#02. I don't know that much about him.

 私は《黄昏》の多くを知らない。
 それは《黄昏》が多くを語らないためだ。

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「《shi》ちゃん、お久しぶり」
 街中で声を掛けられた。街といっても東京23区ではないので、道をいくのに肩がぶつかることを気にする必要がない。
 振り返ると、背の高い男がいた。《黄昏》と同い年だという男は、社会人とは思えない格好をしていた。もちろん男は《黄昏》と違ってラフな服装が許される職についていて、社会的になんら問題はない。
 けれども、私はそれを快く思ってはいなかった。
 理由は簡単である。
 『区別』がつかないからだ。
 流行を追いかけるその情熱は素晴らしく、私には足りないものなので、尊敬の念すら湧き上がる。ただ上から下まで流行の姿というのは、個性がない。大多数がその年に選んだスタイルが、流行なのだ。
「《グングニル》か」
 声から判断して、私は言った。
「そーいうこと。
 珍しい。一人だなんて」
 神の槍――《グングニル》というハンドルネームを名乗る男は、言った。
 彼が今のハンドルネームを使用しだしたのは、私が《黄昏》に出会う数日前だと言う。以来、《グングニル》と名乗っているが、それは半分ほどしか正確な情報ではない。男は《黄昏》と同じ人種で、いくつかのハンドルネームを使い分けている。《グングニル》である時間は、24時間という単位で見るとわずかである。
 それでも私は《グングニル》と呼ぶ。
 北欧神話に出てくる神の槍。雷の神オーディンが握る投槍。神々の黄昏と呼ばれる最終戦争「ラグナロク」のときも、オーディンはその槍を手に、戦場に臨んだ。そして、神は滅んだ。
「いつでも私は一人だ。
 人間というものは、そういう生き物だろう」
 私の答えに、《グングニル》は肩をすくめた。
 三次元で会うのは久しぶりとなるが、オーバーリアクションなのは変わらない。西洋人と仲良くできるだろう。彼の手振りは実に社交的である。良いことだ。
「ごもっとも。
 これから帰り?」
「私は家に帰るところで、寄り道をする予定はない」
「家って、《黄昏》のトコ?」
「……それも悪くないな」
 ふと思いつき、私は言った。
「じゃあ、一緒に行こう。
 これから《黄昏》の家に行くところだったんだ」
 《グングニル》は右手にぶら下げていたビニール袋を見せる。
 半透明な袋の中身は、酒類だろう。他人の家への手土産は、酒と相場が決まっている。これは麗しき日本の文化である。もっとも私は《黄昏》の家に料理酒以外のアルコールを持ち込んだことはない。これからも、するつもりはない。

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「意味不明」
 出迎えた《黄昏》は呟いた。
「やっほー《黄昏》。
 元気してる?」
 《グングニル》は言った。
「リアルで呼ぶな」
 上がれ、と《黄昏》は軽く手で示す。
 おそらく寝起きだったのだろう。整髪剤で整えられていない頭を見るのは、数日振りだった。休日なのだから問題はない。私の中で違和感が膨らんでいくだけだ。
 両耳には流星のように光をはじくピアスがなかった。
「気にすんなって」
 《グングニル》は笑った。よく笑う男である。調子が良く、明るいものだから、《グングニル》がいると《黄昏》が真面目に見える。比較対象がしやすいというところだろうか。もしくは二人は役割分担をしているのかもしれない。誇張しあうのだ。それによる利点は……私には理解できない。
「何が悲しくて、十年来のトモダチにハンドルネームで呼ばれなきゃいけないんだ」
「今更、今更。
 ね。《shi》ちゃん」
「人間諦めが肝心だという」
 私は答えた。
 《黄昏》が私を見る。それから、肩をすくめた。議論をする根気がないのだろう。やる気がないときの《黄昏》はそんな調子である。《黄昏》の中身はドライだ。面倒ごとが嫌いで、トラブルから身を引く傾向にある。稀に彼が親切をするのは『偽善』だ。当人の口から聞いたのだから、間違いではないだろう。
「二人で来るなんて珍しいな」
 《黄昏》は玄関に続く台所で止まり、冷蔵庫を開け、缶ジュース2缶と紙パック1つを取り出す。無駄の少ない動作はそれゆえに洗練されている。長らく接客業に身を置いていた《黄昏》の仕草は全体的に優雅だった。他人の目を意識する習性というのは抜けがたいものらしい。
「駅前で偶然会っただけ。
 やましいことはありません」
「奥サンに言いつけよっか?」
「うわぁ、止めて。
 勘弁〜。
 若い子に手出したなんて知られたら、離婚されちゃうよ」
 笑いながら《グングニル》は靴を脱ぐ。それに習い、私も上がる。
 洋間のテーブルの上に、ジュースたちが置かれる。
 私は洗面所で手を洗ってから、台所の食器棚からグラスを二つ、手に取る。プルタブが開けられる前には間に合った。《黄昏》も《グングニル》も直に口をつけるのを気にしない。グラスを出さない限り、直飲みするのだ。家に居るとき、缶から直接飲むのは良くないことだと私は教えられている。
 私はテーブルの上にグラスを置く。
「ありがと、《shi》ちゃん。
 良い奥さんになれるよ」
「それ、セクハラだろ」
「マジで〜。
 堅すぎじゃね?」
「ハラスメント関連、読んだけど、かなり細かいのな。
 暗記した上でいちいち実行したら、胃に穴が開きそうだ」
 微笑を浮かべながら《黄昏》はグラスに炭酸飲料を注ぐ。《グングニル》の持ってきたビニール袋は、テーブルの端に追いやられている。
 私はいつもの席に着き、紙パックを手にする。抹茶味の豆乳飲料だ。体に良いとされているせいか、私は何となく好んで口にしている
 私は別段、健康に気を使っているわけではない。むしろ太く短く生きていたい人間だ。長生きをする、という目標は当面のところない。私と積極的に関わりあってくれる人たちが、私の健康を望んでいるようだから、私は健康的なことをしているにすぎない。
 仮に、彼らが私に「死ね」と命じたら、私は入水自殺ぐらいなら試みるだろう。電車に飛び込んだり、山や樹海で行方不明になるよりも、遺族の負担額が少ないというのが入水自殺を選ぶ理由である。借りているアパートで首吊り自殺や頚動脈切断は不動産屋と大家に迷惑をかける。それよりは税金の無駄遣いとなるが、海に飛び込むほうが顔見知りへの負担金額が少なくてすむのだ。
 もっとも、善良な彼らがそういうことを言うのは、宝くじの一等が当選するよりも低いのだが。
 私には、今のところ自殺をする予定はない。我ながら健全な発想だと思っている。
「読むだけ、偉いわな。
 オレ、読んだことないし」
「少しは興味を持ったらどうだ?」
「オレはネクタイをするような職業に就く気はないの」
 《グングニル》は笑った。それ以上《黄昏》は言わなかった。私は黙って抹茶味の豆乳を飲んだ。

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 当たり障りのない話題を話した。夕方になった。私は帰った。
 私がいると、二人は秘密の話ができない。《グングニル》には、アルコールを介在させて語るような出来事が起きたのだ。そういうときだけしか《グングニル》はやってこない。社会の通念からズレた《グングニル》が酒類を手土産にするというのは、そういうことなのだ。アルコールの力を頼らなければならないとは、人間くさいの弱さだった。私はアルコールを口にしてはいけない人間なので、《グングニル》の行動は理解ができない。だからといって男同士の友情に水を差すほど、私は愚かではない。
 自分の家までの道で、私は立ち止まる。

 一人だ。

 どうしようもなく寂しかった。電線が走る空は黄昏という言葉に相応しく、黄色みを帯び、広がっていた。もうすぐ日が落ちる。夜が来るのだ。
 私は知らない。何故《黄昏》が《黄昏》と名乗るのか。その理由を知らないのだ。

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