第四十七章

 南城で最も話題になっている恋の話は、残念ながら城主と公主様の身分違いの恋ではない。
 城で働く者たちは、城主の性格を良く知っていたため、その恋が早晩認められるであろうと予測していた。もし、皇帝が認めなくても、何とかやってのけそうだと思っていた。
 それに、二人の空気は恋人同士のそれと呼ぶには、無邪気で他愛ないものだったので、お喋り雀たちもさほどさえずることはなかった。
 この城で、現在、最も注目を浴びているのは、メイワを巡る恋の鞘当だった。
 本人長いこと不細工と信じきっていたが、ところ変わればとの格言どおり、チョウリョウでも北方や、ギョウエイ出身の者には、べらぼう受けが良かった。
 洗練された立ち振る舞い、細やかな気遣い、宮廷の侍女であれば必須の項目だが、この南城では光って見えた。
 都の華やかな空気にふれ、のぼせ上がる者も多かった。
 もう少し見る目がある者は、彼女の朗らかな笑顔に舞い上がった。
 本気で求婚を考えている男も数名いるほどだ。
 彼女の崇拝者で、事実上の一騎打ちと見られる有望な男は二人。
 どちらも、城主の直属の部下。
 ヤン・カクエキ。
 シャン・シュウエイ。
 城中の侍女がうらやましさで、ためいきをついた。
 武人としての功も、男としての魅力も、城の中で一、二を争う若者たちだ。
 渦中の人物メイワは、この状況でいたって、のんびりとしていた。
 彼女の一番は、やっぱり姫なのだ。
 繊細な姫は、ちょっとのことで、すぐ熱を出し、風邪を引こうものなら、半月は寝込んでくれる。 そのくせ、城中を元気に走り回ってくれるのだ。
 過保護にも見える心配は、本当に仕方がないものだった。
 何より、最大の理由は、メイワがとっても晩生で鈍感だったのだ。
 求愛者を気の合う友人としか見られないのは、大問題だった――。



「メイワ殿、今日もお美しい」
 メイワが用をすませて、廊下をのんびり歩いていると、そう声をかけてきた男がいた。
 背が低いメイワはその人物を見上げる。
 何度見ても、大きい男性だと思ってしまう。
「風呼殿。
 今日はこちらにいらしたのですね」
 メイワは親しみをこめて笑う。
 彼女の頭の中で、風呼は愉快な人物にされている。
 口説き文句も、軽口や冗談だと思い込んでいるため、あっさりと男の言葉を聞き流す。
 いまだに、彼女は自分を不細工だと信じているのだ。
「今日から半月は、ここにいますよ。
 将軍がやっとその気になってくれましてね。
 可愛い部下にも、新年の休みを慈悲深く恵んでくださるんですよ」
 男は魅力的な笑顔を浮かべた。
「それは、よろしかったですわね」
 普通の女性ならば、ときめきの一つでも覚えるはずの男の笑顔に、全く動じずにメイワは心から言った。
「毎日、メイワ殿に会えるのは、俺にとって格別の幸せなんですよ」
 男にここまで言わせおきながら、メイワはニコニコ笑顔。
「風呼殿は、本当に女性を喜ばせるのがお上手ですね」
 メイワは言った。
 つまり、カクエキがどんな女性相手にも、同じような言葉を使ってる。無意識とはいえ、メイワはそう思い、決して本気にはとらないのだ。
「こんなことを言うのは、メイワ殿だけです」
 風呼はめげることなく、言葉を重ねる。
「まあ、ご冗談を」
 メイワはクスクスと笑う。
「では失礼いたします」
 優雅に宮廷式の礼をすると、メイワはスルリと風呼の求愛をかわしてしまった。
 立場上、社交辞令を言われることが多いので、メイワはよっぽどのことがない限り、真に受けることはない。


 こうして、無意識に男心を弄んでいるのだった。
 カクエキほど大胆になれない男にとっては、地獄の苦しみである。


 一方、シュウエイは不器用に求愛をしていた。
 弁舌爽やかに、黒を白と言いくるめられるほどの頭を持ちながら、成人前の子どもでも、もう少し上手く立ち回るのではないだろうか、と思わせるほど要領が悪かった。
 あの伊達男が、彼女の前に立つと完璧にあがってしまうらしく、無口に、ぶっきらぼうになってしまうのだった。
 気の利いた言葉一つ言うどころか、会話を成立させるのも難しいという、かなりかわいそうな状況である。
 それでも、何とか気の合うお友だち扱いされているのは、メイワがとても辛抱強く、前向きな精神の持ち主であったためだ。
 でなかったら、とっくのとうに薄気味悪がられていただろう。
 逢引に誘ってきたのに一口も口を利かない男と言うのは、非常に拙(まず)い。


「庭へ……その、あ……」
 伯俊は頑張って、部屋まで誘いに来た。
 穏やかな昼をすぎて、夕方にも近い時間だ。
 友人同士として、微妙すぎる時間である。
 夜は恋人同士の時間と決まっているのだから。
「はい」
 それでも、メイワは快く返事をした。
 暇だったからだ。
 こういう表現だと暇つぶしに聞こえるかもしれないが、本当に暇だったのだ。
 今日は朝からドタバタとして、落ち着く暇がなく、お茶の時間もなかった。
 ようやく今、暇になったのだ。
 二人は連れ立って院子に向かう。
 陽はゆっくりと傾いていて、影がほんの少し長い。
 特に、言葉を交わすことなく、のんびりと石畳を歩く。
 メイワの話に、二、三言返事が返ってくれば良い方で、静かな散策だった。
 最初は途惑ったが、ようやくこの散策に慣れてきた。
 あまりに口数が少ないものだから、メイワは最初のとき、忠告か、注意か、説教を受けるのかと思ったものだ。
 それぐらい相手の緊張感が伝わってきたし、「話がある」と呼び出されれば誰しも身構えてしまうものだ。
 結局その日、話らしい話はなく、一体なんだったのか良くわからなかったが、数回誘われるうちに、気分転換をさせてくれたのだと、結論づけた。
 メイワが気疲れしているとき、必ずお誘いがある。
 美しい庭園と、移り行く四季の花々を見ながら歩いていると、とても気が休まった。
 この南城は、何もかもが都と違って、あまりに自由で、あまりに奔放で、メイワには困惑するばかり。
 もともと礼儀作法にうるさい方ではないメイワが、この城で最も礼儀にうるさい人間になってしまう。
 主はさっさとこの城の流儀に慣れてくれたが、メイワはいまだ都のやり方にこだわってしまう。
 そうして、メイワはくたくたに疲れてしまうのだ。
 院子はそんなメイワを癒してくれる。
 ゆっくりとした散歩も終わりが近づいてきた。
 院子をぐるりと一周してきたのだ。
「あと、少しだけ……」
 感謝の言葉と別れを告げようとしたメイワに、伯俊が控えめに引き止めた。
 黄色みが強いメイワの瞳が、瞬く。
 もう西の空が色づく時間。
「少しだけ……で、かまわない」
 迷うメイワに、伯俊は言った。
 困りながら、メイワはうなずいた。
 断ったら、かわいそうな感じがした。
 成人した男性に対してそう思うことは失礼だったが、見捨てられた子犬のような雰囲気だったのだ。
 それから、数分後。
 あと少しと言った意味がわかった。
 それは、美しい黄昏。
 空には様々な色彩。赤に、橙に、黄金色。薄紅の隣に、紫色と、紺青。
 庭園の花々を染め上げる鮮烈な輝き。
 大地に沈む太陽が見せる最後の煌き。
 メイワは心奪われる。
 感動で、胸が高鳴るのがわかる。
 完全に日が沈むまで、メイワは立ち尽くしていた。
 伯俊が声をかけなかったら、いつまでもそこに立っていたかもしれない。
「夜風は……体に、悪い……」
「え。あ、はい。
 ありがとうございます。
 とても、綺麗な夕暮れでした」
 メイワは笑う。
「私は、何も。
 感謝なら……太陽に」
 伯俊は言った。
「教えてくださったのは、伯俊殿です。
 お礼は、やっぱり伯俊殿に言うべきですわ。
 ここに連れて来てくださり、ありがとうございます」
 メイワは丁寧に頭を下げた。
「いえ……」
 伯俊は冬葉色の瞳を和ませた。
 メイワもまた、それを見て微笑んだ。

 本人すら気づいていない想いは、他人からすれば、まだまだわかりづらいものである。
 答えが明確に出るまで、今しばしの時間が必要であった。
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