第三十六章

 健やかな寝息にメイワは安堵し、微笑む。
 ギョクカンとの縁談を快く思わない者が多いために、どこかに立ち寄って休むというわけにはいかない。
 ましてや、ここシキボでは宿を取るような場所もない。花嫁行列は夜、道端に立ち止まり休む。
 旅慣れている者でも、連日連夜、馬車の中で夜を明かすともなれば閉口気味になる。
 城の最奥で育った姫には、寝台のない場所での寝泊りは、健康を損ねる原因になりかねない。
 ホウチョウは眠りが浅いと、熱を出し、すぐさま風邪を引く。
 そんな姫には、強行軍の旅だ。
 早く、寝台のある場所で休ませて差し上げたい。
 メイワはホウチョウの寝顔を見ながら思った。
 心なしか、顔色が冴えない。
 疲労がたまっているのだろう。
 星の光がささやかな夜だった。
 メイワは窓に瞳を転じた。
 チョウリョウの民にしては、薄すぎる色のその瞳は物を思い翳りが落ちる。
 後悔はしていない。
 姫についてきたことは正しい、と思っている。
 ただ微かにも、心残りがないというのは嘘である。
 メイワは袂(たもと)から、そっと一枚の紙を取り出した。
 四つ折にされた秘色の上質の紙。
 ずいぶんと古いものであるために、紙の角が擦り切れ丸くなっている。
 メイワは破らないように気をつけて、紙を広げる。
 墨色鮮やかに書かれた文字は、几帳面で、お手本をなぞったようだった。
   『貴方を妻に迎えられるのが嬉しい』
 そう、書いてあり、端の方に御名が記されている。
 幼馴染みの君からもらった、手紙だ。
 メイワが唯一、都から持ってきたものだった。
 他の物は全部、形見分けのように人にくれてしまった。
 心残りは、これだけ。
 添うことができなかった。
 それを、残念に思うだけ。
 実家からは安心して勤めを果たすように、と書簡で届いた。
 メイワの三番目の妹が、メイワの代わりに嫁ぐこととなった。それを両親に薦めたのはメイワ自身であるから、恨むことはない。
 嫁ぐはずだった家から、『残念に思う』と短い書簡が届いた。
 充分すぎる。
 メイワは充分すぎるほど、恵まれた。
 思い出もこうして残っている。
 心残りは、もう二度と都に戻れないということ。
 故郷を離れるのを、少しばかり寂しいと思ってもおかしくはないだろう。
 メイワは微笑んだ。
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