第七十五章

 ソウヨウに一番初めに報告したのはカクエキだった。
 双方にとって『意外』な結果になったのは、夏五月のことであった。
 内密な話をするには、間が抜けたほど明るい昼のこと。
 日差しを避けるように執務をしていた青年は、筆をもてあそぶ。
 自分が将軍であった頃も、とやかく言われたものだが、目の前の大柄な男は、何も言われないのだろうか。
 と、曖昧な目の色は男を上から下までなめるように見た。
 カクエキの格好は、おおよそ将軍に相応しからぬ軽装であった。
 鎧をまとっていないことについては、それが白鷹城での約束であるから良いとして、腰に下げた刀が一番の装飾品だというのは、褒められたことではないだろう。
 麻で織られた粗末な衣は、袖も裾も短い。
 街中を歩く無頼の徒。
 そう勘違いされてもおかしくはない身なりだった。
「カクエキ。
 その姿はどうにかならないのですか?」
 ソウヨウは尋ねた。
「……大司馬。
 俺の話は聞いていたんですか?」
 カクエキはしかめっ面をする。
「聞いていましたよ。
 でも、それ以上に、こちらのほうが気になったんです」
「官服に着替えてくれば良いんですか?」
「できますか?」
「報告より先にすることじゃないって思ってたんですけどね。
 大司馬がそれをお望みでしたら、着替えてきますよ。
 沐浴もしなきゃいけないんで、一刻ぐらいかかりますけど」
 カクエキは肩をすくめてみせる。
「白鷹城は大司馬府であると同時に、後宮でもあるんですよ。
 皇太后陛下をはじめ、多くの女性がいらっしゃるんです。
 身だしなみには気をつけてください。
 私が女官長にくどくどと注意を受けることになるんです」
 弱冠で大司馬を賜った幸運な青年は眉をひそめる。
 ソウヨウが生まれる前から、今の階級を拝命した女官長は、天敵だった。
 品の良い令夫人という外見を裏切るほど、厳しい。
 女官を束ねる腕前、皇帝一族への忠義心。
 彼女が女官長であるのは、正当に評価しなければならない。
 悪い人物ではない、ということもわかっている。
 ただ、ソウヨウが苦手なだけなのだ。
「大変だな」
 カクエキは他人事のように笑った。
「大変なんですよー。
 この前も注意されたばっかりなのに」
「で、どうするんですか?」
 カクエキは話を戻す。
「どうするもこうするも。
 カクエキの勘違いじゃないんですか?」
「本気かよ」
「ちょっと願望を口にしただけです。
 冗談ぐらい区別してくださいね、カクエキ」
「いや。いつもの口調で言われもな。
 しかも笑えない冗談だろ、それ」
「仕方がありませんね」
 ソウヨウはためいきをついた。
 あまり乗り気にはなれないが……。
「シュウエイを呼んできてください。
 何か知っているかもしれません」
 ソウヨウは微笑んだ。


「ご用件はなんでしょうか?」
 文官のような身なりをした男性は不機嫌に尋ねる。
 腰に佩いた宝剣がかろうじて、彼が武官であることを証明する。
 良家の子息らしい外見は、白鷹城に在籍する将軍に相応しい格好だといえた。
 よく見れば文官の衣とは少し異なる。
 動きやすいように裾が詰めてあったり、脱ぎ着しやすいように工夫が凝らされている。
 長期休暇は彼に数々の利点を与えたように見えた。
「カクエキが寂しがっていたんで、呼んでみました」
 ソウヨウはニッコリと笑う。
「ちょっと待て!」
 慌ててカクエキは口を挟む。
「休暇中、申し訳ありません」
「思ってもいないことを口にしないでください」
 キッパリとシュウエイは言う。
「円滑に物事を運ぶために、少々の修辞は必要です。
 機嫌が悪いですね。
 奥方に愛想つかされますよ」
「ご心配には及びません」
「聞きましたか? カクエキ。
 嫌味だと思いませんか?」
 ソウヨウは配下に話を振る。
「それよりも本題に入りましょうよ」
 げんなりとした表情でカクエキは言う。
「ああ、そうでした。
 シュウエイ。
 最近、変わったことがありませんか?
 気がついたことでもかまいません」
 ソウヨウは大雑把な問いかけをした。
 視界の端で赤い髪の男が「げっ」という顔をしたが気にしない。
「十六夜公主の最近のお気に入りは、翡翠のような緑だそうです。
 それに白を重ねるのが、今年の夏の流行色になりそうです」
「実に有益な情報ですね。
 でも、これ以上話がそれると、カクエキに怒られますので、手短に説明しますね」
 ソウヨウはカクエキから持たされた『報告』の内容を話す。
 進軍が容易すぎる。
 帰還後の情報伝達が早すぎる。
 また、詳細情報が夏官、冬官だけではなく、他の六官にも回っている。
 しかも末端まで行き渡っている。
「シュウエイも感じましたか?」
「この国は尚武。
 皇帝陛下とて戦場に立たれております。
 我が朝の中核を占めているのは、名だたる武将の方々です。
 興味があるのでしょう」
 先の王朝エイネンとの違いをシュウエイはそう結論づける。
「なるほど。
 一理ありますね」
 ソウヨウは鷹揚にうなずいた。
「今のところ、問題になる規模ではないと判断しています」
「どの辺りで問題になると思います?」
「陛下しだいです」
「あー、それはそうですね。
 情報の漏洩って、どの程度の罪になると思いますか?」
「首がつながっていると良いですね」
 シュウエイは淡々と言う。
「確か法令では定まっていないんですよね。
 気分しだいってことですかー。
 カクエキも大変ですね」
「俺だけじゃないだろ!
 責任になるのは」
「とりあえずを召集かけましょう。
 面倒なことになりましたね」
 おっとりと夏官長は微笑んだ。
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