想い出の輪郭

 いつだって、それはキラキラしていた。
 初夏のように。
 夏の始まりのように。
 シキボよりも北の大地であれば、その夏の到来は遅い。
 そして瞬く間に去っていく。
 それでも夏の想い出の輪郭は鮮やかだ。
 見上げていた空の色も何もかも違う。
 それでもくりかえし見る想い出はキラキラとしている。
 ソウヨウは南城の数ある院子の中の一つ。
 池のほとりで佇む。
 大きな池の中には緋色の鯉が放たれている。
 想い出と重なる景色だった。


   ◇◆◇◆◇


 胡蝶の君のご機嫌は麗しく。
 ようやく肩に届くようになった髪は、垂らされていた。
 花を飾られるのならまだしも、髪を結い上げられるのは慣れない、とホウチョウは唇を尖らしていた。
 侍女たちが丁寧に結い上げても、解いてしまうらしい。
 侍女たちも諦めて、赤茶色の髪を飾り紐で彩ったり、季節に合わせて花を飾るのでとどまっていた。
 鳳の君から座学が終わったソウヨウは、いつものように連れ出された。
 シキョ城で初めて来る場所だった。
 濃い緑の池の中、緋色の鯉が優雅に泳いでいた。
「はい、シャオ」
 ホウチョウは手にしていた錦の小袋を差し出す。
「ありがとうございます」
 ソウヨウはぺこりと頭を下げて受け取った。
 紐を開けてみると乾燥した小さな焼き菓子がたくさん入っていた。
「食べちゃダメよ!。
 これはお魚さんのエサなんだから。
 人の食べ物じゃないのよ。
 昔、それを食べて泣いちゃった子がいるんだから」
 ホウチョウは言った。
 ソウヨウは一つ取り出して、口に入れてみる。
 軽くかさっとした触感、微かな塩味。
 小麦粉ともち米から作られたものだろうか。
 甘党なソウヨウにとっては美味しい、とは言えないものだったが、苦手でもなく、嫌いでもなく、不味くもなかった。
 曖昧な色を和ませて、ソウヨウは思考を巡らせる。
 これよりも酷いものを食べている民がいる。
 あるいはこれよりも酷いものを食べてきたクニの子たちも多いだろう。
 シキボは広大な穀倉地帯であり、ソウヨウはその中でも絲の姓を許された子だ。
 父が亡き後、シキボでは緑の飾り紐で髪を縛るのを許されているのはシ・ソウヨウしかいなかった。
 そんなソウヨウだからこそ、美味しくないと感じられたのだ。
 きっと目の前の一つ年上の少女には、分からな感覚だろう。
「シャオ!
 美味しくなかったでしょ?」
 ホウチョウは大きな赤瑪瑙の色の瞳でソウヨウを見た。
「ええ、そうですね」
 ソウヨウはおっとりと頷いた。
 事実だったからだ。
「そんなにお腹が空いたの?
 おやつをもらってきましょう」
 ホウチョウはソウヨウの手を取ると、走り出す。
 紅の染められた絹が衣が揺れる。
 緋色の鯉よりも鮮やかに。


   ◇◆◇◆◇


 ソウヨウがいつまでも仕事を放置していたからだろう。
 護衛官代わりのユウシが迎えに来た。
「将軍、それは?」
 ユウシは尋ねた。
「あ、これですか?
 鯉に餌をやっていのです。
 昔は、姫に付き合って、よく餌をあげていました」
 ソウヨウは旗下に向き直る。
「食べてみますか?」
 上官の命令は絶対。
 そう徹底した規律の中で、南城の城主は機嫌のよく問う。
「どうぞ」
 ソウヨウは一つ焼き菓子を手渡した。
 途惑っていたユウシも、それを受け取り、口に入れた。
 完璧に咀嚼した顔に浮かんだのは悪くはないというものだった。
 都近いとはいえ平民の出。
 ソウヨウにつけられた副官の息子というだけの青年だ。
 その副官のモウキンですら系譜は怪しい。
 名乗る姓も地名だったし、名乗っている名もまた二つ名からだ。
 勇猛果敢に陣を切り裂いていく姿に感銘を受けた当時の上官から『猛禽の如く』と言われたのが由来だ、とこの間、世間話の一環で聞いたばかりだ。
「意外といけますね。
 軍で支給される携帯食料と似ている感じですね」
 素直にユウシは笑った。
「まあ、そうですね。
 つまり我が軍は鯉と同格ということです」
 ソウヨウは微笑んだ。
 南城はチョウリョウの中でも贅沢のできる拠点だった。
 対ギョクカンとの最前線。
 兵糧に事欠いたことはない。
 それでも携帯食料と同じものが、あの想い出の院子では鯉の餌だったのだ。
 初夏の煌めきは美しく。
 想い出はキラキラしている。
 目を伏せなくても、思い描くことができるだろう。
 気持ちごと置いてきてしまった記憶を。
 ここにいるのは抜け殻だ。
 糸を張り巡らされた操り人形。
 たった一つの意志があるのなら、ソウヨウの気持ちを預けてきた少女のためにチョウリョウという国を守ることだった。
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