行き違い

 何故か、お茶を淹れるように申しつけられた。
 珍しいこともあるものだ、とソウヨウは思った。
 シキョ城にいたころは良くお茶を淹れていた。
 そんなことを思い出しながら、ソウヨウの手は無駄なく動いた。
 手順を徹底的に覚えさせられたのだ。
 半分眠っていても充分な味のお茶を淹れられるだろう。
 将軍位を賜ってからは不要と思っていたが、またこうして役に立った。
 無用の用、と言ったところだろう。
 人生、どんな局面が待っているかわからないものだ。
 ソウヨウは漆の塗りも高雅なる盆に茶器を載せて、城主の書斎へ向かった。

「失礼します」
 一礼して、入室する。
 南城の城主は休憩でも取るつもりだったのだろう。
 書卓の上は、すっかりと片付いていた。
 ソウヨウと入れ違いに、金の髪の青年が部屋を出ていった。
 四将軍の一人、ギョウ・トウテツだ。
 シ・ソウヨウと同じで、出自を何かと言われる若者だった。
 少年は書卓に近づき、茶器を静かに置いた。
 埃一つ舞わないように、繊細に。
「何か言いたそうだな。
 許可を与えよう」
 ホウスウは言った。
 口元には笑みに取れなくもない歪みがあった。
 曖昧な色の瞳は薄ぼんやりと、それを確認した。
「いえ。何も」
 ソウヨウは言った。
 確かに、尋ねるような事柄は山のようにあったが、特に気にしてはいなかった。
 重大なことは、やがて目の前の青年から伝えられるだろう。
 もっと重要なことは、青年から聞くことはないだろう。
 そして、一番知りたいことは、教えてはもらえないだろう。
 わかっていたから、ソウヨウは微笑むにとどまる。
「訊きたいことはないのか?」
 面白くなさそうにホウスウは言った。
 琴でも弾いているのが似合いの手が茶器を持つ。
 香りと水色を楽しんでから、茶を飲む。
「そうですね……。
 次の戦場は、どこですか?」
 15歳の少年は、当たり障りのない質問をした。
「戦にしか興味がないのか?」
「仕事ですから」
 ソウヨウは微笑んだまま答えた。
 レンリューと名乗っていたころに興味があったのは、より強くなることだった。
 誰よりも早く剣を振り下ろすこと、誰よりも正確に他者の命を絶つこと。
 そればかりに興味があった。
 名を与えられ、北の大地で最初に覚えた興味は、どうすれば一つ年上の少女に気に入られることができるのか。
 その方法ばかりを考えていた。
 成人した今、興味のあることは――。
「いえ、他にもありました。
 今日のお菓子です」
 ソウヨウは言った。
「お前は本当に甘いものが好きだな」
「鳳様はお嫌いですか?」
「普通だ。
 女子どもではないからな」
 ホウスウは書卓に頬杖をついた。
「そういえばそうですね。
 シュウエイやカクエキも甘いものが苦手ですね。
 あんなに美味しいのに」
「仲良くしているようだな」
「もちろんですよ。
 彼らは得がたい将兵ですから。
 あ、ユウシも足してあげてくださいね。
 彼も頑張っていますから」
 少年は言った。
「質問するようなことはないのか?」
 言葉を変えてホウスウは訊いた。
「鳳様こそ、何かお尋ねしたいことがあるのでは?」
「では、我がクニの戦績でも聴こうか?」
「興味があるのですか?」
 ソウヨウはホウスウを見た。
「こう見えても城主だからな」
 青年は小さく笑った。
「書記官を呼びましょうか?
 私の口からよりも、正確な報告が聞けると思いますよ」
 少年は提案する。
「冗談だ」
「はあ。
 あまり面白くありませんね」
 ソウヨウは正直に言った。
 それを無視してホウスウは本題を切り出した。
「千里について、どう思う?」
「どう、ですか」
 ソウヨウは考えてみる振りをする。
 こういった演技も時に必要になると、覚えたのはここ数年だ。
「敵に回ると厄介ですね」
 ギョウエイの嫡男という立場。
 兵士たちに人気のある男気ある立ち振る舞い。
 一夜にして千里を駆けるという馬操術。
 変則的な型を持つ剣術。
 どれもこれも、味方である間は頼もしいが、敵に回られたら脅威だった。
「千里がチョウリョウを裏切ると考えているのか?」
「さあ。それはどうでしょう。
 その時が来てみなければ、わかりません」
 ソウヨウは笑みを浮かべる。
 人間にはそれぞれの正義がある。
 それが『裏切り』という形で表面化することもある。
「シキボの、そうですね。
 悪習といっても良いのかもしれません。
 私が一番初めに、父から教えられたのは『人間は裏切る』ということです」
 自分の心ですら、理性を裏切ることがある。
 この世で信じられるものは、本当は一つもないのかもしれない。
「私とは逆だな。
 人は信じられると教えられた」
 ホウスウの語る言葉が重いのは、その死を悼んでいるからだろうか。
 父を亡くした者同士だというのに、この差はどこからくるのだろうか。
 不思議な気分で、八つも年長の人間を見つめる。
 ソウヨウの中では、父の死は風化している。
 あの当時はチョウリョウごと憎んだものだが、歳を重ね、事実を集めるにしたがい、チョウリョウへの恨みは消えた。
 先だっての伯父の死で、全てが終わった。
 そこに至る過程では、自分でも首をかしげてしまうほどの激しい感情が渦まいていたのだが、それすらも灰燼となり、風に運ばれていこうとしていた。
 在りし日に父がいたのは確かだが、悼むような感情は持ち合わせていなかった。
「良い父君だったんですね」
 感じたままに、素直に言った。
 青みの強い茶色の双眸が弾かれたようにソウヨウを見た。
「何か、おかしなことを言いましたか?」
 ソウヨウは首をかしげる。
「いや」
 ホウスウは茶を飲み干す。
「良い父であった」
 改めて、青年は言う。
 去来する想いは、どのようなものなのだろう。
 ソウヨウには無縁な感情だけに、気になった。
 もっとも気になるだけで、知りたいという欲求につながりはしない。
「ギョウ将軍と何かあったのですか?」
「いつもどおりだ。
 何もない。
 もし何かあるとすれば、お前と千里の間だろう」
 ホウスウは言った。
「そうなんですか。
 それは大変ですね」
 少年は他人事のように呟いた。
 ギョウ・トウテツが自分のことをどう思っていてもかまわなかった。
 味方の間はせいぜい協力するし、敵になったら全力で戦うまでだ。
 勝てるかどうかは、わからない。
 負ける可能性のほうが高いぐらいだろう。
 けれども、ソウヨウは死ぬわけにはいかない。
 胡蝶のように繊美な少女と約束をしたのだ。
「興味がないようだな」
「はい」
 ソウヨウはうなずいた。


 成人した今、興味があるのは一つきり。
 大切に想う少女が笑顔でいるのか。
 そればかりが気になる。
 離れている距離の分だけ、思いは募る。
 彼女の幸せだけを願う。
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