第十九章

 願いは叶わない。
 胸の中、漠然と知っている。
 それでも諦めきれないのは何故だろうか。
 手に入らないものを諦めるのに、上手になっていたはずなのに。
 シ・ソウヨウと呼ばれる少年は、青い空を見上げていた。
 ぼんやりと、阿(馬鹿)のように。
 同じ年頃の少年と比べて、まだまだ小さい彼は院子で空ばかり見上げていた。
 ここ南城では日常的な風景。
 鳳の君のお引き立てがなければ、ただの愚鈍。
 それがこの少年の評価であった。
 ソウヨウはそれを知っても、薄ぼんやりと微笑むばかりだ。
 そして、彼は今日も空を見上げるのだった。
 この空は彼女の下まで続いていることを知っているから。
 彼女は彼にとって唯一の救い。
 冷たく凍ろうとしていた心にそよと吹いた春の風。
 人を殺すことに慣れすぎて、死があまりに身近なソウヨウが、生きている理由だった。
 彼女の、十六夜姫のためなら、何でもできそうな気がする。
「絲将軍、こちらにいたんですか?」
 ずいぶんと探した、と言わんばかりの声が少年の考えを中断させる。
 副官のモウキンが顔中に汗をかきながら立っていた。
 壮年の男の後ろには見知らぬ少年がいた。
 少年と言っても、ソウヨウよりも一つか、二つ年上だろう。
 成人年齢には達しているはずだ。
 がっしりとした体格の溌剌とした印象の少年だ。
 ソウヨウは曖昧な微笑を浮かべて、首を傾げてみせる。
「息子のユウシです。
 今年で十五を数えます」
 モウキンは息子を紹介する。
「……初めまして」
 ソウヨウはニコッと笑う。
「は、お初にお目にか、か……かります。
 よ、よろしく……お願いします」
 ユウシは顔を真っ赤にしながら深々と立礼をした。
 可愛らしい性質だ。
 長生きはできない人間ですね、とソウヨウは思った。
「将軍の第三弓兵隊に加わります。
 明日が初陣ですので、お目通りさせておこうと思ったのです」
 モウキンは笑った。
「明日、戦でしたか?」
 ソウヨウは言った。
 ユウシは上官の言葉に驚く。
「ええ、そうですよ。
 明日から一ヶ月間、ギョクカンとシキボを巡って戦いです」
 モウキンは慣れた口調で言う。
「そう言えばそうでしたね。
 鳳様から、今朝もその話を聞きました」
 ソウヨウはのんびりと言った。
 天気の話をするように、自然に切り出されたものだから、うっかりしていた。
 彼にとって、こんな小競り合いはどうでもいいのかもしれない。
 死なない程度に、眺めていろ。と、言われた。
 ……どうでもいい戦いで、また人が死ぬのかと思うと、ほんの少し可哀そうだと思った。
 可哀そうだと、死んでいく人たちが可哀そうだと、……思えた。
「そろそろ、部下にお声を掛けてください。
 士気が変わりますからね」
「私が一声かけたところで、何が変わるんでしょう?」
 真顔でソウヨウは聞く。
「お偉いさんに声を掛けられると、ぺーぺーたちは飛び上がるほど喜ぶんですよ」
「そうなんですか?」
「そう言うもんなんです」
「なるほど……。
 奥が深いですね。
 わかりました、頑張ってみます」
 ソウヨウはニコッと笑う。
「ユウシ。
 明日は初陣だそうですね。
 功をあせらず、生きて帰りましょう。
 それが初陣で最も大きな功です」
 ソウヨウはユウシに言った。
「は、はい!
 頑張ります!!」
 ユウシは元気良く返事をした。
「ユウシ、そろそろ準備に取り掛かりなさい」
「失礼いたします」
 父に言われ、ユウシは立礼すると、立ち去った。
「あれでいいんですか?」
 ソウヨウはモウキンに訊いた。
「充分です。
 やればできるじゃありませんか」
 モウキンは言った。
「あまり人前に出るのは得意ではないんです」
「そうは見えませんよ」
「小心者なんです。
 戦うのだって、嫌いなんです。
 多くの血が流れる」
 ソウヨウは呟いた。
「そうは見えませんよ」
 モウキンはくりかえした。
 ソウヨウは副官を見上げた。
 壮年の男は笑っていた。
「そういうことにしておいていただけませんか?」
 ソウヨウは困ったように微笑んだ。
「命令ですか?」
「まだ、お願いです」
 ソウヨウは答えた。
 邪気のない無垢な笑顔を浮かべる。
「了解しました」
 モウキンは顔を引きつらせながら答えた。
「では、また明日」
「どちらへ行かれるんですか?」
「ちょっと、そこまで」
 ソウヨウは言った。


 シ・ソウヨウは今日も空を見上げる。
 どこにいても。
 何をしていても。
 この広い空の下、彼女が笑っていることを信じながら。
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