笑顔

 院子は、太陽のにおいがした。
 降り注ぐ光の色は飴色で、慕わしく感じる。
 優しい日差しの中で、ソウヨウはホウチョウの隣に座っていた。
「こんなに空が青いと、どこまでも飛んでいるけるような気がするわね」
 傍らにいた少女が笑う。
 伸びかかっている赤茶色の髪が揺れる。
 出会ったころは肩口までしかなかった髪も、今では結い上げなければならないほどの長さになっていた。
「はい」
 ソウヨウはうなずいた。
 人間は鳥ではないから空を飛ぶことはできない。
 そんなことは、ソウヨウでも知っていた。
 知っていて、笑顔をつくって、うなずいた。
 磨き上げた宝石のように綺麗な瞳がニコッと笑う。
 どうやら、自分はきちんと笑顔が作れたようだ。
 ソウヨウは安心した。
「雛兄は無理だって怒ったの」
 ホウチョウは立ち上がる。
 染めも織りも特級品の衣の袖や裾が空気をはらむ。
 羽ばたこうとしている鳥の翼のように、それは広がって見えた。
 遥か彼方に向かわんとする渡り鳥のように、少女は蒼穹を鋭く見据える。
「人間は鳥ではないから、空は飛べないって」
 ホウチョウは憤慨した。
 少女の足元で耳を澄ましていた少年は、困ったことになった。と内心で思った。
 チョウリョウの次子、ホウスウが少女に告げた言葉は、ソウヨウが考えたことと良く似ていた。
「わたしは空が綺麗だと思ったの」
 腰に手を当てて、ホウチョウは言う。
「だから、空が飛べたら素敵だろうって思ったの。
 飛べないってことぐらい知っているわ」
 少女は勢い良く振り返る。
 階に座ったままのソウヨウと視線が合う。
 赤茶色の瞳は、まだ怒っていた。
「そう、空に飛ぶ鳥に……そうね。
 ……仮託したの!
 それぐらい、今日の空は綺麗な色をしているんだから」
「姫は難しい言葉をご存知ですね」
「この前、習ったのよ。
 大きな鳥になって、故郷を目指す詩と一緒にね。
 南を目指すの。
 とても素敵な詩だったから、今度、写しをあげるわ。
 きっとシャオも気に入ると思うから」
 ホウチョウは得意げに言う。
「ありがとうございます」
 ソウヨウは言った。
 その詩は知っていたが、少女の気持ちが嬉しかった。
「雛兄は、わたしを赤ちゃん扱いするのよ。
 本気で空を飛べるって信じこんでいるみたいに、怒ったのよ。
 そんなことはできないって」
「そうですか」
 ソウヨウは相槌を打つ。
「ひどいと思わない?」
「そうですね」
「シャオは、雛兄のかばわないのね」
 ソウヨウは立ち上がって、階を降りる。
 一段分。
 少女よりも下の段から、仰ぐ。
 空を背景に入れるように、自分の主を見上げる。
 赤い色を持つチョウリョウの姫は、青空が良く似合っていた。
 鳥になって、空を飛んでいっても不思議はない。
 そう思うほどに。
「姫が好きですから」
 ソウヨウは、はっきりと言った。
 誰かと比べられない。
 その人自身が好きだと思う。
 それだけで、それだけが十分な理由になる。
「わたしもシャオが大好きよ」
 宝物のような姫は、機嫌良く告げた。
 欠けたところが見当たらない、完璧な笑顔だった。
 嬉しくて、幸せな笑顔。
 ソウヨウが浮かべるそれとは違う。
 綺麗な笑顔だったから、それと同じような笑顔を自分にもできればいいのに。と。
 そんなことをソウヨウは思った。
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