レインドルク伯爵家

 ローザンブルグ一族の結婚は、当主であるローザンブルグ公爵の許可がいる。
 国王自ら祝福した婚約であっても、公爵の許しなく結婚することはできない。
 それだけ聖リコリウスが神から授かった恩寵の意味は重い。
 レインドルク伯爵家の令嬢ラメリーノの婚約も、当人たちだけの意志があるだけで、まだ公爵家への報告もすんでいなかった。
 もっとも、ローザンブルグをローザンブルグ足らしめるローザンブルグ娘の意志は尊重されるので、滞りなく結婚許可は下りるだろう。
 それが、周囲のおおよその見解だった。
 ラメリーノの弟であるペルシだけが、こっそりとためいきをついていた。
 姉の婚約は大歓迎だ。
 相手に関して、いくらか問題があるだけで。
 父方の従兄のシブレット・ベリル・ローザンブルグ。
 人柄は良い。
 姉を大切にしてくれることは間違いない。
 ローザンブルグ娘の結婚相手に、適任とされる幼なじみだ。
 さらに血族結婚を好むレインドルク家らしい、相手とも言える。
 ただ、そこが厄介だった。

「カビまみれになるぞ」
 部屋の入り口から声がした。
 ペルシは本から目を離す。
「掃除が行き届いていますから、そのようなことはありませんよ。
 それは父上の偏見です」
 日の当たらない図書室は、不衛生の塊のように思い込む人物も少なくないが、事実は逆だ。
 礼拝堂を磨き上げるように、図書室は常に清潔に保たれている。
 貴重な本が虫食いになったり、カビだらけになって腐り落ちることは忌むべきことだ。
「まったく誰に似たのやら」
 苛々しながら、レインドルク伯爵は図書室に乗りこんでくる。
「父上ではないことは確かですね」
 青年は微笑んだ。
 蔵書の大半は、父のリークや伯父のアンサンシュが集めたものではない。
 それよりもっと前の伯爵たちと、ごく最近の本はペルシが集めたものだ。
「これからローザンブルグ城に行く」
 重々しくリークは言った。
 娘の結婚許可を得るために行くには、少しばかり勇壮すぎる雰囲気であった。
「それで、お前にはマイルーク城に行ってほしい」
 リークは「意外」なことを命じる。
 レインドルク伯爵家らしいといえば、これ以上にレインドルク伯爵家らしいことはない事柄だった。
 青年は胸のうちで、ためいきをついた。
 父の願いは理解できる。
 自分も父と同じ状況に置かれたら、可能性に賭けてみたくなっただろう。
 ただ父のやり方は拙速すぎる。
 周囲は首をかしげるか、失笑するか、またはレインドルク伯爵家らしいと皮肉るだろう。
 自分が愚か者だと言われるのは平気だったが、血族すべてを指して嗤われるのは我慢できない。
「私の記憶に間違いがなければ、マイルーク子爵は次期ローザンブルグ公爵の称号。
 重要なことを決める会議には出席が義務だった、と思います。
 それとも、私が遊学している三年の間に変更されたのですか?」
 ペルシは尋ねた。
「変わってはいない」
「では、城主が不在の城へ行けとおっしゃるのですね。
 常識外れですよ」
「いつから、当家では常識を重んじるようになったのだ?」
 リークは言った。
 レインドルク伯爵家は夢見がち。
 血族結婚をくりかえした結果の答えは、幼子ですら知っている。
 常識に囚われないといえば聞こえはいいが、格子のはまった窓や外から鍵をかけられる部屋の存在は無視できない。
「父上が母上を見初められたときに。
 母上は良識のある方ですよ」
 ペルシは切りかえした。
 父も、公爵も、血の呪縛から逃れようとしたというのに、その子どもたちは囚われたのは皮肉な結果だった。
 むしろ、また血を濃くするために、いったん離れただけのようだ。
 例外に見える自分もまた、次の代の布石なのかもしれない。
「あちらにはベルシュタイン侯爵令嬢もいる。
 どこに不満があるのだ?」
「その点については、不満はありませんよ。
 マイルーク城に行く理由を探すのは、日課となりつつありますから。
 ですが、外聞がよくありません。
 騎士は貴婦人の名誉を命をかけてでも守るものです」
「いつから騎士になったのだ?」
「任命を受けていなくとも、心が騎士たらんと思えば、銀の騎士にも並ぶそうですよ。
 ちなみに、これはレフォール殿の受け売りです」
 ペルシは父の退路を絶つ。
「お前にはまだ難しく、理解しがたいことだろうが――」
「父上、許可をいただけませんか?」
 青年は話の腰を折る。
 伯爵は息子を睨む。
「そろそろ都が恋しくなってきました。
 より正確には、都で流通している新しい本ですね。
 ローザンブルグは麗しく、大変素晴らしい場所ですが、本の入手という一点だけは王都に負けます。
 長い冬を快適に楽しむためにも、いくつかの本を手に入れたいのです。
 我が儘なのは重々承知です。
 ですが、他の者には任せられないのです。
 願いを叶えていただけますか?」
 ペルシは読みかけの本を閉じる。
 厚みのある本にふさわしい重い音がたつ。
「できるだけ早く帰ってくるつもりです」
 ペルシは重ねて言う。
「なるほど、趣味のためか」
「父上には理解しがたい趣味でしょうが……、おそらく皆様方はもう少し理解を示してくださると思いますよ。
 それに、いかにもレインドルクらしい理由だと思いませんか?」
 自分がレインドルク城にいるのが問題だというのなら、笑顔で出て行こう。
 従兄のようにスケッチブック片手に、ふらりと姿を消せるわけではなかったけれども。
 それでも、周囲が「仕方がない」と納得できる程度には出て行ける。
「お前の恋はずいぶんと理知的だな」
 リークはためいきをついた。
 呆れたのだろう。
「臆病で、見栄っ張りなだけです。
 結婚前にがっかりさせたくないんですよ。
 ただでさえ、レフォール殿やシブレット兄上と無言で比較されてるんです。
 自分の株は落としたくありません」
 ペルシは微苦笑した。
「公爵には私から話しておこう。
 滞在先が決まったら手紙を。
 アンゼリカも心配するだろうからな」
「もちろんです。
 快諾ありがとうございます」
 ペルシは読みかけの本を持っていくか、置いていくか、しばし考えをめぐらせる。
 馬車を使うことになるから、行きのための本があったほうがいいだろう。
 と、答えにいたる。
「では、さっそく。
 父上の気が変わる前に失礼しますよ」
 ペルシは本を抱えて立ち上がる。
 そっと胸の奥で、ためいきをつく。


 レインドルク伯爵家の継承問題。
 いつの時代でも大騒ぎになる。
 父が代理ではなく、正式な伯爵になって数年。
 ペルシが跡継ぎと決まって、ずいぶんな年数が経った。
 この秋に姉の婚約が決まった。
 相手は、従兄。
 先の伯爵の一人息子で、相続権を返上した青年だ。
 正当な後継者だったシブレットが、現伯爵家の第一子にして、ローザンブルグ娘のラメリーノと結婚する。
 婿という形でも良いから、リークがシブレット――あるいはその子どもに、伯爵家を相続させたいと願うのは当然の結果だ。
 ペルシ自身も、シブレットが相続権を返上するまで、従兄を補佐して、レインドルク家を守っていくのだと思っていた。
 今からであっても、自分が跡継ぎから外れて、ちょっとばっかりの自由時間が増えるのは大歓迎だ。
 だが……、そう簡単には話は進まないだろう。
 それがわかるだけに、ペルシはためいきをつくのだった。





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