第四十四章

 彼女にとって、変化は緩やかなものでなければ、ならなかったはずだ。
 急激な変化についていけるほど、強い精神を彼女は持っていなかったはずだ。
 けれども、彼女はそれを受け入れた。


 南城の暖かい秋に、ホウチョウは喜んだ。
 都ではそろそろ、外を出るのも辛い、身を切るような寒さに、人々が鬱々と空を見上げる季節。
 それなのに、チョウリョウの南の大地はまだ花が咲いていた。
 胡蝶に花は欠かせないものだから、とてもそれを喜んだ。
「ここでは、花が絶えることはありませんよ」
 散策に付き合う南城の若き城主は穏やかに言う。
「一年中、花があるの?」
 ホウチョウは彼を見上げた。
 そう、見上げた。
 かつては、話をするのに見上げたことはなかった。
 彼はホウチョウよりも背が低かったのだから、見上げる必要などなかったのだ。
「ええ。
 ここでは、花薔薇も四季咲きですよ。
 いつでも、咲いています」
 ソウヨウはうなずく。
 早朝のひんやりとした空気の中、朝露を宿した花々が揃う。
 二人はゆるりと院子を歩く。
 その姿を見た者はいなかったが、誰もが微笑まずにはいられないような、ほんわかとした雰囲気だった。
 恋仲の男女と言うよりは、仲の良い子どもたちが並んで歩いているように見えるのは、仕方がないことなのかもしれない。
 いまだ、乙女は夢見るような心を抱えているのだから。
「すごいわ。
 まるで、楽園ね。
 シャオはずっと、楽園で暮らしていたのね」
 ホウチョウはニコッと笑う。
 ソウヨウはほんの少し首をかしげる。
「さあ、どうでしょう」
 それから、おっとりと微笑んだ。
 同意が得られなかったことをほんの少しばかり寂しく思ったが、ホウチョウの興味はすぐさま逸れる。
 彼女はヒラリヒラリと舞い遊ぶ胡蝶なのだ。
 縛られることも、停滞することも、嫌う。
「来年のチョウリョウにはもっと暖かい場所があることを、約束しますよ」
 サラリと計略の奇才は言ってのけた。
 隠すことのない自信に、ホウチョウは目を瞬かせた。
「じゃあ、ますます雪は見られないの?」
 違うことを、無垢な乙女は心配した。
「お望みでしたら、一年中雪に閉ざされた世界を手に入れましょうか?」
 ソウヨウは言った。
 それは、大変困難が伴うはずだというのに、彼はちっともすごいことに見えないように言う。
「それも、すごいわ。
 雪ばっかり降っていたら、窒息しないかしら?」
 ホウチョウはクスクスと笑う。
「さあ。
 あまり、寒い場所に行ったことはないので、わかりません」
「そうなの?
 じゃあ、大変ね。
 二人揃って、行ったことのない場所に行くのは大変なんですって」
 でも、楽しいかもしれない、とホウチョウは思った。
「姫と一緒なら、きっと全然大変に感じませんよ」
 その声がとっても嬉しそうだったから、ホウチョウはドキッとした。
 見上げれば、綺麗な色の瞳。
 茶色とも緑とも取れる色の瞳は、爽やかな朝の日差しの中でもどちらつかずで、謎めいて見えた。
 ホウチョウははにかむ。
 楽しいことがあってドキドキするのとは違う、ドキドキを感じる。
 フワフワしていて、ちっとも嫌な感じはしない。
「シャオ、覚えてる?
 雪を見るって、約束」
 ホウチョウは訊いた。
「はい、もちろん」
 ソウヨウはうなずいた。
 覚えていてくれたことが、嬉しい。
「絶対、雪を見ましょう。
 いつになってもいいから」
 ホウチョウは喜びで笑む。
 未来の約束ができることが、嬉しいと心が震えるように思った。
「はい」
 返事が返ってくる。
 たくさんの約束を交わしたときのものと、それは全く違ってしまっていたけれど。
 ホウチョウには気にならなかった。
 少し、違う。
 声が違うことに、驚いて、彼女はまた微笑む。
 澄んだ声が懐かしいと思うこともあるけど、今はこの声が一番好きだ。
 しっとりと耳に響く、深い声。
 その声が自分を呼ぶのが、たまらなく嬉しい。
「シャオ」
 ホウチョウは呼ぶ。
「はい、姫」
 変わらずに、返事が返ってくる。
 たくさん、色んなことが少しずつ変わってしまったのに、そこだけは変わらない。
「大好き!」
 ホウチョウは素直に自分の気持ちを表現する。
 すると、優しげな顔立ちに朱が走る。
 綺麗な色の瞳が、動揺していた。
 一呼吸分、間があって
「……私も……姫のことが、好きです」
 ソウヨウは照れながら言った。
「うん!」
 ホウチョウは笑った。


 どんなに変わってしまっても、変わらないものを彼女は見つけられた。
 それさえ、きちんと見つめていれば、迷わない。
 だから、彼女はどんな変化にも耐えられるのだった。
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