第十章

 その石は本当にキレイだった。
 だから、ソウヨウは目が離せなくなってしまった。
 その石はえも知れぬ、とろりとした深みのある翠の石だった。
 黒にも似た紫のビロードの上に、幾つかの色石が並んでいる。
 どの石もソウヨウの親指の爪よりも大きく、はっきりとした色合いをしていた。
 その中でも、一際美しいのは翠の石だった。
 この少年にしては珍しく、欲しいと思った。
 それほどまでに翠の石はキレイで彼好みであった。
 様々な色石の持ち主であるホウスウは、傍らで書生代わりを勤めていた少年の視線に気がついた。
 ホウスウにとってこの石たちは貴重ではあったが、大切ではなかった。
 身を飾ることに興味がない母と妹姫。
 女性にそれとなく贈るという気の利いたことができない兄。
 それらの理由で献上された玉の大半はホウスウの物となる。
 今回も、そんな理由で手に入れたものだった。
「この石が欲しいのか?」
 しばし考えた末に、ホウスウはソウヨウに問うた。
 少年はパッと顔を上げ、それから困ったように微笑んだ。
 欲しいのかと問われれば、うなずくしかないほど欲しいのだが、少年は自分を律することを知りすぎていた。
 無欲を装うことで、生き残る確率を上げる。
 子どもらしからぬ、子どもであった。
 そのことをよく知っている青年は、問いを変えた。
「十六夜に似合うと思うのだが、どう思う?」
「赤茶の髪に映えて、よくお似合いになると思います」
 ソウヨウは嬉しそうに答えた。
「そうか……。
 しかし、あの妹が歩揺を挿すと思えない。
 どうしたものか……」
 ためいき混じりに呟く。
「では、耳墜(ピアス)は、どうでしょうか?」
「なるほど。
 この石は大きいから割っても見劣りはせぬな。
 金具はどうしようか?」
 ホウスウは竹の片に筆で書きつける。
「金がよろしいのでは」
「金……。
 翠にもよく似合うであろう」
「はい」
 少年は笑う。
「ソウヨウ、使いを頼む。
 これは細工師の元へ」
 ホウスウは竹片と翠の石を少年に手渡す。
「かしこまり……」
 竹片を受け取った少年は途惑う。
「……あの」
「それに書いてある通りだ。
 そなたの好きなように細工を頼めばいい。
 何を困っているのだ?
 私から贈ろうが、そなたから贈ろうが、その石が十六夜の物になることには変わりがない。
 たまには兄以外の男から物を貰うのも良かろう。
 少しは女らしくなるかも知れぬしな」
 ホウスウは微笑んだ。
 ソウヨウは手の中の玉を見た。
「ソウヨウ。
 私の使いはできないのか?」
「いえ! そんなことはありません!」
 ソウヨウは慌てて否定した。
「では、頼む」
「かしこまりました」
 ソウヨウは承諾した。


 翠の石は品の良い一対の耳墜になった。
 石の良さを最大限に生かし、この上なく洗練された細工。
 それはチョウリョウにおいて、あまりに物足りないものだった。
 シキボ的な美を選ぶほどに、まだ少年は絲一族であった。
 黄金に飾られた翠の耳墜。
 直接手渡すように命じられ、ソウヨウはホウチョウの元に訪れた。
 命令や大義名分がなければ、身動き一つ取れない。
 思うままに動くことは、あまりに自分勝手で、人に迷惑かけるということを知りすぎている少年に、ホウスウからのせめてもの贈り物だった。
 長兄には大見得切って見せたものの、ホウスウは幼い二人が可愛かった。
 ホウスウは妹であるホウチョウの剣舞の才を、ソウヨウの聡明さを愛していた。
 世は動乱。
 いつしか来るであろう二人の別れが、美しい思い出に換わるようにという計らいであった。

「どうしたの、シャオ?」
 部屋に招きいれた少女はニコニコと聞いた。
 無用心にも、人払いがきっちりとなされてある。
「シャオがわたしのトコ来るの、珍しいね。
 初めて、なんじゃないかなぁ?」
 ホウチョウは小首をかしげる。
「贈り物があるんです」
 ソウヨウは小箱を取り出す。
「贈り物!?
 わたしに?」
 ホウチョウはびっくりする。
「お気に召すとよろしいのですが……」
 ソウヨウはゆっくりと箱を開ける。
 黒のビロードの上には、一対の耳墜。
 少女の感覚では怖ろしく地味で、刺激のない意匠。
 気に入るわけがない。
「きれーい!」
 ソウヨウの不安を打ち砕くかのように、少女は言った。
 目をキラキラさせて、耳墜を手にする。
 ソウヨウはマジマジと少女を見た。
「シャオ、ありがとう!
 ホント、とっても嬉しい!!
 ……似合うかな?」
 ホウチョウは耳墜と少年を交互に見やる。
「もちろんです!」
 ソウヨウは断言した。
 簡素にも見える意匠は、石の良さを引き出すためでもあったが、少女の美のためでもあった。
「シャオ、つけてくれる?」
 ホウチョウのお願いに、ソウヨウは無言でうなずく。
 赤瑪瑙の瞳がゆっくりと伏せられた。
 ソウヨウの心臓がドキッと跳ねた。
 顔が間近にあって照れくさい。
 ドギマギしながら、生まれて初めてのことをする。
 普段はあまり気にならないことが、急に気になりだす。
 少女からほのかに漂う甘い香り、日の光を浴びてもなお透き通るような白い肌。小さく形の整った唇は淡い薄紅色で、とても柔らかそうに見える。
 ソウヨウは邪念を打ち払うように頭をぶんぶんと横に振った。
 やっとのことで、少年は少女の耳朶に耳墜を下げる。
 ホウチョウは、目を開けた。
 世界で一番綺麗な赤瑪瑙の瞳が、静かにソウヨウを見つめていた。
 その瞳に映ることのできる幸福に、ソウヨウは感激した。
「綺麗だ……」
 ソウヨウは呟いた。
 ひねりのない純粋な感想だ。
「ホント?
 似合う?」
 ホウチョウは訊いた。
「とっても、綺麗だ」
 ソウヨウは玉の感想ではなく、少女に対する感想を呟く。
 ホウチョウはニコッと笑う。
「ありがとう、シャオ」
 少女は、もう一度礼を言った。
 ソウヨウは満足げに微笑んだ。
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