6.月影



 満月に近い月は、都会の人々が思うより明るい。
 冷たい光が風景に青いセロファンをかぶせる。
 少年と少女は、庭先を散歩していた。
 庭が昼間とは違う夜の顔を見せるように、少年の瞳には少女が違って見える。
 淡い燐光に包まれた燈子の今夜の装いは浴衣だ。
 新しく仕立てたそれは、はんなりとした薄紅。
 春の靄のように柔らかな色の白い帯を締め、カランコロンと下駄を鳴らす。
 対する少年の方は、普段通りの服装だった。


「こうやって、宗ちゃんといっしょにデートしていると、夢みたい」
 燈子がクスクスと笑う。
 デートと呼ぶには、可愛らしいような気がするものの、二人きりなのだから『デート』と呼んでも良いのだろうか。と、小難しいことを宗一郎が考えていると、
「夜にお外にいても良いなんて、すっごい不思議」
 燈子は言った。
「そうだな」
 その点は同意しても良かったので、口数の少ない少年はうなずいた。
「とっても、嬉しいの」
 朗らかに少女は言う。
 概ね、いつも楽しそうにしている少女だから、少年の方はあまり深く受け止めなかった。
 元より、少年は他人よりも感性が鈍いのだ。
 かすかな違いまでは、明確にとらえることが出来ない。
 静かな夜に見る少女は、綺麗だ。と、心の中でゆっくりと反芻するにとどまる。
 ほのかな月影が燈子の輪郭をぼやかす。
 傍にいるのに、遠い。
 でも、それは思いがけないことだが、淋しくない。
 きっと、それは燈子が「明るい」からだろう。
 銀色の微細な氷晶で輝いている。
 月が陽の光を受け、大地を照らすように、燈子そのものが「光」なのだ。
 それに照らされている宗一郎は、淋しくない。

 燈子が立ち止まった。
 釣られて、宗一郎も止まる。

 青い色ガラス。
 世界をしじまで覆う。
 雄弁の白銀、沈黙の黄金。
 連続しているはずの時間が切り取られてしまったような、空間。

 宗一郎は息を呑む。
 濁りのない、最も尊い輝きの瞳が見上げていた。
 それが、胸が締めつけられるようなほろ苦い想いを自覚させる。
 じんわりと広がる漠然とした、感情。
 何に喩えても足りない。
 透明な硝子は、温度を持たないように。
 ふれても、確かにある距離のように。
 透き通っているから、見えるから。
 ……そうだというのに、遠い。

「宗ちゃんといっしょにいられるから、とーこはしあわせ」

 飾りのないキレイな言葉だった。
 すとん、と胸に落ちる。
 喜びではない、それはそんなものではない。
 愛しさではない、これはこんなものではない。
 キレイで、涙が零れてしまうほどに、情が動かされる。
 この想いに名をつけられない。
 燈子はどうして、こんなにもキレイなのだろうか。
「そうか」
 少年は、それだけをようやく音にした。
 燈子は満面の笑みを浮かべた。
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