第四十五章

 シキボの冬は、暖かい。
 雪は滅多に、降らない。
 それが意味するところは、兵士たちに休みがないということだ。
 こき使うことに異様に才能がある少年は、たっぷりと休みを与えることはない。
 現在、暇を持て余しているのは、不幸にも腕を負傷してしまったシャン・シュウエイぐらいであった。


「そろそろ、睨み合いにも飽きてきましたね」
 ボソッと不吉なことを呟く。
 それを同じ室内で聞いてしまった者たちは、束の間の安息が終わったこと肌で感じた。
 ギョクカンと戦を始めて、はや一月。
 小競り合いのようなぶつかり合いだけで、お互いの損害は少ない。
「さて、どうしましょうか?」
 それは自分自身への問い。
 意見が求められていないことを、みなは良く知っていた。
 書卓を、ソウヨウは弾く。
 彼が何かを考え込んでいるときの癖。
 基盤に碁石を打つように、様々な条件を視野に入れながら、手を広げていく。
「そうですね。
 引きずり出しましょうか。
 敗走したふりして、罠に嵌(は)めるのが一番ですが。
 飽きてきました。
 いつまでも、同じ手には引っかかってくれないでしょうし。
 うーん。
 たまには、こちらから打って出ますか」
 得意じゃないんですけどね、と微笑む。
 そら怖ろしいことを、城主は呟く。
「ユウシ、地図を出してください」
 ソウヨウはおっとりと言う。
「はい」
 ユウシはソウヨウの前に地図を広げる。
 この世界で一番精巧な地図であろう。
 この地図を見ただけで、谷の深さも、山の高さも、川の流れもわかる。
「カクエキ、どう思いますか?」
「はあ?」
 男は嫌な予感がしながらも、聞き返す。
「そろそろ、ツーは戦場に立てるでしょうか?」
 ソウヨウの口から、従弟の名前が出る。
 カクエキは顔をゆがめる。
 カクエキの部隊は、先陣を任されることが多かった。
 どの部隊よりも早く戦場にたどり着き、敵陣を切り裂く役目は、軍功を挙げるのに適していたが、従卒ですらない兵士見習いの少年たちにとっては、配属されたくない部隊であることは確かであった。
 生きて帰ってくるのが厳しい、そんな状況下でユ・シデンはカクエキの部隊の雑用係であり続けていた。
 なぜなら、少年はシキボの紆の嫡男なのだ。緑の目ですらない者に負けるはずがなかった。戦場という『殺し合い』の中で、緑の目の化け物は膝を折ることを知らない。
「死なない程度に、ってことならな。
 ただ、配下を率いてってのは、ムリだな。
 アイツ自身が突っ込んで行く」
 カクエキは笑った。
「あの子も年改まれば、十五ですから。
 初陣させてもいいかと思ったんですが、時期尚早ですか……」
 ソウヨウは苦笑する。
「大将の首、掻っ切って来い。
 と、いうなら適任ですよ」
 カクエキは上官を見る。
「それはいけません。
 きちんと、わかりやすい形で、勝たなければ。
 最後の戦いになるでしょうから。
 嫌でしょう? 皆さん。
 史書にギョクカン内乱にて滅びぬ。って、書かれたら」
 ソウヨウは困ったように微笑む。
「戦が終わるんだったら、何だって良いさ。
 用兵は拙速を尊ぶ。ってな」
 カクエキは皮肉る。
 喧嘩を買うのは好きだが、無駄に命を奪うのは好きではない。
「まあ、そうなんですが」
 ソウヨウはボソッ続ける。
 その方が楽は、楽なんですけどね。と。
「やっぱり、いけません。
 シュウエイなら、どうしますか?」
 珍しく沈黙を保っているお友だちにも声をかける。
 細面の伊達男は、ぼんやりと窓の外を見やっていた。
 ソウヨウが同じことをしていても、ボケボケしていると言われるのにたいして、彼がそうしていると絵になる。
 深遠なことを考えているように見えるのだ。
 ……見えるだけで、ボーっとしているのには変わりがないが。
「一体、いつからお馬鹿さんになったんですか? あれは」
 不機嫌にソウヨウはカクエキに言った。
「何で、俺に訊くんですかっ?」
 最も戦場にいる男は、言い返した。
「連帯責任です!」
 上官は言い切った。
「だったら、風朗にも八つ当たりをしてください!」
 深い青の瞳が見下ろす。
「そんなことしたら、かわいそうじゃないですか!」
 完璧な依姑贔屓(えこひいき)をする。
 何故だか知らないが、一つ年上の、どう見ても丈夫そうな好青年に、少年は保護欲を感じるらしく、まるで自分の大切な玩具のように扱う。
 庇われた方は、困ったように笑った。
「俺には、かわいそうとは思わないのか?」
「だって、カクエキはちょっとのことでは傷つかないでしょう?」
 そう断言されてしまうと、なにやら切なくなる。
 絶大な信頼関係があるからこその言葉だとわかっていても、傷つく。
「俺だって、傷つくんです!」
「へー、どこにですか?
 あ、わかった。
 草原を突きっていたら、いつの間には皮膚を切っているような感じですか?」
 ニコニコとソウヨウは訊く。
 カクエキは息を呑み、それからたっぷりと時間をかけて息を吐き出した。
 四つも年下の相手に、手玉取られるのは不快だ。
「で、どうなさるおつもりなんですか?
 絲将軍閣下」
 カクエキは嫌味をこめて、慇懃に尋ねた。
「色々考えましたが、現状を維持することにしました。
 もうすぐ、新年ですからね。
 皆さんも休みたいでしょう。
 本当は、敵の気が緩んでるとこを叩きたかったんですが」
 仕方がありません。とソウヨウはシュウエイの方に目をやる。
 シュウエイはまだ、ぼんやりとしていた。
 話を完全に聞いていないのだろう。
「そうしてくださると、こちらも大いに助かります」
 カクエキは肩をすくめた。


 こうして、城主の口から休暇宣言が出た。
 と、言ってもそれを満喫できたものはほとんどいない。
 小競り合いは毎日のように続くのだし、新年の準備もある。
 そして、大詰めに向かって、水面下での調整は始まっている。
 計略の奇才が、そう易々と休みをくれるはずがないのだった。
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