第六十八章

「早く、秋にならないかしら」
 ホウチョウは部屋の窓から院子を見遣り、呟いた。
 今は四月。
 春の盛りである。
 百花繚乱、名残の椿は赤々と、零れるように咲く白木蓮、あちらは見事な枝ぶりな花蘇芳。海棠の花は恥らいながら花びらを綻ばせ、咲き初めの菖蒲、連翹の花はにぎやかに。
 日ごと日差しは和らいでいき、日が長くなっていく。
 そんな季節に、乙女は秋を望む。
「咲いている花が聞いたら、とても残念がりますわ」
 メイワはクスクスと笑いを漏らす。
 春が遅い分、花々はいっせいに咲きそろう。
 これからの季節は一年で最も美しい。
「もちろん、春は好きよ!
 でも」
 淡く色づいた唇を尖らせる。
「早く、秋に来てほしいの」
 歳よりも幼い言葉に、メイワは笑う。
「夏の立場がありませんわね」
「嫌いじゃないわ。
 でもね、秋にならないと結婚できないのよ」
 ホウチョウは真剣に言った。
 彼女にとって、とても重要なことだったからだ。
 だが、客観的な立場の人間から見れば滑稽に映る。
「そんなに一足飛びには季節は変わりません」
 メイワの声は笑いを帯びる。
「それぐらい、私だってわかっているわ。
 でもね、早く結婚したいの」
 ホウチョウは言った。
 まるで玩具をねだるように。
 恋する乙女の切なる望みには聞こえてこない。
 あくまでも無邪気。
「結婚は遊びではありませんよ」
「遊びで言ってるわけじゃないわ。
 私は真剣よ」
 不服そうに、ホウチョウは言った。
「これからの人生を共に歩んでいくのです。
 そのためにたくさんの約束事を踏襲(とうしゅう)しなければなりません。
 結婚は大切な儀式ですから。
 二人だけ、というわけにはいきません。
 身分のある者は、それに見合う責務を負うものです」
 メイワは言い聞かせる。
 ただの村娘なら、運命の人を見つけて、それでおしまいだろう。
 二人は幸せに暮らしました、とめでたしめでたしと話は終わる。
 が、ホウチョウとソウヨウの場合はこれからが試練だ。
 ソウヨウは公主の婿として相応しいのか、問われ続ける。
 小さな失敗も許されない。
 隙さえあれば、彼をその地位から引き摺り下ろそうとする者は数多にいる。
 最悪、二人は引き離される。
「知ってるわ。
 でも、早く結婚したいの」
 ホウチョウは繰り返す。
「どうしてですか?
 白厳様と、毎日お会いしていても足りませんか?」
 メイワは訊いた。
 あるときから歳を数えることをやめてしまった精神は、無垢だ。
 世間一般の恋人同士よりも、稚い。
 共にいるだけで満ちていく心は、それ以上を望まないのだ。
 言葉を交わすだけで充分、視線を合わせるだけで十分。
 それ以上のことがあるなど、想像すらしていないことだろう。
「だって、結婚するということは家族になること、なんでしょう?」
 赤瑪瑙色の瞳は生き生きと輝いている。
「ええ」
 メイワはうなずいた。
「だから、私は早く、シャオと家族になりたいの」
 ホウチョウは真剣に言う。
「?」
「シャオには、家族がいないんですって。
 お父様もお母様もいらっしゃらないし、兄弟もいないのよ。
 独りぼっちは辛いでしょう?
 私だったら、耐えられないわ。
 家族がいなくって、故郷じゃない場所だなんて。
 だから、私はシャオと早く家族になりたいの。
 家族になって、私が子を生めば、もっと家族が増えるでしょう?
 大切なものがどれだけあるか、がその人の人生を決めるって、習老師は仰っていたわ。
 だから、私はたくさんの大切なものをシャオに持ってもらいたいの。
 家族ってとっても大切なものでしょ?」
 ホウチョウは言った。
 幸せな乙女は砂糖菓子のように甘いことを、本気で信じている。
「……そうですわね。
 ですが、結婚の日取りは変えるわけにはいきませんわ」
 メイワは困ったように微笑む。
「ちゃんと理解しているつもりよ」
 ホウチョウは不満げに言った。
「そう聞こえないから、くりかえし申し上げることになるのです」
「どうしてかしら?」
 ホウチョウは小首をかしげる。
「さあ、どうしてでしょうか?」
 メイワは苦笑した。
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