5.流星群



「流れ星がたくさんあったら、一つぐらいお願いを叶えてくれるかなぁ」
 透明な声が言った。
 宗一郎は、隣に座っている少女を見た。
 ここは本家の縁側。
 今日も陽だまりの中、猫のように日向ぼっこをしていた。
 燈子の膝の上には、夜空の写真集が載っていた。
 少年は読み止しの詩集にしおり代わりのリボンを挟んで、脇に置いた。


「何か願い事があるのか?」
 少年は問う。
 すると、不思議なもので少女は首を横に振る。
 高くくくられている髪が揺れ、ほのかに香りがした。
 これは春を告げる花の香りだ。
「見たことがないから」
 燈子は指さした。
 そこには夜空に星座が長い線を引くのとは違う、短い線が引かれていた。
 流星群だ。
「燈子が夜遅くまで起きていられないと、見られない」
 宗一郎は言った。
 肉眼で見られる流星群は、稀にある。
 しかし、どれも夜遅く始まったり、明け方が最高潮だったりする。
 健康的な燈子が見るのは、大変なことだろう。
「楽しそう」
「なかなか星が流れないから、望遠鏡でもないと見るのは苦労するぞ」
 宗一郎は写真集の星の軌跡を指でなぞる。
 一瞬きで駆け抜ける走り星。
 それをとらえるのは、とても難しい。
 まるで、傍らにいる少女のようだ。
「宗ちゃんといっしょだったら、大丈夫」
 燈子は言った。
 透明な声だから、喜怒哀楽がはっきりとつく。
「理由になってないぞ」
 宗一郎はかすかに笑う。
「そう?」
 少女は困ったように言う。
 宗一郎は顔を上げる。
 燈子は小首をかしげていた。
 細い黒髪がサラサラと流れていた。
 銀の砂が闇のキャンバスに流れ落ちるように、静かに零れる。
 ふと、それにふれてみたくなり、少年はためらいがちに手を伸ばした。
 全天のどれよりも光り輝く星を宿した大きな瞳は、真っ直ぐに少年を見る。
 否定もなければ、肯定もない。
 それでいて、消極的ではない。
 ただ、ありのままを映すビードロのような瞳。
 あまりに直線な視線に、どぎまぎしながら宗一郎は燈子の髪にふれた。
 自分とは違う。
 細い、糸のような髪。
 黒々としたその髪は絹糸の手触り。
 温度の違う髪を指ですいてみる。
 花の香りがいっそう強くなる。
 ふれると、もっとさわっていたいと欲望が湧いてくる。
 その細い首。
 肩に続くまろやかな曲線。
 雪のように白い肌。
 燈子の全てが綺麗だ。と、宗一郎は思う。
 砂糖や花の香り、この世の綺麗なもので女の子は出来ている、とは、嘘ではないと感じる。
 力加減を間違えれば、簡単に壊れてしまう。
 薄氷で作った玻璃の盃のような、こまやかな芸術品。
 孤独な男に与えられた「女」は、神がこしらえた物の中で、もっとも美しい。
 半身とは思えないほど、それは儚げで、繊細だ。
 燈子は気持ち良さそうに瞳を伏せる。
 宗一郎はドキッとした。
 無防備に身をゆだねられると、少年の中のよこしまな感情が目を覚ます。
 破壊衝動に似ている。
 美しいものを守りたいと思う一方、それを壊して独り占めにしたい。
 自分だけのものにしてしまいたい、と心の闇が開かれる。
 強い情動に、宗一郎の精神が支配されかかる。
 少女はとても、温かそうで、柔らかそうなのだ。
 自分とは違う、身近な他人。
 甘い誘惑に陶酔する。

 燈子の膝の上から、写真集が滑り落ちた。
 宗一郎は我に返った。
 地面に落ちた写真集を拾ってやる。
「ありがとう、宗ちゃん」
 何も知らない燈子は、ニコニコと笑顔を見せる。
 宗一郎は脇に置いてあった詩集を開く。
 少女の顔をまともに見られない。


 それから、少年は詩集の文字を一文字も読めなかった。
 隣の少女は、そんなことをお構いなしに楽しそうに話しかけてくるのだった。
 よくある昼下がりの風景だった。
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