第九十章

 大司馬の下には八人の将軍がいる。
 うち手元に置くのは三人。
 あとの五人は絶えず仕事を与えておく。
 手元に置かれる三人とて仕事はあるのだが、全員が白鷹城からいなくなることは稀である。
 南城時代からの『お友だち』であるから、様々な憶測が飛ぶ。
 皇帝陛下が真意を問いただしたとしても、大司馬は曖昧な色の瞳を和ませて「さあ?」と言うだけであろう。
 だから、その意を知るのは副官のモウキンだけである。
 あるいは破邪の瞳を持つ公主だけかもしれない。


「最近、悩み事が多すぎて……」
 上等な卓に肘をついてソウヨウは漏らした。
 その場に居合わせたのは白鷹城一、間の悪い男シュウエイと、優秀な副官モウキンであった。
 ソウヨウの愚痴を聞くことの多いのはこの二人である。
「その上、運動不足ですし」
 話がつながらないことを平然とソウヨウは言う。
「シュウエイは幸せそうだし」
「関係ないでしょうが!」
 黙って聞いていた男は怒鳴った。
 途端に、緑とも茶ともつかない瞳が嬉しそうに輝く。
 暇だからかまって欲しかったのだろう。
 玩具を見つけたときの子どもと同じ瞳だった。
「ありますよ。
 いいですか?
 この三点には共通点があるんです」
 至極真面目な顔で言う。
「どんな?」
 見つけられてしまった玩具は仕方がなしに訊き返す。
 そうしないと、永遠にごねられるのだ。
「どれも私の玻璃のように繊細な心に多大な負担をかけるのです」
「その玻璃とやらは、投石機を使っても針の先ほども傷つかないのでしょうね」
 シュウエイは言った。
「おや?
 どうして知ってるんですか?」
 ソウヨウはおっとりと微笑んだ。
「まあ、そういうわけで。
 そんな私の心が傷つけられる毎日なんです」
 ……どんな毎日だ。それは。
 シュウエイは思ったが、口には出さなかった。
 鋼のように強靭な心が傷つく毎日とは、荒涼とした砂漠の方がマシに見える日々であろう。
「その上、この三点の問題は私の一存でどうにかできるものではありません」
「先の二つは構いませんが、最後の一つはどうにかされたら困るんですが!」
 シュウエイにとって譲れない問題である。
 曖昧な瞳が面白いものでも見るようにシュウエイを見た。
「素敵なぐらい利己的ですね。
 良いですねー。
 でも、問題解決には慎重にならなければなりません。
 いくら目障りだからと言って存在を抹消するのは、大人気(おとなげ)ないですからね」
 ソウヨウは大げさにためいきをついた。
 シュウエイにも言いたいことが伝わってくる。
 ようは海月太守が邪魔なのだろう。
 頭が回る人間ほど、取り越し苦労をするものである。
 海月太守は、実に謎めいた男である。
 彼の利点が見えてこないのだ。
「真ん中の一つは解決できそうですよ。
 幸い、三人おりますから」
 モウキンは助言した。
「良いんですか?」
「大丈夫でしょう」
「……そうですね。
 適度な運動は必要です。
 じゃあ、シュウエイ。
 カクエキとユウシを呼んできてください」
 ソウヨウはにこやかに言った。


 鍛錬場。
 草木一本も生えていない更地はそう呼ばれている。
 風雅な白鷹城の実用的な場所の一つ。
 普段であれば多くの兵士が己の腕を磨いている場所であるが、今日は違う。
 多くの観客を集めて、舞台が始まろうとしていた。
 異様なほどの熱気が立ち込める。
 だと言うのに更地の中央の温度は下がっているように見えた。
 中央に立つ人影は四つ。
 大司馬とそのお気に入りの三将軍。
 それぞれの得物を手に立つ。
「いつでも、どうぞ」
 ソウヨウは剣を抜きもせずに言った。
「じゃあ、遠慮なく」
 カクエキは剣を鞘から払うのと同時に跳躍する。
 重量のある剣は青年の首を狙って動く。
 それをソウヨウは難なくかわす。
 見計らうようにシュウエイの槍がソウヨウのいた空間を薙ぐ。
 宙に跳んでいなければ、槍の手痛い一撃を食らっていただろう。
「嫌になるぐらいの連携ですね」
 ソウヨウは微笑むと、宙で一回転して見せてから着地する。
 そこにユウシの剣が襲い掛かる。
 と、同時にカクエキの剣もまたソウヨウを狙う。
 拍子を刻むようにソウヨウは地面を蹴る。
 剣戟の響き。
 できの良い演武を見るような余裕がある。
 だが、真剣である。
 四人はこれが演武ではないことを知っている。
 宙を切る剣の音、跳ね上がる鼓動が違うと教える。
 ソウヨウは薄ら笑う。
 剣が目の前を薙ぐ。
 一歩下がろうとして、勘が告げる。
 ソウヨウが思うよりも早く、体が判断する。
 青年はしゃがむ。
 槍がその上の空間を震わせた。
 本当に遠慮がない。
 三将軍はいつでも一緒にいた。
 お互いの力量を熟知している。
 だからこそ、生まれる信頼。
 カクエキは自分の眼前でシュウエイの槍が払われても怯まない。
 ユウシはカクエキの剣の前に立つこと恐れない。
 シュウエイはユウシの剣が己のすぐ傍の空間を薙いで行ったとしても気にしない。
 怪我をしたら、怪我をした方が悪い。
 すでに暗黙の了解である。
 そんな三人の攻撃をソウヨウはへらへらと笑いながら、綺麗に避けていく。
 しかし、と曖昧な瞳は思う。
 ちらりと階上を見上げれば、やはりいる。
 海月太守が観客から離れた場所に、立っていた。
 何故あんなところにいるのでしょう?
 それも一人で。
 あの先の部屋は、物置と化している部屋ばかりである。
 立ち入り禁止ではないものの、他の者は近寄ることはしない。
 面白みのあるものがないからだ。
 逢い引きに使うにもそこまでの通路が一本道すぎて人気がない。
 わからないことばかりだった。
 ソウヨウが引っ掛かりを覚えるのは彼の間合い。
 海月太守は丸腰で都に来たのだ。
 共も連れずに必要なものだけを持って白鷹城に入城した。
 必要なものの中には剣は入っていなかった。無論、槍も矛も石弓もない。
 けれどもソウヨウは気がついていた。
 海月太守の鉄色の瞳は何かに警戒するように常に配られている。
「もう、終わりにしましょう」
 ソウヨウは呟いた。
 まだ、わからないことだらけだ。
 ソウヨウは剣を引き抜いた。
 心地よい重み。
 三呼吸もあれば充分。
 見事、三将軍は無力化された。
「皆さん、もう少し鍛練をした方が良いですよ。
 腕が錆びついてきたんじゃありませんか?」
 ソウヨウはにこやかに言った。


 彼が剣を抜いても大丈夫な相手は限られている。
 だから『お友だち』は大切にしているのであった。
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