7.パラソル



「燈子ちゃんなら、あげても良いと思うのよ」
 着物が似合う中年と呼んじゃいけないような美人が言う。
 宗一郎の母で、早与子(さよこ)さんだ。
「私が娘のころ着ていたんだけど、ほら子どもは宗一郎さん一人だから」
 早与子さんは微笑を浮かべる。
「本当は、女の子も欲しかったのよ。
 でも……」
 早与子さんは、とーこの頭を優しく撫でる。
「今は、燈子ちゃんがいるから寂しくはないわ。
 もらってくれるかしら?」
「はい!」
 とーこは元気良く返事をした。
「じゃあ、さっそく着てみてね!
 変なところがあったら、大変だから」
 早与子さんはパッと顔を輝かせた。
 とーこは他人の笑顔が大好きだから、嬉しくなって微笑んだ。



 それは青空を飛んでいた。
 ……落ちてきた。
 静寂を通り越して、雑音に近いセミの命歌にへきえきしながら、宗一郎は庭を散策していた。

 メアリーポピンズ?

 そう、思ったのは、落下物が西洋傘だったからだ。
 女性が持つような、小さな日傘。
 時代がかった白いパラソルを宗一郎は拾い上げ、上を見上げた。
 改築して西洋風になっている離れの窓の金属枠が陽光を受けて、キラリと光った。
 そこから、女の白い腕が伸び出ている。
「ああ、宗一郎さん」
 ついでに、顔も出てきた。
 母だ。
「ちょうど良いところに。
 その傘を持ってきてちょうだい」
 そう言うと、こちらの返事を待たずに、窓は閉められた。
 宗一郎は、ためいきをついた。


 西洋館の広い正面階段を昇りながら、赤い絨毯を踏みしめるのは久しぶりだと思った。
 祖父の収集した西洋画を飾るために大改築されたこの離れに、人は住んでいない。
 時々、掃除のために人が入るぐらいで、祖父が亡くなってからは訪れる人も稀である。
 宗一郎にとっては、7年ぶりぐらいか。
 昔は、良くここでお姫さまごっこにつき合わされた。
 燈子が囚われのお姫さまで、宗一郎がそれを助けにきた騎士。
 この西洋館は、実にぴったりの遊び場所だった。
 右手に並ぶ部屋のドアの中から、あたりをつけて宗一郎はノックをした。
「どうぞ〜」
 ドア越しに陽気な母の声が入室の許可をする。
 いつまでも落ち着きのない方だ。
 ためいき混じりに宗一郎はドアをくぐる。
「失礼します」
 宗一郎は言って、その後しばし言葉を忘れた。

 悪い魔王のお城に お姫さまは とらわれてしまったのです。
 王さまの命を受けて 勇敢な騎士さまは 
 お姫さまを 助けにいきました。


 アンティーク人形のような夏用のドレスを着た少女が窓辺に立っていた。
 白かったはずのそれは、年月でくたびれてアイボリーになってしまっていたが、 それが余計に上品に見せた。
「似合うでしょう」
 母は少女の肩を抱いて、嬉しそうに笑う。
「……。
 助けに来ました、我が姫よ。
 王さまがご心配されております。
 と、昔は良く遊んだな」
 宗一郎はつぶやいた。
「お姫さまに見える?」
 燈子はニコッと笑う。
 上品さは台無しにされたが、血の通わない人形のような姿が緩和される。
「しゃべらなければ」
 宗一郎は愛想なしに言う。
「まあまあ、宗一郎さん。
 そんなことを言わずに。
 燈子ちゃんと、散歩でもいってらっしゃい」
 散歩の途中で呼び止めた人は、笑顔で言う。
「パラソルもあるから、去年みたいには倒れないでしょう?」
「あれは、ダイエットしすぎちゃっただけで。
 今年はきちんと食べていますよ」
 燈子は言った。
「そう、それなら良いけど。
 小母さん、心配よ。
 燈子ちゃんは小さいから」
 母は心配げに燈子を見る。
「宗一郎さん、お願いね」
「はい」
 宗一郎はうなずいた。
 空いている方の手で、小さな燈子の手をつかんだ。
「えへへ♪
 デートだね☆」
 燈子は無邪気に笑う。
「庭を散歩するのを、そう言うのならな」
 宗一郎はためいきをこぼした後に、言った。
前へ > 「宗一郎と燈子の45日間の空」へ >  続きへ