14.戸惑い



 黄昏。
 夜がもうすぐやってくる。
 そんな時間に、二人きりで会うのは初めてなのかもしれない。
 こんな時間に、一緒に下校したことはあった。
 あるいは、川上にいたことはあった。
 けれども、二人きりで会ったことは……今までなかった。

 沈みゆく太陽の最後に空へと投げかける光線は、琥珀色。
 それに照らされて、燈子は大人びて見えた。
 そう、歳相応には見えた。
 燈子は、もう16歳。もうすぐ、17歳になる。
 もう一人前の女性だ。


「宗ちゃん。
 とーこ、いっぱい考えたの。
 でも、良くわからなかった。
 どうして、宗ちゃんといっしょにいてはいけないの?」
 誤魔化すことは出来ない。
 燈子は真摯な眼差しで、宗一郎の心を射抜いた。
「燈子のお母さんが悲しむ。
 理由は、それだけだ」
 宗一郎は答えた。
 それだけの理由しかない。
 二人の垣根はこんなにも高いと言うのに、明確な理由はそれだけしかない。
「でも、とーこは宗ちゃんと会えないと悲しいの。
 涙がたくさん出ちゃうの。
 それでも、ダメなの?
 とーこはちゃんと『孝』の意味を知ってるよ。
 自分の心を優先してはいけないの?」
 小さい燈子は意味もわからずに、問いを重ねる。
 単純に、言葉だけを読み取って、宗一郎は心の中でためいきをついた。
「感情は理性によって、従えるものだ。
 迷ったときに感情を優先させた場合、後悔をしてはいけないんだ。
 燈子の選択が誰かを不幸にするかもしれない。
 それでも、我が儘を通すと言うなら、意味があるのだろう」
 宗一郎はわざと噛み砕いた説明をしなかった。
 とーこは困ったのだろう、大きな瞳は足元を見た。
 時間がゆっくりと流れ去る。
 太陽は姿を消し、薄暮。
 破片のような光が、空を僅かに染めている。
 薔薇真珠色に、灰青月石色、皇帝黄玉色。
 空には宝石の断片が層になって、キラキラと名残惜しげに輝いていた。
 もう、二人が抜け出したことも気づかれた頃合だろう。
 帰らなければ、一騒動になる。
 少女の両親が不利になるのだ。
 宗一郎は幼なじみに視線を転じた。
「とーこ、宗ちゃんといっしょにいたい」
 きっぱりと燈子は断言した。
 まるで、小さな子どもが「ずっと仲良しの友だちでいよう。」と、言うのと変わらない純粋さだった。
 それでは、残念ながら足りないのだ。
 前はそれでも良かったのかもしれない。
 でも、今はそれではいけないのだ。
 時間は確実に流れていくのだから。
「それは、いつまでだ?」
 宗一郎は重たい口を開いた。
 できたら、自分から尋ねたくない事柄だった。
 大きな瞳が自分を不思議そうに映している。
 綺麗な瞳だ。
 蒼く冷たく光る天狼星のように輝いている。
 いや、それよりも明るい。
 暖かい色の星。
 毎日見上げているあの星と同じ輝きだ。
「ずっと。
 ずっとだよ。
 宗ちゃんが、とーこのこと嫌いになるまで」
 燈子は告げる。
 残酷なまでに汚れのない心だった。
「嫌いにならなかったら?」
「そうしたら、もっとずうっと」
「……一生?」
「宗ちゃんが迷惑じゃなければ」
 燈子はおずおずと言った。
 ようやく周囲に気遣うだけのゆとりが生まれたのだろう。
 宗一郎の意思を確認していないことに気づいた燈子は、上目遣いで背の高い少年の見上げる。
「燈子のことで迷惑だと思ったことは一度もない」
 宗一郎は燈子の小さな頭を撫でた。
 細く黒髪の感触が柔らかく、気持ちが良かった。
 このままで良いのかもしれない。
 仲の良い幼なじみのまま、一生を過ごすのも、悪くないのかもしれない。
 宗一郎は微苦笑した。
 自分はこんなにも燈子が大切で、燈子も傍にいたいと言ってくれた。
 それは全然不幸せなことではなく、ほんの少しばかり厄介だけれども、居心地は悪くない。
 だから、この燈子を守れるぐらい、強くなりたい。と、宗一郎は希う。
「じゃあ、これから先もいっしょだよ」
 燈子は全開の笑顔を浮かべる。
 顔をクシャッてして、幸せそうに笑う。
「とーこ、こう言うの、知ってるよ。
 将来を誓い合ったって言うんでしょ?」
「……それは、恋人同士にしか使わないと言葉だ」
 無邪気な燈子の発言に、宗一郎は健気にも訂正した。
 少年の心情的には、とても辛いのだが、誤解したままというのは後々面倒なことになる。
「ねえ、宗ちゃん。
 どうすれば、恋人同士になれるの?
 幼なじみとどう違うの?」
「好きの種類が違う。
 友人と恋人は別物だ」
 馬鹿馬鹿しくなるようなやり取りだが、宗一郎は知っている限りの用例を持ち出して、燈子であっても理解できるように、説明をした。
「という風に違うのだ。
 わかったか?」
 少年の繊細な心は大変傷ついたが、平静を装って尋ねた。
「違いはわかったよ。
 何となく。
 それで、ケース・バイ・ケースなんでしょう?
 どうすれば、宗ちゃんの恋人になれるの?」
 燈子は朗らかに尋ねた。
「……。
 だから、好きの違いが……」
 堂々巡りになりそうだ。と宗一郎は思った。
「明日、光治先輩に聞こう。
 もう、夜遅い。
 帰ろう」
 宗一郎は左手を差し出した。
 その手を燈子がつかむ。
 小指と薬指、2本分だけ。
 二人は並んで家に帰った。
 そんなことしたら、どうなるか。
 宗一郎の方は良く理解していた。
 少女が我慢をするのをやめたように、少年もほんの少し強がるのをやめたのだった。
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