第四十八章

「何だって、アイツと張り合わなきゃいけないんだ」
 そう言ったのは、カクエキ。
 場所はソウヨウの書斎。
 自分の部屋のように、くつろいでいる。
 それを気にせずに、この部屋の書卓で、ソウヨウは書簡を作成していた。
 ユウシがその側で、書生の真似事をしていた。
 話題の人物は、この部屋にはいない。
 彼はとても忙しい人間なのだ。
「都に戻れば許婚の一人や二人いるんじゃないのか?」
 カクエキはぶつくさと言った。
 許婚が二人もいたら、チョウリョウでは大問題だ。
 とかく、良家では。
 チョウリョウでは頑固な婚姻を結ぶ。
 一夫一婦制が徹底されている。
 寡婦が二夫にまみえないのは当然かもしれないが、男の方も後添いをもらわない。
 当然、不貞もなければ、妾もいない。
 それで、幸せになれるのだ。
 お互いを見つめあい、献身と愛で結ばれた夫婦になる。
 これが野合(恋愛結婚)だけではなく、見合いや家同士の結婚でも適用されるのだから、素晴らしい徹底振りである。
 遠い昔から、チョウリョウの都で暮らす重鎮たちは、皆その伝統を血脈に刻み込んでいる。
 最近、チョウリョウの国の一部になった者たちには信じられないことだが、ここでは初恋が実らないことは少ない。
 生涯たった一つの恋を、真実の愛を見つけるのが、得意な血統なのだろう。
 カクエキはチョウリョウでも北寄りの人間だから、そんな言葉が出るのだ。エイハンの辺りでは、一夫多妻制で、結婚もかなりいい加減に行われる。女性を財産とみなしてる観もある。
 ちなみに、シキボでは女性も男性と対等で、再婚する者も少なくない。
「翔家のお坊ちゃんらしく、大人しくしてりゃいいのによ。
 侍女相手じゃ、実家も許さないんじゃないか?」
 カクエキは言った。
「そうですね」
 ユウシが相槌を打つ。
 侍女は裕福な街の商人の娘や、地方豪族の娘が圧倒的に多い。
 チョウリョウ屈指の家柄の翔家とは、格がつりあわない。
 商才豊かな翔家は、その財力でもってシユウを支援したのだ。
 宮仕えより、商売の方が楽しいという当主の意向で、参内している者は少ないが、発言力は大きい。
 シュウエイも望めば、文官でそれなりに高い地位を得られたはずだ。
「メイワ殿は奥侍女ですよ」
 ソウヨウが口を挟む。
「普通の侍女とは違うんですか?」
 ユウシが訊いた。
 都に近い村で育ったが、宮廷はやはり雲の上。
 わからないことが多い。
「全然違います。
 はっきり言えば、私とそう立場が変わらないんです。
 かつて、シキボが絲一族の直系男子である私をチョウリョウに差し出したように、奥侍女の皆さんも人質として差し出された女性です。
 権力ある家同士が勝手に結婚したら困りますからね。
 だから行儀見習いと称して、良家の娘をかき集めたのです。
 侍女であれば、早々実家に戻れませんし、結婚するのに許可が要りますから」
 ソウヨウはサラッと言った。
 カクエキは狡猾なやり口に、眉をひそめた。
「じゃあ、メイワ殿も良家の娘さんなんですか?」
 素直なユウシは訊いた。
「でしょうね。
 姫付きなら、かなりの身分ですよ」
 ソウヨウはうなずいた。
「それなら、風呼殿と結婚はありえませんね」
 ユウシはニコッと言った。
「どういう意味だ?」
 カクエキはユウシを睨んだ。
「だって、身分違いですよ。
 それに、良家のお嬢様なら、婚約者だっているんじゃないんですか?」
 ユウシは言った。
「ギョクカンに行く女に、婚約者がいるか、馬鹿。
 あの好色のギョクカン王だぞ。
 お付の侍女が無事なわけがないだろう。
 それに、二度とチョウリョウに戻ってこれないんだ。
 相手がいたとしても、白紙に戻っているはずだ!」
 カクエキは断言した。
「そういうもんなんですか?」
 ユウシは救いを求めて、ソウヨウを見た。
「まあ、そうでしょうね。
 カクエキが言っているのは、間違いじゃないですよ。
 それに、失礼ですが二十歳越えていますからね。
 たぶん、相手はいないと思いますよ」
 ソウヨウは微笑んだ。
 この当時、成人が数えで十五。
 良家の子女であれば、十二、三で婚約者が決まり、十五の春を待って嫁ぐ。
 農村の娘なら、十五から相手を品定めして、十六、七には嫁ぐ。
 流れの商人や旅芸人の娘なら、やはり十五から相手を探し始めて、遅くても十八には嫁ぐ。
 二十歳を越えたら、嫁き遅れだ。
 体に欠陥があると思われても仕方がない。
 一方男性は十五から三十までに妻を娶れば良いのだから、女性の適齢期は短い。
「望みはあるって、わけだ。
 歳は気にしねぇし、万事良しだ。
 ただ、伯俊が邪魔なんだよ」
 カクエキは言った。
「伯俊殿は不利ですね」
 ユウシは言った。
「どうして、そう思うんですか?」
 ソウヨウは訊いた。
「だって、都に婚約者とかいるんじゃないんですか?
 会ったこともない相手かもしれませんが」
 ユウシは言った。
 会ったこともない相手とはいえ、婚約者がいれば、メイワに対する想いは不貞である。
「それがいないんですよ」
 ソウヨウは面白そうに言う。
 カクエキとユウシは上官の顔を見る。
「正確には、振られちゃったんです。
 去年の秋に、破談になってしまったんです」
 ソウヨウはニコニコと言う。
 他人の不幸は、なんとやらだ。
「何でまた……」
 ユウシは驚く。
「待たせすぎたんじゃないんですか?
 女性の適齢期は短いですからね。
 こっちに来て、もう六年ですよ。
 ちょっと、長いですよね」
 ソウヨウは言った。
 ユウシは「それで去年の秋、機嫌が良くなかったのか」と納得する。
「なんで、シュウエイにも機会はあるんです。
 面白くなってきましたね」
 ソウヨウは愉しそうに呟く。
 それとは、カクエキは対照的な表情を浮かべた。
「そう言えば、将軍には婚約者はいないんですか?」
 ふと疑問に思ったことをユウシは訊いた。
 シキボの絲一族の総領といえば、素晴らしい家柄だ。
 この地域は特に血族結婚を尊ぶ。
「私が当主ですからね。
 選ぶ権利は私にあるし、決定権も私が持ってるんです。
 いませんよ」
 ソウヨウは微笑む。
「生まれる前からとか、生まれたときにとか、いないんですか?」
 ユウシはきょとんとする。
「父上がご存命なら、あり得たかもしれませんが。
 私が成人する前に、最も有力な候補者の女性は人妻になってしまいました。
 三歳の娘までいますし。
 略奪愛とか、ちょっと嫌です。
 幸せを壊したくないと言うか……。
 その他に、年回りがちょうど良い方がいなくて。
 私より年上の方々は、すでに妻になってますし、年下は……まだ赤子ですから」
 ソウヨウは困ったように笑う。
「シデンに一つ下の妹がいるって聞いたが?」
 カクエキは突っ込む。
「ああ、彼女はちょっと……」
 ソウヨウは言う。
「好みじゃないんですか?」
 すっかり十六夜姫のことを忘れて、ユウシが問う。
「あのシデンが溺愛しまくってるほどの、可愛い少女らしい」
 カクエキは先ほどのお返しとばかりに、ユウシに教える。
「年回りも理想だと思うんですけど」
 ユウシは笑う。
「こう見えても、生粋のシキボですから。
 ちょっと、考えられない相手ですね」
 ソウヨウは言った。
 二人はその言葉に疑問を浮かべる。
「エイハンの方でしたら、気になさらないかもしれませんが。
 ツーとツーの妹の母は、私の母なんです。
 いわゆる、種違いというヤツで。
 私の父と別れて、紆伯父上と再婚なされたので。
 さすがに、従妹とはいえ……考えられませんね」
「はあ?
 じゃあ、シデンは弟なのか?」
 カクエキは驚く。
「ツーは従弟ですよ」
 ソウヨウは言い切った。
「……シキボでは、そういうことって多いんですか?」
 ユウシは驚きながら訊いた。
「まあ、良くあることではありませんが、そんなに珍しいことじゃありませんね。
 そういう考えに、私自身あんまり馴染みがありませんが」
 ソウヨウは言った。
 その答えに、二人はほんの少し慰められた。


 つまりはこんな話をするほど、今日は平和だった。
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