第九十二章

 六月も終わるころ、皇帝が白鷹城にやってきた。
 共についてきたのは三公の首である太師露禽。
 何か含みがあるのでは、と考えてしまう相手である。

「ようこそ」
 ソウヨウは二人を笑顔で出迎えた。
「顔が引きつっているぞ」
 と、本当のことを言ったのは皇帝であるホウスウだ。
 非公式な訪問と言うことで、だいぶ打ち解けた格好をしている。
 髪と瞳でただの官吏ではないと、バレてしまうのが彼の欠点ではあるが。
「主上。
 そんな本当のことを言っては、白厳殿が気の毒と言うもの。
 恋人との蜜月を邪魔されれば、どんな寛大な男とて不機嫌な顔をするものです」
 やんわりと露禽は言う。
「安心しろ。
 今更、お前と十六夜の関係をとやかく言う気はない」
「……本当ですか?」
 疑り深い性格のソウヨウは半信半疑で言った。
「口やかましい女官長に、勘が鋭い母上がいるのだ。
 目を盗んで逢瀬を重ねるのも大変だろう。
 それに十六夜は天女のように無垢だ。
 お前に、汚す度胸があるとは思えない」
「羽衣を隠すぐらいはしますけどね」
 事実だけに、ソウヨウは隠し立てせずにのんびりと微笑む。
「そんなことよりも、華月はどこだ?」
 ホウスウは訊いた。
「今日のご用件はソレなんですか?」
 ソウヨウは驚く。
 てっきり妹に会いに来たのかと思った。
 それが、他の女の名前が出る。
 周囲の勧めを断りまくっている皇帝が、である。
 そんなに執心なら、后にすればよかったのに、とソウヨウはぼんやり考えたりする。
 ああ、でも。
 『后』にはしたくなかったのかもしれない。
 チョウリョウの民は複雑怪奇な考え方をするのだから。
「顔を見に来たんだ。
 これから建国祭まで私は多忙だからな」
「はあ。
 姫には会わなくてよろしいのですか?」
 ソウヨウは得心がいかなかった。
「お前の顔を見ればわかる。
 元気にしているのだろう?」
 ホウスウはこともなげに言った。
「海姫殿はこちらです。
 たぶん」
 ソウヨウは案内する。
 下官を呼びつけても案内させてもよかったのだが、人を使うのが面倒だったためにやめた。
「どうして私の顔を見ればわかるのですか?」
 歩きながら、ソウヨウは訊いた。
「十六夜に何かあって、ソウヨウが平静でいられるはずがない」
 ホウスウは言う。
 事実である。
「本当に会わなくてもよろしいのですか?」
「あっちが私を毛嫌いしているからな」
 ホウスウは微かに笑う。
「?」
「不細工な顔の男に嫁がせようとしたことを根に持っているらしい」
「ああ。
 ギョクカン王ですか」
「一番上の息子は、そこそこまともな顔なのだがな。
 妻がいたので、縁組をさせるわけにはいかなかったのだが。
 そっちの方が良かった。と言われたよ」
 ホウスウはクスクス笑う。
「ギョク・レイテイですか?」
 ソウヨウは容姿を思い出そうとする。
 彼は現在、文官として鳳凰城に勤めている。
 妻子は故郷にいるので、ほとんど人質扱いである。
「父親には全く似ていない。
 あれはエイネンの血が濃く出たのであろう。
 正妻腹の一粒種だったらしいし」
「エイネン……」
 それで、何となく思い出す。
 腰までの黒髪を持つ、痩せ型の三十代の男性だ。
 女官に人気がある、と付け加えねばいけないだろう。
 涼しげな容貌に、清廉な立ち振る舞い、明朗な声。
「姫はああ言うのが好みですか……」
 ソウヨウは呟く。
 武官としては貧弱だ、覇気がない、むしろやる気がない、愚鈍だ。と官吏には噂され、冴えない容貌だ、不細工とは言わないが美形ではない。と女官にはささやかれる。
 そんなソウヨウにとっては面白くも何とない事柄である。
 見た目が今一つなのを、これでもちょっとは気にしているのだ。
「白厳殿が一番とおっしゃるのですから、玉公(ぎょくこう)が好みになるのでしょうな」
 露禽はニコニコと言う。
「……ギョク・レイテイは、どちらかと言うと鳳様の方が似ているのではありませんか?」
 ソウヨウはちらりとホウスウを見た。
「自分の顔をそこまでしげしげと鏡で見たことはないな」
 ホウスウは言った。
 冬の月のように冴え冴えとした美貌を謳われる皇帝である。
 ソウヨウは容姿に頓着しないのは血筋だろうか。と考えた。
 あくまでも頓着しないのは自分の容姿に関してだけなので、他に対する審美眼は人一倍厳しい。
 稀に見る美貌を『まあまあ見られる顔をしている』
 傾国の美貌を『そこそこ整っている』
 絶世の美貌を『美人』
 と、思うらしい。
 自分の顔を基準にして世の中の美を量れば、そうなってもおかしくないのかもしれないのだろう。
「鳳様はどうして海姫殿を海月太守に与えたのですか?」
 ソウヨウは疑問の一つを解決するために、本人に訊いた。
「美しさに心奪われたか?」
 ホウスウはソウヨウを見た。
「海姫殿ですか?
 愛らしい方だと思いますが。
 姫が一番です」
 ソウヨウは答えた。
「兄としては嬉しい答えだな。
 三年経って気が変わらなければ良いが」
 ホウスウは楽しそうに笑う。
「何年経とうが、私の気持ちに変わりはありません」
 キッパリと断言する。
 他の名花を見ただけで揺らぐような恋心だったら、もっと楽になれただろう。
「海姫殿は鳳様のお気に入りだったのでしょう?」
「ソウヨウまで言う気か。
 何故、后にしなかったのか、と」
 げんなりとホウスウは言う。
「いいえ。
 私が訊きたいのは、何故海月太守にお与えになったんですか? と言うことです」
 ソウヨウは言った。
「簡単なことだ。
 愛し合う者同士がしがらみに縛られて、それを乗り越えられずに、立ち止まっているのが見えたから、背を押してやっただけだよ」
「……。
 氷人(仲人)ごっこですか?
 暇人ですね」
 ソウヨウは辛辣に言った。
 そんなことをしてる暇があるなら、せっせと子作りに励んで欲しいものである。
 彼のささやかなる野望のためには、皇帝陛下は子沢山でないと困るのだ。
「愛し合っている者たちが結ばれないのは、同情に値するだろう?」
「相思相愛だと、どこで判断したのですか?
 海月太守の評判、とても悪いんですけど」
「そんなもの見ればわかる。
 あの男は、私を殺して切り刻んで叩き潰しても足りないぐらいの憎悪に彩られた瞳をしていた」
 物騒なことをホウスウは言う。
「いつの話ですか?」
「元年の七月だから、そろそろ三年前になる話だな」
「って。
 海姫殿……いくつだったんですか?」
 ソウヨウは目を瞬かせる。
「十一だな」
「変態ですよ、それじゃあ」
 ソウヨウは不快げに顔を歪める。
「そうかもしれないが、華月が沖達でないと嫌だと泣くからな。
 見事に私も振られたわけだ」
「鳳様も変態の仲間ですか?」
 ソウヨウは失礼なことを言う。
「華月は娘のようなものだよ。
 恋愛対象にしたことは一度たりともない。
 が、皆が盛大に誤解してくれる」
「はあ。
 別にどちらでも良いんですが。
 子どもさえできる体の女性を愛してくださるなら」
「そういうことを平然と言うと、十六夜に嫌われるぞ」
「姫の前では言わないから、大丈夫です」
 にっこりとソウヨウは微笑む。
「ああ、もうそろそろです。
 この先ですね。
 今の時間だと、眠ってらっしゃるかもしれませんが」
「沖達の傍で、だろう?
 知っている」
 ホウスウは表情を変えずに言った。
「では、私はこの辺で失礼します。
 仕事もありますから」
 ソウヨウはおっとりと言い、一礼した。
 そのまま、皇帝の御前から退がる。
 これ以上ついて行って、不愉快な思いをしたくなかったからだ。
 海月太守とその婚約者は、とても仲が良い。
 この昼すぎのまったりとした時間は、特に。
 始終べたべたとしていて、それが飼い猫が飼い主に対するような愛情表現だとしても、見ていて気に喰わない。
 ならば、見ない方が得策であろう。
 ソウヨウが来た道を引き返している途中、麗しい怒鳴り声が聞こえたが彼は気にしなかった。


「こんにちは」
 ソウヨウはその足で、ホウチョウの元に訪れた。
「あら、シャオ。
 ちょうど良かったわ。
 今、呼びに行こうと思っていたの」
 ホウチョウは微笑む。
「お茶の用意をしたのよ」
 恋人に手を引かれ、卓につく。
 なるほど。卓の上には見事な茶菓子が並んでいた。
 どれもこれもおいしそうである。
「どうぞ」
 メイワがソウヨウの前に茶器を置く。
「ありがとうございます」
 ソウヨウはニコッと微笑む。
「姫もお席にお着きください。
 立ったまま、召し上がられるおつもりですか?」
 メイワは温雅な微笑みで、きつい注意を与える。
 ホウチョウは慌てて席に着く。
「どうぞ」
 メイワは真っ白な杯をホウチョウの前に置いた。
「今日の薬湯はおいしそうね」
 ホウチョウは杯を持つ。
「蜂蜜と生姜ですからね。
 お菓子のようなものでしょう」
 メイワは穏やかに言う。
「最近は、甘いのが多いのはどうしてかしら?」
「きっと、ご褒美ですわ」
「真面目に頑張ろうって気になるわね」
 ホウチョウはゆっくりと杯を干す。
 空になった杯と交換に、メイワはお茶を出す。
 メイワは杯を持って、退がる。
「今、鳳様が来られていますよ」
 ソウヨウは言った。
「ええ、知ってるわ。
 このお菓子はお兄様からのものですもの」
 ホウチョウは言った。
 ソウヨウは冷ややかな目でその菓子を見つめた。正確には送り主のことについて思った。
 妹に会わなくても、こういうことをする。
 相変わらず、妹に甘い。
 言葉を額面どおりに受け取ってはいけない相手である。
「シャオが甘いのが好きだから、いっぱいお菓子があるのよ」
 ホウチョウはニコニコと言った。
「?」
「一人分には多いでしょう?
 私はこんなに食べられないわ。
 これはシャオと一緒に食べなさいって意味だと思うわ」
 確かに、細工が美しい竹の籠の中には、様々な茶菓子が入っている。
 ソウヨウなら一人で平らげてしまえそうだが、常識的に考えれば二人分である。
「お兄様はシャオが大好きなのね」
「……。
 そうなんですか?」
 そうだったら、気色悪い。と、ソウヨウは真剣に思った。
 あくまでも、二人は利害が一致しているだけである。と信じたい。
 ホウスウはソウヨウのことを便利な道具か何かだと思っており、ソウヨウはホウスウのことを愛する姫の兄だから仕方がなしに敬意を払っている。
 そんな関係であると思っていた。
「そうよ」
 ホウチョウは断言した。
「お兄様はシャオのことをちゃんと大切に思っているはずよ。
 意地っ張りだから、口では言わないかもしれないけれど。
 シャオがいなくなったら、とっても悲しむと思うわ」
「はあ」
 全然想像がつかない。
 むしろ、想像したくない。
「でも、シャオのことを一番想っているのは私よ。
 それを忘れないでね」
 恋人は念を押す。
「はい」
 それは大歓迎である。
 ソウヨウは飛び切りの笑顔でうなずいた。
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