幸せの形

 鐘が鳴った。
 澄んだ音は長く耳に響く。
 その音を聞いた緑の瞳の大司馬は、これ以上ないぐらいの嬉しそうな顔をした。
「休憩時間ですね!」
 ソウヨウは読みかけの竹簡に目印代わりの札を差しこむ。
 護衛、もとい監視をしていたシュウエイが大袈裟にためいきをついた。
「時間までには戻ってきてください」
 シュウエイは言った。
 曖昧な色の瞳がキラキラと輝く。
 愛しの姫の元へ行ってもいいということだ。
「わかってますよ」
 ソウヨウは立ち上がり、城の内宮へと向かう。
 途中で出会う護衛の兵士たちに頭を下げられながら、後宮へと進む。
 そこからは、お仕着せの衣をまとった女官たちにとってかわられる。
 衝立の代わりに置かれた几帳の前で居住まいを正す。
 コホンと咳払いをする。
 するとメイワが顔を出した。
「お待ちしておりました」
 と穏やかな物腰で部屋の中まで先導する。
 部屋の中央に置かれた円卓には、お茶の用意ができていた。
 竹籠の中には、甘い香りの焼き菓子。
 胡麻が振りかけられた菓子は、こんがりきつね色をしていた。
「シャオ。おはよう」
 ホウチョウが円卓に肘をつき、微笑みかけてきた。
 極上の赤瑪瑙の瞳が今日も麗しい、と思った。
 ソウヨウはつられるように微笑んだ。
「おはようございます、姫」
 用意された椅子につく。
「どうぞ、白厳様」
 メイワが茶器を置く。
 目の前に置かれた茶器から林檎に似た香りがした。
 あくまでも『似た香り』だ。
「伯俊様から大司馬が来られたら、こちらを出すように言いつかりました。
 蜂蜜で割ってあるので、甘いですよ」
 メイワは子どもをあやすような口調で言った。
「姫と同じものがいいです」
 ソウヨウは駄々をこねた。
 すると向かい側に座っている乙女がクスクスと笑う。
「シャオに飲めるかしら?
 蜂蜜も入っていない薬湯よ」
 ホウチョウは言った。
「季節の変わり目ですから、体力をつけていただかなければ」
 真面目にメイワは言う。
「普通のお茶も好きだけど、お兄様が御典医に愛じて造らせた私専用の薬湯ですもの。
 苦くても、不味くても、飲むわよ」
 ホウチョウは茶器を手に取る。
 ソウヨウも渋々と茶器を手にする。
 黄金色の液体を口に含む。
 吐き出したいほど、不味くはない。
 蜂蜜の甘さが緩和する。
 ただ草の味がする、とソウヨウは思った。
「伯俊は気が利く臣下ね。
 夏官というのが不思議なくらい」
 いっそ天官になればいいのに、とホウチョウは付け足すように言った。
「シュウエイは翔家の者ですからね。
 鳳様に仕えるのは本意ではないでしょう」
 ソウヨウは眉をひそめる。
「眉目秀麗なのだから近衛も夢じゃないと思うわ。
 ね、メイワ」
 ホウチョウは朗らかに言う。
「前線で戦うことの方が好みのようですし。
 天官になったら伯夜殿とぶつかり合いになりそうですわ。
 それとも姫付きの護衛になさりますか?」
 メイワはコロコロと笑いながら言った。
「私は自分の身ぐらい、自分で守れるわよ。
 お兄様が用意してくださっている兵だけで充分だわ。
 それに、もしもの時はシャオに助けてもらうわ」
 ホウチョウは舐めるように薬湯を飲む。
「もちろんです。
 いついかなる時でも、姫をお守りいたします」
 ソウヨウは胸を張る。
 歩く殺人機会と呼ばれるが、守るもののために刃を振るうことができるのは、幸せなことだ。
「だから、いらないわ」
 キッパリとホウチョウは言った。
 絶大な信頼を寄せられて、ソウヨウの心は心地よくくすぐられる。
 思わず笑みが零れた。
 生きていることに感謝したいぐらいの気持ちになった。
 二人の間には運命をいう名の赤い糸があるはずだ。
 こうして、また鳥陵の都で笑みを交し合っている。
 これ以上の幸せがあるのだろうか。
 ソウヨウは思った。
「では、退がらせていただきます。
 隣室に控えていますので、ご用がありましたら、お気軽にお呼びください」
 メイワは作法通りに礼をして退出した。
 二人きりの空間になった。
 意識をしたら、心拍数が上がった。
 赤瑪瑙の瞳には穏やかな光が宿る。
「幸せね」
 乙女は言った。
「こういうことを幸せというのね。
 ずっと、シャオと一緒にいられるんですもの」
 その言葉は寂しさが混ぜられているように響いていた。
 それにソウヨウの胸が痛んだ。
 乙女は別離を何度も見てきたはずだ。
 だから『ずっと』はないことを知っているはずだった。
 それでも一瞬を永遠にしようとする、しなやかな強さがあった。
「ずっと一緒です」
 ソウヨウは誓った。
 死が二人を分かつまで。
 言葉にしないのは、まだ真の平和な世の中になったわけではなったから。
 それが切なさになって心の中の琴を奏でさせる。
 茶色とも緑ともつかない曖昧な色の瞳。
 色墓の出。
 夏官の長である大司馬。
 どれもこれもがソウヨウを戦に駆り出す。
 二人はお互いの目を見て、微笑みあった。
 今、一緒にいられる幸せに。
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