレポート提出とか。
 あー、もう。夕方か。何時間寝たんだ」
 窓から差しこむ光は淡いアンバー色を帯びていた。長期休暇一日目の過ごし方としては、あまりよくないパターンだろう。
 葉誦は紙の束を拾い集め、枕元に重ねる。毛布をたたんでいる最中に涼風の呪が施されているコートがずるりっと出てきた。
「片付けないとな」
 レポートと研究の往復で、部屋の中は物取りが入っていたとしてもわからない状況となっていた。
 毛布を寝台に置くとコートに袖を通す。
「あれ?」
 襟飾りのアンバーがなくなっていた。
 どこへ行ったんだろう、とは思わなかった。部屋が汚すぎて、どこかにあるんだろうな。ぐらいにしか思えない。
「そのうち出てくるだろう」
 葉誦は自分に言い聞かせ「お気に入りだったんだけどな」とちょっとだけ後悔した。
「とにかく輪影の部屋に」
 左手でドアノブを回して、葉誦は瞬きをした。
 夕方の光の悪戯か。水晶鱗の魚たちの群遊に当たったときのように、廊下は光で満ちていた。
 サファイアグラスを蒔いたように、煌いていた。
 葉誦は息を飲む。
 廊下に小さな人影があった。
 太陽光そのもののプリズムイエローの髪は肩に届かないほどで、右側に大きな耳飾が揺れているのがわかる。黄金の縁飾りのついた濃紺のローブの下には、真っ白な肌と輝くビーズの首飾り。
 ピンクヴァイオレットとしか表現しようがない大きな瞳が真っ直ぐに、葉誦を見上げていた。
 霧悟人らしい外見の、葉誦と同じぐらいかそれより年下の美しい少女だ。
「どちらへ行かれるのですか?」
「え、あ、隣の部屋に。
 ちょっと加学辞典が欲しくて」
「それなら、私がお役に立てます」
「え?」
 葉誦の疑問に少女は自分の頭を指す。
「だいたい覚えています」
「へー、君は優秀なんだね」
「あ、私、珠霞(しゅか)と申します。
 加学の二年生です」
 少女はぺこりとお辞儀をした。
「よろしく。僕は葉誦。
 二年なら同学年だね」
「はい、そうなりますね」
 少女は微かに笑った。
 葉誦もにこりと笑った。
 輪影のクラスメイトにこんな美少女がいたなんて知らなかった。毎日、こんな女の子と一緒に勉強できるのか。
 と、自分が男ばかりの学部にいることが不公平のような気がした。これまた急に。
「ここじゃ何だから、ホールへ行こうか」

   ◇◆◇◆◇

 いつもは学生で賑やかな寮のホールも人気がなかった。
 長期休暇で多くの学生は故郷へ帰っているし、数少ない居残り組みも夕食までの貴重な時間を思い思いに過ごしているからだろう。あるいは昨夜の『戦勝祭』の余韻が体に残っていて起き上がれないか。
 そんな様々な理由で妙に広いホールに、葉誦と珠霞は二人きりとなった。
「どうぞ」
 セルフサービスのお茶を少女に差し出す。
「ありがとうございます。
 葉誦さんは左利きなのですか?」
 少女は両手でお茶を受け取る。
「いや、右利きだけど。
 あ! ちょっと右手をぶつけたみたいで」
 葉誦は椅子に座ると、珠霞の目の前で空いている右手を振る。
「治療院に行くほどじゃないんだけど、何となくね」
 痛みはほとんどなく鈍い感覚だけが腕に残っている。
 珠霞の表情が曇った。
「大丈夫、痛みはないんだ」
 葉誦は慌てて言った。
「そうですか。
 先ほどの話に戻りますが、加学辞典が必要なのでしたね。
 どのようなことが知りたいのですか?」
 少女は微笑み、尋ねた。
「階段から落ちる夢を見たんだけど、妙にリアリティがあってさ。
 気になるから調べたくなったんだ」
「夢解きですね。わかりました」
 珠霞はこくりと頷いた。
 テーブルの上にお茶を置くと
「階段は目的、将来、時間を意味することが多いです。
 上りは未来で、下りは過去を意味します。
 あるいは権威や秩序。
 そこからの落下は大きな不安を意味します。
 将来の不安や、努力が報われないといった状況を暗示することが多いです」
 珠霞はそこで言葉を切り、葉誦を見た。
 ピンクヴァイオレットの大きな瞳がひたりと見つめる。
 サファイアグラスは夕焼けを覆うと言った古い魔術師の言葉が、理解できそうな気がした。
「ところで、夢から覚めるとき、寝台から落ちそうになったりしませんでしたか?」
 珠霞は尋ねた。
「……恥ずかしながら……寝台から落ちました」
 葉誦は白状した。
「身体の落下が、階段から落ちる夢を見させた可能性が高いですね。
 そういう事例の方が多いのです」
「そうなんだ」
「夢に心当たりがなければ、その可能性が高いと私は思います。
 不安ならば、治療院で本格的な検査を受けてみると良いと思います」
「本格検査ってさ。夢を干渉したりするんだろう?」
「はい。加学とは本来そういう分野ですから。
 お嫌いですか?」
 珠霞は口を真一文字に引き結んだ。
 見ればテーブルの上に行儀良く並べられた両手が微かに震えている。
 葉誦は失言したことに気がつく。
「まだ、受けたことがないからさ!
 未知の領域に踏みこむときには一定の不安が残るというか、躊躇することってあると思うんだ。
 別に加学が悪いってわけじゃなくって。
 したことがないから、無駄に不安になっただけで」
 葉誦が思いつくままに話すと、少女の大きな瞳がパチクリと瞬く。
 ややあってから、珠霞は微笑んだ。
「葉誦さんは優しいんですね」
「そ、そうかな。普通だよ。
 そういえば、僕の部屋の前にいたのって、何か用があったんじゃないかって思ったんだけど。
 どんな用があるの?」
「静柊先生から話を聞いていませんか?」
 珠霞は眉をひそめた。
「え?」
 葉誦は昨日の記憶を引っ張り起こす。
 特別講義の内容が濃すぎてそればかりが印象に残っている。静柊先生に頼まれたことがあったような気もするが、ほぼ徹夜続きだったのだ。記憶に薄い。
 この時期。静柊先生と同じ霧悟人の女の子。……長期休暇の課題!
 故郷へ帰る学生も多いから、長期休暇の課題は毎年同じだ。その土地ならではの伝承や祭りなどをまとめてレポートすること。帰れない学生は「夕凪」の都市伝説的なものであってもいいので、まとめて提出すること。と、なっている。
「課題か」
 静柊先生に案内を頼まれていたような気がする。
 霧悟人だから頼める相手がいないとか。偏見の少ない人物が望ましいとか。意欲的な人物でも困るとか。静柊先生はひとしきり嘆いていたような気がする。
「行きたい場所とかある?
 もう、こんな時間だけど」
 葉誦は言った。
「学園内のお勧めの場所を案内してもらえますか?」
「え?」
「意外に知らないので」
 珠霞は恥ずかしそうに言った。
「そういえば、そうか。
 じゃあ、早速、案内するよ」
 葉誦は立ち上がった。

   ◇◆◇◆◇

 学生が多い場所の伝承となると、歴史の重みのあるものよりも、色恋のジンクスについで怪談話が多い。鐘が鳴り終わるまでに告白すれば一生別れずにすむというジンクスと元々武器だったものを煮溶かして作った鐘なので夜中になると元の形に戻りたがり、誰も鐘をついていないのに鳴り響くというような怪談話が同居していたりする。どちらも礼拝堂にまつわる話だ。
 第一棟の正面玄関に飾られている初代学園長の彫像は霧悟国を見つめているが、誰もいない夜中には佳華国の都を見ている。
 これは怪談でもなんでもなく、何代か前の学生がそういう動きをする人形に置き換えてしまい、教員も見て見ぬ振りをしているという落ちがある。
「中央図書館にまつわる話は、図書館の外壁全てがゴーレムだという噂かな」
 葉誦は外壁を左手で叩く。煉瓦を積み上げたそれはコンコンと乾いた音がした。
「じゃあ」
「そう! 特定のキーワードを発すると壁は全部、土人形になって図書館を全力で守るという話だよ」
 葉誦は言った。
「それは素敵ですね」
 珠霞はぺたりと両手で外壁にさわる。
「ところが、そのキーワードはいまだ特定されていないらしい」
「そうなんですか。
 有事の際に困ってしまいますね」
 どこが腕でどこが足なのか探るように、少女の白い手が外壁を撫でる。
「造化学の教授は知っているという噂もある。
 学生が面白がって図書館の外壁をゴーレム化すると困るから、そのキーワードは複雑にしてあるって話も」
 厚みのある外壁は夕焼けの光を浴び、オレンジ色に淡く輝いている。
「どんな言葉がキーワードなんでしょうね」
「古代語なのかな。中央図書館に納められている本よりも古い時代とか」
「じゃあ、借り出し不可の本なら載っているかもしれませんね」
「うーんどうかなー」
 葉誦はコンコンと外壁を叩く。
「載ってそうですよ」
「石板かもしれないよ」
 少年は大真面目な顔を作ると少女に言った。 
「確かに!」
 珠霞は笑った。
 二人は図書館から大時計に続く木立を並んで歩く。
 西に背を向ける形になるから、影を見て歩くことになった。
 夏でもこの時間の影は長い。
 ゆらゆらと揺れながら、二つの影は重なったり離れたりする。
「第一棟こと本館の大時計にはたくさんの話がある。
 鐘がついているわけじゃないから鳴らない時計なんだけど、夕方6時になると突然鳴り響くことがあるとか。
 これは女の子が好きそうな話だけど。
 聞こえないはずの音が聞こえたとき……」
 葉誦は木立の影を選んで歩いていく。
 今日の日差しはやけに明るく、落ちていく気配がしない。
「どうなるんですか?」
 珠霞が尋ねる。
「運命の人に出会えるそうだよ」
「そうなんですか!
 どんな音なんでしょうね」
「聞いてみたい? やっぱり」
 少年は、少し遅れてついてくる少女をちらりと見やる。
「運命の人ですよ!
 会ってみたいじゃないですか。
 葉誦さんは自分の人生を変えるような人に会ってみたくないのですか?
 どんな人なのか気になります」
 珠霞は目をきらきらと輝かせて言う。
「普通は、運命の人というのは恋人だと思うんだけどさ」
「え、あ……そっか。そうですよね。
 運命の人って、未来の恋人なんですね」
 少女は自分の手を頬に当てる。
「勘違いしてました」
 恥ずかしいと、珠霞は笑う。
「まだ気になる?」
「別の意味で気になります。
 きっと、たぶん。なんですけど。
 鳴り響くのは大時計にはない鐘の音じゃなくって、自分の心臓の音だと思うんです。
 似ていませんか? 心音と鐘の音って」
「加学的だね。そういう夢解きがありそうだ」
「時計は時間そのものを意味しています。
 新しい時計を購入する夢は、計画を始める暗示だったりするんですよ。
 仕事や学業を暗示することもあります。
 あとはひらめき。
 ……噂話とはちょっと違いますね。そこが面白いです」
 珠霞は言った。
「他には大時計には13時があって、12時59分に文字盤を見ると13の数字が見える。
 見た人は一週間以内に別の世界に招待されてしまう」
「神隠しですか?」
「帰ってきた人はいないって話だよ」
 葉誦は声を低くする。
「その13時も夜の12時59分なんでしょうか?」
「昼間から人間が消えたら大騒ぎだろうからね。
 夜中だと思うよ」
「怖い話は夜中ばかりですね」
「そうだね。夕方から明け方にかけての話ばかりだね。
 きっと夜の住人が怖いからだろう」
 葉誦はうなずいた。
「夜に見るものは本質だと言いますね。
 怖い世界が本当の世界なのかもしれません」
 珠霞はささやくように言った。
 ピンクヴァイオレットの瞳は影が落ちこんだように、暗い。
 葉誦は肯定も否定もできなかった。
 迷信だとするには理屈では片付かない話が多すぎたし、真実だというには馬鹿馬鹿しい話が多すぎた。
 引っくり返した玩具箱のように伝承は雑多であった。
「葉誦さんはどちらの世界の住人なのですか?」
 珠霞の問いかけは唐突だった。
 少年は足を止め、少女を改めて見る。
 夕映えの中にあっても白い肌。白い……白すぎる肌が妙に印象に残る。
 サファイアグラスと譬えても足りない瞳が翳ったせいだろう。
 プリズムイエローの髪は素直に夕焼け色に染まって、鮮血がまとわりついているように見えた。
「僕かい? 昼間の住人だよ。
 夜の住人はもっと違う外見をしていて、生活基盤が違うんだから」
 背に大きな羽を持っていたり、獰猛な爪を持っていたり、あるいは身の丈が極端であったり。
 亜人種と呼ばれ、さらに夜の住人と呼ばれるような生き物は佳華国にはいない。二百年前の戦争より前に国内から駆逐されたのだから。
 兵器として戦争に使ったのは霧悟国側だ。兵士だったのかもしれないが、佳華国側から見れば兵器にしか見えなかったようで、混乱した文献が残っている。
 美しい女がいきなりサーベルタイガーのように牙を生やして襲いかかってきた、とか。なまじ外見が人間そっくりに化けられるから性質が悪く、佳華国側は大きな被害にあったらしい。
「君の国ほど夜の住人の研究が進んでいるわけじゃないから、あれだけど」
 葉誦は大時計に向かって歩き出した。
 軽い足音がひたひたとついてくる。珠霞の足音だとわかっているけれど、妙に早歩きになる。
 話題がデリケートすぎるのが悪いのだろう。
「僕の両親は人間だし。もうすぐ17になるけど、これまでだって一度も変化したことがないよ。
 そりゃあ、魔術師を目指しているんだから、少々変わり者かもしれないけどさ。
 僕の両親も魔術師なんだ。二百年前からずっと代々魔術師なんてやっていると、そうなるもんだ。って思いこみが強固になって。
 結局、両親の期待通りの道を歩いてきてるわけだよ。
 向いているか、どうかは……たまに自信がなくなるけど」
 葉誦は思いつくままに話し出した。プライベートな話題すぎるような気もしたけれど、ちょっと調べればわかることばかりだ。
「戦争での償いとか、そういう高尚な精神で、代々魔術師を務めてきたわけじゃないらしいけど。
 それ以外の職業に就くとなると大変でさ。
 夕凪を卒業して、さらにどこかで働けばそこそこの地位と給金が当てにできるわけだし。
 そんなに悪い条件じゃないって」
 気がつけば大時計の前まで来ていた。
 葉誦は大時計を見上げ、違和感に覚えた。時計の針は5時59分を指している。珠霞を案内し始めたときに遠目で見たときも、時計の針はこの形をしていた。
「どうかしましたか?」
 珠霞は問いに、葉誦はギクリっとした。
「時計が」
 震える歯を押さえつけ、葉誦は言った。
「止まっているようですね」
 珠霞はごく自然に言った。
 まるで最初から知っていたように、自然に。
「いつまでも日が沈まないなんて」
 時計は故障したのだとしても、不自然さは拭われない。学園の中央部を一周してきて、日が沈まないということがありえるのだろうか。……ありえない!
 図書館から大時計までの木立は静かだった。蝉がうるさいぐらい鳴いて有名な場所なのに……ここに立っていても、音がない。風がない。
 自分の心音だけが耳に響いている。
「変だ」
 葉誦はやっとのことで言った。
「気がつきましたか?」
 少女は葉誦を見上げた。
 少女の足元から大きく伸びた影は、葉誦の影を押さえつけている。
「君は誰だ?」
「加学科二年の珠霞です」
 少女は名乗った。
 本当にそんな生徒がいるのか。
 隣部屋の輪影から一度も話を聞いたことがない。あのおしゃべり好きが、これほどの美少女の話をしないなんておかしい。
 それに二年生なら学園内の有名どころの話はみな知っているはずだ。一年生のときに先輩から教えこまれるのだから。一つや二つ知らないものがあったとしても、中央図書館や大時計の話を知らないはずがない。
 それに、学園を案内している間、誰ともすれ違わなかった。
 ずっと二人きりで。彼女は……何故、彼女は夕焼けの中にいてなお白い肌をしているんだ。止まったままの音の中で、彼女の足音や話し声は聞こえるんだ。彼女はそう、最初会ったとき、ホールで……お茶を一口も飲んでいないじゃないか。不自然だ。
 大時計。影が落ちたそれはまるで大きな墓標みたいじゃないか。
 夕方6時にはならない。時計は5時59分で止まっている。13時の神隠しではなく、本当は夕方6時の神隠しだったのだろうか。
 足りない1分。消えた時間。
 葉誦は後ずさる。
 ここから出て行かなければならない。
 そのひらめきが葉誦の足に翼を与える。少女の影から葉誦の影は離れ……。

「葉誦さん!!」

 不思議な浮遊感。景色が逆さまに見えた。
 夕映えの中、柔らかく光るアンバーの輝き。それは少女の右耳元から……。
 大振りな耳飾にアンバーがあしらわれていたから、そう見えたのだ。
 葉誦は全部、思い出した。
 長期休暇の前日、『戦勝祭』のあった夕方。
 この大階段から落ちたんだ。
 今日の記憶は全部、紛い物だったんだ。
 それならば、彼女は、珠霞は誰なんだろう。

   ◇◆◇◆◇

 目を開けたら見知らぬ白い天井と……静柊先生の顔があった。
「気がついたようだね」
 静柊先生はやれやれと言った。
「ここは?」
 かすかな虫の鳴き声を耳が捉える。
 窓の外の草むらで鳴いているのだろうか。
 空調管理を魔法でしているのか、少し肌寒かった。
「学園内の治療院だよ」
 想像したとおりの施設名を言われて、葉誦は安堵する。
「僕は大階段から落ちて」
 夢のようにおぼろげな記憶をたどっていく。
「右手の捻挫だけとはラッキーだ」
 静柊先生は顎を撫でながら頷く。
「今日は! 今日は何日ですか!?」
 葉誦は跳ね起きた。
 右手は処置済みなのか痛みも麻痺もせず、動いた。
「炎天の月、水妖の日だよ。時刻は……6時」
 懐中から時計を取り出し、静柊先生は答えた。
 夢の中の日付と同じだった。違いがあるとしたら時間だろう。
 葉誦の視線に気がついたのか静柊先生は、時計を目の前まで持ってくる。
 働き者の秒針がちくちくと時間を縫い進めている。
 5時59分の呪縛は破られたのだ。
 いや、これこそ加学の力が必要で本格的な検査をしてもらったほうがいいのだろうか。
「徹夜でレポートも結構だが、丸一日眠るのはいただけない。
 おかげで姪もすっかり待ちくたびれてなぁ」
「姪?」
「ああ、来期から編入してくるんだ。
 本当は昨日の晩飯で紹介するつもりだったんだが……」
「すみません」
「過去は変えられない。が、幸い未来は変えられる。
 珠霞、起きなさい。
 葉誦くんが目覚めた」
 静柊先生は病室の隅、ちょうど検査道具で葉誦から死角になっている場所へ声をかける。付き添い用の椅子の予備が置いてあるのだろうか。そこから人が立ち上がる気配がした。
 さらさらと衣擦れの音と軽い足音。それにビーズが打ち合う賑やかな音をさせながら、その人物は寝台へやってきた。
「加学科二年の珠霞です」
 夢で見た、いや大階段から落ちる直前に見た少女が立っていた。
 昨日、この声に呼ばれて、寝不足で足元がふらついてて……大階段から落ちたんだ。
 静柊先生が言うように、右手だけですんだのは奇跡だったのかもしれない。
「霧悟から着いたばかりなんだ。
 こちらに友だちがいないから、葉誦くん。面倒を見てやってくれないか」
 静柊先生は言った。
「よろしくお願いします」
 少女は頭をペコリと下げた。
 プリズムイエローの短い髪がさらさらと零れて、花の香りをほのかに振りまいた。
「よろしく」
 葉誦は言った。
「晩飯までの時間、この辺を案内してやってくれ」
 静柊先生は当然だよな、と言う。

   ◇◆◇◆◇

 大時計に背に向けて大階段を下りて、左手に向かうと花壇がある。予定通りに案内していたら、ここが最後の場所になるはずだった。
 中心部にあるような庭園と違って大きな噴水はないものの、花の開花時間を計算しつくした花時計がある。
 甘い花の香りが風に散って、薄暮の世界を彩る。
「ごめんなさいっ!」
 珠霞は突然、90度のお辞儀をした。
「昨日、驚かせちゃいました!
 それと、勝手に夢に入って!!」
 恐る恐るといった様子で、珠霞は顔を上げた。
 それから両手を差し出した。白い指が開かれて、手の平に乗っている物が姿を現す。
 無くしていたと思っていたアンバーの襟飾りだった。
「ありがとう、助かったよ」
 葉誦は右手で襟飾りを受け取り、コートの襟につける。
「虫が良いのはわかっています。
 その……友だちになってもらえますか?」
 珠霞は真っ直ぐに葉誦を見上げる。
 ピンクヴァイオレットの瞳の輝きは夕焼けを覆う。
 ここに完璧な夕焼けが閉じこめられている。
 そして、可能性もまた輝いている。
「もちろん。
 これからもよろしく」
 葉誦は言った。
競作小説企画 第四回 「夏祭り
「使用お題」 蝉、夕凪、終戦記念日

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>>後日譚「24.かすかな温もり
>>後日譚「16.赤い糸


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