第五十六章

 戦争が終わって、世界は平和になった。
 ……らしい。
 ホウチョウには、実感がなかった。
 何故なら、全然ソウヨウに逢えないからである。
 戦時中の方が、一緒に散歩ができた。
 今は、朝のわずかな時間に二言、三言会話を交わすのがせいぜいであった。
 戦いの後の処理の迅速さが、その後の復興に関わってくる……らしい。
 ホウチョウにはよくわからないけれど、ソウヨウは忙しいのだ。
 正確には、ソウヨウだけが忙しいのだ。
 伯俊はメイワを散歩に誘いに、毎日来てる。
 風呼も何だかんだと言いながら毎日一刻ほど、メイワと話していく。
 ホウチョウには、それがどうしても納得がいかなかった。


 供につけられた侍女を上手いことまき、ホウチョウは一人で城の中を探検していた。
 どうすれば侍女から逃げられるかは、幼い頃から知っている。
 七つ上の兄が得意だったからだ。
 意外にもホウスウは女らしくしろとは強要しなかった。そういうことを言うのは、父や長兄であった。
 まだ小さい頃に、たぶん面白半分で教えてくれたのだ。
 一番の天敵はメイワだが、席を外していた。
 だから、簡単にホウチョウは一人きりになれた。
 城の造りは、どこに行っても大差がない。……らしい。
 ホウチョウは勘で進んでいく。
 それは成功した。
 いくつかの廊下を渡り、角を曲がり、お目当ての場所についた。
 大好きな人物を見つけ、ホウチョウは走って、その背中に抱きついた。
「シャオ!」
「ひ、姫?」
 緑みを帯びた茶色の瞳は驚きながら、ホウチョウを見た。
「逢いに来たの」
 ホウチョウは嬉しくなって笑う。
「お一人で?」
「うん」
「……」
 ソウヨウは考え込むしぐさをした。
 ホウチョウはソウヨウからおずおずと離れて、上目遣いで問う。
「ダメ、だった……?」
 いけないことをしてしまったのだろうか。
 ホウチョウは経験上知っていた。
 どうやら、自分の考え方は他人と大きくかけ離れているようで。
 はしたないことや、礼儀知らずなことを、度々にしてしまう、……らしい。
 メイワに怒られる度に、直そうと努力はするものの、実を結んだことはない。
「いえ。
 驚きました」
 ソウヨウは微笑んだ。
「どうぞ」
 と、椅子を勧められ、ホウチョウは座った。
 ソウヨウは何やら、副官のモウキンと話し始めた。
 ホウチョウはぼんやりとそれを眺める。
 やっぱり、いけないことをしてしまったらしい。
 ホウチョウはしゅんと、うなだれる。
 椅子に座って、小さく小さく縮こまる。
 どれぐらい経ったのだろうか。
 ホウチョウの目の前に、玻璃の杯が差し出される。
 杯の中は赤薔薇を溶かしたような色をしていた。
「苺水です。
 お嫌いですか?」
 ホウチョウは杯を差し出した人物の顔を見る。
 武人には見えないほど、礼儀正しい男性。
「他にお望みのものがあるなら、お持ちしますよ」
 伯俊は優しげに微笑んだ。
 ホウチョウは杯に手を伸ばす。
 苺水は、甘かった。
 今まで飲んだ中で一番、甘い。
「甘い」
 ホウチョウは呟いた。
「それはそうでしょう。
 苺水ですから。
 苦かったら、困りものです」
 伯俊は穏やかに言う。
「どんなおまじないをしたの?
 こんなに甘い苺水は、初めてよ」
 ホウチョウは笑う。
「貴方の笑顔を見るために、苺水も頑張ったのでしょう」
「そうなの?
 だったら、ステキね」
 ホウチョウはクスクスと笑う。
 兄たちがホウチョウを見つめたのと、同じ瞳で伯俊は見つめる。
 それが、とても懐かしくて、ホウチョウは嬉しくなった。
「休暇中、すまなかったな」
 モウキンが伯俊に声をかけた。
「いいえ。
 かまいません。
 どんなわがままでも、配下の者は叶えるのが筋ですから」
 伯俊はキリッと答えた。
「シュウエイ。
 ずいぶん、含みがある言い方をしますね」
 ソウヨウは不機嫌さを隠さずに言った。
 それに、ホウチョウは驚いた。
 シャオでも、そんな顔をするんだ。
 その気安さが、新鮮だった。
「それは、あまりに穿(うが)った見方です。
 何か、後ろめたいことでもあるのですか?」
 伯俊は訊いた。
「いいえ、何にも。
 では、お言葉に甘えて、死なない程度にこき使うことにします」
 ソウヨウはニコニコと言った。
 本当に仲良しの友だちなんだ、とホウチョウは思った。
 彼女の知っているソウヨウは、人と距離を置く少年だった。
 シキョ城には、ソウヨウと歳の変わらない少年たちもいたというのに、彼らと決して一緒に遊ばなかった。
「じゃあ、後はお願いしますね」
 ソウヨウはモウキンに言った。
「かしこまりました」
 モウキンは拱手した。
「お待たせして申し訳ございません。
 さあ、行きましょうか」
 ソウヨウは微笑んだ。
「え?」
「仕事は彼らが分担してくれることになりましたから。
 半日、休暇になりました。
 姫さえ良ければ、城を案内したいんですが。
 こちらの建物は、ほとんど知らないでしょう?」
 ソウヨウは言った。
「うん」
 そのステキな申し出に、ホウチョウは満面の笑みで受けた。


 誰よりも大好きで、大切な人。
 運命の人。
 その人が今、一緒にいる。
 ホウチョウは幸せだった。
 ニコニコ笑う彼女に、ソウヨウは不思議がる。
「どうかなさいました?」
 ソウヨウは穏やかに問う。
「ううん。
 なんでもない」
 ホウチョウは答えた。
 ちょっとだけ、秘密にしておきたかったのだ。
 どんなに好きか、どんなに強く想っているか。
 あと少しだけ、ないしょにしておきたかった。
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