ソウリョウ

「ボク、泣かないよ」
 と子どもじみた甲高い声が宣言した。
「どんな苦しいことがあっても。
 どんな辛いことがあっても。
 カイゲツの総領として、務めてみせるよ」
 ゲッカは言うと、笑みを零した。
「ちょっと大袈裟すぎたかな」
 その声に迷いはなかった。
 片親を亡くしたばかりの少女の小さな体を抱きしめてやりたい。
 そんな役割を演じなくてもいい、と言ってやりたかった。
 けれども、宰相という立場のロウタツにはできなかった。
 許されないことだった。
 幼い少女が進む道は過酷だ。
 反対意見も出るだろう。
 それでも、と。
 ロウタツは自分のこぶしを握り締める。
 神よ。どうしてこれほどの受難を与えるのですか。
 まだ子どもとして、大人の庇護を受ける存在に。
 『海月、最後の希望』という宣託をお与えになったのですか。
「そんなにボクは頼りないかな?」
 瞳と虹彩が区別のつかない真夜の瞳がロウタツを見上げる。
 月を喪ったような瞳は希望の光を宿していた。
 ロウタツは膝をついて、首を垂れる。
「どうしたの?」
 ゲッカはうろたえる。
「このクニが絶える日まで、臣の忠誠を。
 必ずや、誠心誠意をもって仕えると誓います」
 他に捧げられるものはなかった。
 粉骨砕身の働きをする、と誓うしかなかった。
 これほどまでに幼い少女に、クニの明暗を授けること。
 それほどまでに、このクニは追い詰められているのだ。
 小さな手が差し出された。
「沖達、ボクに鉄扇の扱い方を教えて」
 ゲッカは言った。
 それは戦場に立つという意味だった。
 まだ幼いのに、生命のやりとりをする場所に行くということだった。
 総領であれば最前線に立って指揮を執るのも当然だ。
 すでに、幼い少女はそこまでの覚悟を決めているのだ。
 ならばロウタツがくよくよとしている場合ではない。
 まだ戦場を知らない滑らかな手をロウタツは手にした。
 顔を上げ、黒い瞳を仰ぐ。
「弱音を吐いても、止めませんよ」
 ロウタツは言った。
「ボクはこのクニを守りたいんだ。
 だから、少しでも力になりたい」
 真剣な表情が崩れる。
「沖達は方向音痴なんだもの。
 総大将を任せられないよ」
 ゲッカは朗らかに笑った。
 明るく振舞う姿が痛々しかった。
「泣き言は許しませんよ」
 ロウタツは声を落として言う。
 総領の座を諦めてほしい。
 そんなことを思ってしまう。
 先代が遺した子どもはゲッカ独りきり。
 従兄妹であるロウタツに、その役目が回ってくるだろう。
 いくらか波乱はあるだろうが、落ち着くのが見えていた。
「ボクが強くなれば兵を守ることができるでしょ。
 沖達も守ってあげる。
 それに、ボクは泣かないって決めたんだ。
 総領になるための、交換条件なら、大丈夫。
 だから、安心してよ」
 ゲッカは笑顔のまま言う。
 それがロウタツの胸に突き刺さる。
 ロウタツは小さな手を握り締め、立ちあがる。
「先代から預かった木簡があります。
 そこには月姫様の字も記されています」
 ロウタツは言った。
「字!」
「総領になる以上、成人ですからね。
 小字でなくなるのは、当然でしょう」
 ロウタツは淡々と当然の事実を告げる。
「じゃあ、沖達に月姫って呼ばれるのは最後なんだ」
 ゲッカは大きな瞳をさらに大きくして言う。
「総領の座を諦めるのでしたら、今まで通りに呼びますが?」
「まさか!
 どんな字を選んでくれたんだろう。
 沖達、早く行こう!
 すっごく楽しみ」
 子兎が跳ねるように、ゲッカはロウタツの手を引く。
 ああ、この笑顔を守っていきたい。
 泣くような辛い目を合わしたくない。
 ロウタツは思った。
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