第七十六章

 気が重くなるような用事だった。
 少なくとも面白いような話ではない。
 ソウヨウは本日二度目の登城に、ためいきをつく。
 目的の部屋の前で、己の下官を退げる。
 仲の良いお友だち、あるいは副官のモウキンを伴って、入室することは特に許されているが、折り悪くその四人は別件の用事があった。
 一人で入る部屋は、どことなく物足りない。
「大司馬シ・ソウヨウ。
 陛下に奏上いたしたく、参上したしだいでございます。
 何とぞ、お許しくださることを重ねて、お願い申し上げます」
 いくつか挨拶をはしょり、ソウヨウは言った。
 うるさい天官はいないだろう、と踏んでのことだった。
「入れ」
 麗しい弦の声が入室を許可する。
「失礼いたします」
 ソウヨウは部屋に入る。
 人払いがなされた部屋は、来客を予感して……というわけではないだろう。
 万が一のことが起きたら誰が責任を取るのだろうか。
 夏官長の自分か、身の回りの世話をする天官長だろう。
「何があった?」
 皇帝ホウスウは尋ねる。
 螺鈿細工もきらびやかな卓にひじをつき、書物を紐解いていたところだったようだ。
 朝服を改め、高官と変わらない衣をまとっていた。
 老人が好むような渋い色合いを難なく着こなした若い男は、ソウヨウに微笑みかけた。
「八将軍の召集をかけたいので、許可をください」
 ソウヨウは単刀直入に話す。
「事情を聞こう」
「話すような事情はありません」
 青年は言った。
「では、許可はできない。
 兵力の集中は混乱を招きかねない。
 ギョクカンの王は取り除かれたが、外敵は他にもいる。
 それとも朝廷を紛糾させるつもりか?」
「それで尻尾が出るなら、大歓迎です」
「誰が混乱を収めると思っているのだ」
「宰相が」
 ソウヨウは穏やかに微笑んだ。
「年長者を敬う精神を持ち合わせているのなら、控えるのだな」
「残念ながら持ち合わせていません」
「では、これ以降は持つように」
 幼子を諭すように、ホウスウは言った。
「情報漏洩しているようなのです。
 なので、ちょっと吊るし上げたいので、集めても良いのですか?」
 サラッとソウヨウは言う。
「八人の中にいるのか?」
 ことさら構えずに、皇帝は尋ねる。
「さあ。どうでしょう。
 いるかもしれませんし、いないかもしれません。
 でも、カクエキからの報告を無視するわけにはいきませんから。
 最低限の仕事はやっておこうかと思っただけです。
 鳳様がするな、というならやりません」
 面倒なことは嫌いですから、と曖昧な色の瞳を持つ青年は微笑んだ。
「虚偽を見抜くのは苦手ではなかったのか?」
「一人ずつ消していけば、そのうち正解に当たるかもしれません」
 ソウヨウは言った。
 灰色の双眸が静かに見据える。
 よく磨いた鏡のように、迷いのない光がそこにあった。
「友人もか?」
「裏切られて許せるほど、信じてはいません」
 表と裏。
 建前と本音。
 人間は相手に合わせて、使い分ける。
 嘘を混ぜ込み、事実を歪める。
 無意識化になされるそれを、ソウヨウは嫌っていた。
「もし、八人の中にいなかったら、どうするつもりだ?」
「そのときがくればわかりますよ。
 状況に合わせて対処します」
「戦況は読めても、人の心までは読めないようだな。
 それでは損害が大きすぎる。
 穏当な案の提出を求める」
 ホウスウはためいきをつく。
「はあ」
 穏当、とソウヨウは考え込む。
 非常に難しい条件だった。
 白厳の君、と呼ばれるようになってから、そんなやり方は忘れた。
 話を聞かない馬鹿は、少しずつ排除していった。
 邪魔をする阿呆は、徐々に消していった。
 それを止める者はいなかった。
 ソウヨウは考えをめぐらす。
 疑おうと思えば、誰もが疑わしく見えるものだ。
 カクエキの報告は偽りだったのかもしれない。
 シュウエイは嘘の情報を混ぜたかもしれない。
 ユウシは誰かを庇っているのかもしれない。
 他の将軍となると、さらに疑うことができる。
 レイ将軍は、南城時代からソウヨウのことを快く思っていなかった。
 ギョウ将軍は、シュレン攻めで大きく貢献しておきながら、大司馬に就けなかった。
 容疑者は八人だけに絞れない。
 ソウヨウが大司馬になって初めての仕事は、同じ将軍位を任じられていた同輩の降格だった。
 門地、血統に捕らわれず、本人の技量のみを評価した結果、大幅な人事異動をすることとなった。
 北城の者はともかくとして、南城の将兵たちの実力はよく知っている。
 指揮が執りやすいように、軍を再編したのだ。
「全員が共謀していたら、大変ですね」
 危険なことをソウヨウは呟いた。
「情報漏洩は確実なのか?」
「進軍経路まで筒抜けらしいですよ。
 カクエキが不安がっていました。
 ……シュウエイは何か、気がついているようでしたよ。
 興味がある、ですましていましたが」
「それだけを聞くと、シャン将軍を召しださなければならないようだな」
 ホウスウは困ったように笑う。
「そうなんですか?」
 ソウヨウは目を瞬かせる。
「猜疑心を他人に持たせるのは難しくない。
 情報を断片的に、順番を狂わせて、与えればいい。
 嘘をつく必要はない。
 覚えておくと良い」
 傾けた皿を滑り落ちる水のように、ホウスウは語る。
 教え導くことを生業としている老人のような目をして。
「役に立つとは思えません」
「十六夜を守る手段は、いくつあっても良いだろう」
「そうですね」
 ソウヨウは納得した。
「こちらからも当たろう」
「心当たりがあるのですか?」
 意外だ、とソウヨウは思った。
 情報を制するものが世界を制す、とソウヨウに教えたのは、目の前の男だった。
 漏洩を許すような人物だとは思わなかった。
 蟻のうがった穴一つでも、ご丁寧に埋めているものだと考えていた。
「ないほうが不思議だな。
 こんな泥の船、いつ沈んでもおかしくはない」
 皇帝は楽しそうに笑った。
「……宰相に怒られませんか?」
 ソウヨウは思いついたことを口にした。
「この遊戯を始めたのは、父たちだ。
 私ではない」
「そのわりには楽しんでいたように見えましたが?」
「楽しまなかったら、損だろう」
 ホウスウは言い切った。
 兄妹だな、とソウヨウは思った。
 これが血というものなのだろうか。
 飛一族は『楽しむ』ことに長けている。
「それで八将軍を集めてもよろしいでしょうか?」
 ソウヨウは改めて尋ねる。
「条件付きだ。
 一つ、任地にいる将軍は無理に呼び出さないこと。
 副官もしくは、任意の兵の出席で、それの代わりにすること。
 一つ、外敵の恐れのない少ない地域の将軍でも、副官を任地に置いてきて、万全の備えをすること」
 ホウスウの言葉はもっともで、言われなくてもそうするつもりの事柄だったため、ソウヨウはうなずく。
「一つ。これが最後で、重要だ。
 朝廷から官を遣わせる。
 八将軍が集まる場に、出席させること」
「それって監視ですか?」
「三人ほど、だ」
「普通は一人じゃないんですか?
 目立っちゃいますよ」
「内二人は、書記官だ。
 さほど目立たないだろう。
 本当は私自身が、出席したいところなのだ。
 譲歩、と呼んでくれ」
「そんなに面白くないと思いますよ」
 ソウヨウはためいきをついた。
 これから先のことを考えると、げんなりする。
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