第二十章
月の明るい夜。
コウレツは窓を開けたままにしていた。
にじむように淡い光が書卓まで届く。
耳を澄ませば、微かに管弦の音が聞こえる。
なかなか良い夜だった。
青年の瞳がわずかに微笑みで細められる。
手元の燭台の灯心が揺らいだ。
南渡りの香木の香りが、風に乗る。
コウレツは窓に視線を転じた。
三つ離れた弟が、窓枠に腰掛けていた。
城の外に出ていたのであろう。
北から流れてくる商人たちが好むような地味な衣を身につけていた。
そういう格好すると、母親譲りの色彩ゆえにチョウリョウの民には見えなくなる。
コウレツは苦笑いをした。
音も立てずに進入を果たした弟の手際の良さと、自分の用心のなさに。
「兄上、聞きましたか?」
ホウスウはそう言うと、音も立てずに床の上に降り立った。
猫科の動物を思わせるしなやかな動き。
月の光を背に立つその姿は、神に選別された者のようだった。
「ギョクカンの王が立ったそうだな」
ほんの少し前に耳に入ったことを言う。
ギョクカンが王を名乗ったということは、大陸を統べていた王朝が終焉を迎えたことを意味していた。
この大陸はエイネンという王朝が支配していたのだ。エイネンは弱体化していて、瓦解間近であったものの、エイネンの皇帝が大陸の支配者であった。皇帝の許しがなければ、諸侯は何一つ認められなかったのだ。
ギョクカンの王は、皇帝を……弑(し)いた。
血に塗られた玉座の上に座ったのだ。
いつか誰かがやったことを、一足早くギョクカンの王がやったというだけだ。
「兄上には負けましたか」
悔しそうにホウスウは言った。
姿形に多分に影響されるのだろう。
弟は何時になく感情的であった。
「いや、街から走ってきたのだろう?
耳にしたのは、ほぼ同時刻だ」
コウレツは言った。
弟の情報網は素晴らしい、と感嘆したくなる。
クニの中央で、諸国の動きをありとあらゆる手段で手に入れようとしている総領よりも、街でふらふらと夜遊びをしていた次男坊の「耳」の方が優秀だというのは、何かの間違いのようだ。
「しかし、あの強欲爺め」
ホウスウは顔をしかめた。
「老い先短い身だ。
夢を見させてやるのが若者の務めであろう」
コウレツは笑った。
「やっかいですよ」
声を落としてホウスウは言った。
「平坦な道ばかりでは飽きてしまう。
ちょうど良い坂道になってくれるだろう。
坂を上りきった眺めは格別なはずだ」
コウレツは楽しそうに笑った。
難なく大陸の覇権を手にしてしまえたら、何の価値もない石ころになってしまうだろう。
実に均衡の取れた敵役だ。
大義名分も手に入る。
エイネンの恨みを晴らす、という思いもしない言葉で兵を集められ、同盟を組むことができる。
このクニがのし上がるために、ちょうど良い叩き台になってくれた、というところだ。
感謝することはあっても、恨む筋合いはない。
「愉しみだ」
戦神は笑んだ。