第三十七章

 この季節、彼の機嫌はあまり良くない。
 赤が嫌いだ、と憮然(ぶぜん)と告げるのは、これ以上ないくらい赤が似合う伊達男だった。
 名はシャン・シュウエイ。
 絲将軍旗下の槍兵部隊長だ。
 今年は例年になく機嫌が悪かった。
 誰もが近寄らないようにしていた。
 あの、ユウシですら用事がない限り声をかけないようにしていた。


「何だって、あんなに機嫌が悪いんだかねぇ」
 カクエキがぼんやりと言った。
 窓の下には不機嫌な顔をして庭を散策するシュウエイが見えた。
「女みてぇだな。
 そうは思わないか?」
 カクエキは同意を求める。
「そんなこと訊かれても困ります」
 ユウシは言った。
 竹簡と格闘中らしく、いくつかの辞書を広げながら、手元の竹簡を睨んでいる。
「困るってことは、ちょっとはそんなこと思ったってわけか」
 意地悪く男は笑う。
 ユウシは、ばつ悪そうな顔をする。
 その様子に、カクエキはゲラゲラと笑う。
「もうちっと、顔に出さない訓練しないと人生乗り切れないぜ。
 阿雄(雄ちゃん)」
「馬鹿にしないでください!」
 子ども扱いされ、ユウシは怒鳴る。
「そういう顔をするから、馬鹿にされるわけだ」
 カクエキは指摘する。
「うっ」
「しっかし、あんな城主様でもこの城には必要なんだな」
 カクエキはドサッと長椅子に腰掛け、天井を仰ぐ。
 ここ数日、シキボ城は浮き足立っている。
 小さないざこざが絶えず起き、怪我人が出る始末だ。
 そのため城主代行のモウキンが走り回っている。
 まとまりが欠け、みな何かに不安がって、苛立ちを隠せないでいた。
「みんな、不安なんですよ。
 もし、ギョクカンが攻めてきたら、と思うと」
 ユウシは言った。
「ああ、そうだな。
 将軍がいれば安心だもんな。
 絶対、負けない」
 カクエキは言いながら、良くない兆候だと思った。
 一騎当千と讃えられる勇将であっても、不安がっている。
 シ・ソウヨウという若者は、強く、人を惹きつけるほどの輝きがあった。
 猫かぶりをやめた少年は、全天の綺羅星。
 天を焼き焦がすもの、天狼星。
「みんな、将軍の指揮で戦うのに慣れすぎたんです。
 だって、私だって、自分がこんなに強かったなんて思いませんでした。
 将軍の言う通りに戦うと、本当に勝てるんですよ」
 ユウシは言った。
「もしかして、俺たち全員を地獄に誘い込んでいるのかもしれないな」
 カクエキは思ったことを呟いた。
 馬を乗りつぶしてしまうように、駒を使えるまで使って、用を成さなくなったら切り捨てるのかもしれない。
 それでも、そう思っていても、ついていかずにはいられない。
 惹きつけられたものの運命だ。
「それでこの国の平和に足りるんだったらいいんじゃないですか?」
 ユウシは明るく言った。
 その言葉にいくらか励まされる。
「妙に達観してるのは、父親譲りかぁ?」
 カクエキはユウシを見た。
 鳶色の瞳がきょとんとした。
「褒めてんだよ。
 とりあえず、喜んでおきな」
 カクエキは口の端を歪めて笑った。
「はあ」
 ユウシはいまいち納得のいかない顔で呟いた。


「ずいぶんと浮かない顔だな」
 散策が終わるのを見計らって、壮年の男は声をかけた。
 シュウエイは恭しく拱手をした。
 無骨な者たちが多く集うこの城で、そのしぐさが決まる数少ない若者だった。
「これは失礼いたしました。
 とんだご迷惑をおかけしたようで」
 シュウエイは柔和な笑顔を浮かべる。
 が、その冬葉色の瞳が全く笑ってないのがモウキンにはわかった。
 穏やかそうな外見を裏切って、その気性は烈火。
 上官相手でも喰ってかかる性格を把握しているので、モウキンは内心冷や汗をかく。
「実家から、書簡が届いていたぞ。
 ついでに預かってきたんだが」
 モウキンは書簡を示した。
 不機嫌がさらに、増したようだった。
 空気が重く沈む。
「お手間をかけました。
 ありがとうございます」
 シュウエイは書簡を受け取る。
 その顔は、もう笑っていなかった。
 まるで、憎い敵でも見るような瞳だった。
 事情を知らない者の気安い慰めは、時に相手を怒らせることもある。
「それじゃあな」
 モウキンは軽く手を上げ、立ち去る。
 シュウエイは慇懃に礼をした。
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